「あり得る未来について」

 闇の中に今にも搔き消えてしまうほどの灯火が揺れている。

 夜の森というものは黒一色に近いと青年は思う。今日は月も無い。暗闇に慣れた目は次第に周囲の色を認識し始めるが、少しでも意識を逸らすと前後不覚に陥りそうだ。時折生温い風が周囲の木々を撫でて音を立てるだけで、虫の声や獣の息遣いすら聞こえてこない。

 これが暑い寒いと感じるような気温あるならばいくらかマシだったかもしれない──自分の腕に爪を立てて意識を保つように。この空間と自分とが混ざって一つになってしまうような不快感を覚えずに済んだだろう。

 遅い時間に外に出るものではない、というのは街でも森でも同じことだ。深夜に森の中をほっつき歩くなど気が狂っている。こんな時間にこのような場所を彷徨っているのは浮浪者と異邦人、又は人でないもの。一部の例外を除き、余程の急用が無ければこの国の人間達は外を出歩かない。それでも今日こうして青年が街を出てこのような環境に足を踏み入れたのには理由がある。

 青年にはどうしても会わないといけない人間がいた──それは少なくとも町中で出会うことが絶望的な人間であった。コンタクトをとることも容易ではないだろう。正直、人間と呼べるのかとすら怪しい。国内では名の知れた存在だ。

 それは「過去の事を知っていて未来の事が見える」という能力者の類である。この国には未だ御伽噺のような存在や技術が数多く存在するのだが、青年はその全てに対して半信半疑だった。無論、今求めている能力者に対してもだ。

 人によってはメディアに露出もする上、今青年が探している存在もまた国の所有物になっている人間だ。人間国宝のように保護され、国の元で仕事をしているというのが一般人に知られている情報の全てだ。かく言う青年もテレビを通して一度しかそれを見たことがないし、素顔も性別も知らない。

 興味も無ければ、素性も知らない──実在するかも分からない。知らされた居場所に居るかも分からない人間に出会う理由など本来は無い。それでも宛てもなく森の中を彷徨うほどの事情を青年は抱えていた。


「私から行こうと思っていたのに。せっかちな人ですね」


 足元に気を付けながら幾つも木々の隙間を抜け、背の高い草の茂みを抜けた先──開けた場所に人影が見えた。草原の中に座り込む人間のシルエット……人の形に塗り潰されたようなそれは子供のようであった。

 茂みの中から抜け出てきた青年に向け、人が近付いてくる。それどころか、こちらを恐れるどころか気さくな挨拶の言葉までかけてくる始末であった。


「俺がここへ来ることも分かっていたのか」

「ええ、まあ。そうして今後の為に出会わないといけない人でもありました。だからこうして私も出向いたんです。街中では何かと都合が悪いでしょう」

「お前に依頼が出来るほど俺は金を持っていない」

「ええ、知っています。貴方のポケットの中の小銭の数も、お財布の中のレシートの枚数もね。だからこれは『私用』です」


 青年の前に現れたのは小柄な人間であった。髪の色は分からないが、闇の中に溶けているから彩度は高くないだろう。白いローブのような物を纏い、足には何も履いていないように見える。声は声変わり前の少年か、少し声の低い少女のようである。鬼気迫る様子の青年とは打って変わってのんびりとした雰囲気だ。

 青年は一瞬人違いを疑ったものの事前に聞いていた情報と目の前の子供とを照らし合わせ、少し間を置いた後に話を続ける。


「そんな話をしている場合じゃない」

「はい、はい。さあどうぞおかけなさい。貴方の口から用件を聞きましょう」


 子供は茂みに腰を下ろすと自分の隣を指し、青年に座るよう促す。整備された芝と違い、名も知らぬ野草が生い茂るそこに直接座ることに抵抗があったものの──話はそれなりに長くなるだろう。腰を下ろすと土の匂いと踏まれた草の青臭さが沸き立った。


「知りたいことがある。過去じゃない、未来について尋ねたいことがある」


 青年の言葉に子供は目を丸くする。青年は子供の傍でその目を見下ろして、ようやくその色が分かった。今日のような星空一つない空の色、紺色だ。その瞳が何度も白い瞼に閉じられる。子供は青年の前でぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 過去が全て見通せるという能力がある者ですら青年の言葉は想定外であったようだ。

 

「未来は視えます」

「それなら」

「過去は一つですが、未来というのはその瞬間になるまで無数に分岐しているものなのです。だからそうですね……自分の子供が将来どうなっているか、とかそういう質問は多いですけれど上手く答えられた試しがないのです。犯罪者になる未来から英雄になる未来まで様々ありますし。情報量で倒れることもありますね」

「……」

「質問を変えますか?過去は見えても貴方の心の仲間では知り得ませんからね。察してあげるってことは難しいんですよ」

「質問は変えない。未来の事を教えてくれ」

「ああ……やっぱりそうなっちゃうんですね……して、何の?」


 青年の隣で子供が天を仰ぐ。草原に仰向けになり、草の香りを腹一杯に吸い込み、深呼吸をしている。

 こちらには時間が無いのだが、相手は多忙な有名人でありながら時間の余裕を感じさせられる──腹立たしさは自然と感じなかった。自分とは全く別の生物と会話しているような感覚こそあるのだが、残ったのは元から抱えていた焦燥感だけであった。

 青年は子供を見下ろし、力強く求める。子供はやれやれと言った様子で草の中から身体を起こすと青年の隣でローブに付着した草を払い、青年と向き直った。

 続けて青年はここまで抱えてきた「本題」を打ち明けた。

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