第18話 通過するもの

「そういえば仕事のことで疑問が有るんですけど」


 ある日の午後、アキと環は長机を挟んで向かい合っていた。

 ベルトコンベヤが仕事を運んでこない時に自然と発生する時間である。大抵は雑談をするか漠然と時計を眺めていることが多いのだが、この間も時給が発生する以上変える訳にもいかず両者は日々椅子に縫い付けられたようにして座っている。

 話題の内容の大半は寝坊しそうになっただとか、朝食のパンを焼き過ぎただとか……アキが他愛のない話題を出しては環が相槌を打つという程度のもので特筆することもない。

 故に仕事の話題というのは珍しく、環は顔を上げてアキと視線を合わせた。彼女が仕事の話をするのも珍しいのだが、このような単純作業に発生する疑問にこそ興味を抱いていた。


「言ってみろ」

「記録した後に、シールを貼って物を流すのが私達の仕事ですよね?何もしないで流そうとしたらどうなるんでしょうか」

「前任者が検証した際は流れなかった。そして何も言われなかった」


 想像以上に単純な疑問に拍子抜けした気分である。

 こいつは試そうとしないだけまともなのかもしれないが──それでも環は疑問に結果で答えることが出来た。かつて共に働いていた人間が何もしないで物を流そうとしたらどうなるかと言い出した時は思わず止めたものだ。アルバイトとしては後輩の立場ではあったものの連帯責任で何か罰を受けることになったら堪ったものではない。

 然しながら自分の制止を振り切って前任者は送信ボタンを押した。そして結局、物は流れずベルトコンベヤは停止したまま……ほら何とも無いだろうとでも言いたげな笑顔の前任者の姿が脳裏にちらつく。この記憶は未だ消えることがなかった。


「先にやった人がいるんですね。それともう一点、どんなものが流れてきたとしてもシールさえ貼れば流れてくれるんですかね?モノによっては私達が二人共死んじゃったりすることもあるんですよね。例えばですけど、ずっと燃えているようなおっかないモノが流れてきたとして……両方が死に続けたら、シールや観察どころじゃないでしょう?」

「大抵の場合、俺は死なないんだが。両方死んだ場合というのは……」 

「というのは?」

「目が覚めた時にはモノが無くなっている。その後は別の物が流れてきて、前任者と二人で変わらず作業をして帰ったな」


 アキは最早、環の自称する頑丈性を指摘することをしなくなっていた。 

 何処からその丈夫さが来るのかは分からないが、先日業者に同行して戦地に赴いた話を踏まえると何かしらの策があるのだろう。ここでは死を迎えたところで蘇生が行われるが──当然、屋外にそうした救済措置はない。その上で恐れなく危険地帯に踏み入っていくあたり彼は自分には理解の及ばない技術を握っているか、彼自身が見かけによらず頑丈であるのだろう。そう思う他無い。

 環曰く自分も一度はここで死を迎えたことがあるというが……彼から聞いただけで死の自覚はない。傷も無ければ痛みも記憶も抱えていないのだ。何方も死んでしまった場合、彼が自分の死を覚えているとも思えない。少なからず自分が「一度目の死」を迎えた際、環は生きていたのであろう。

 ある程度環の「謎」に慣れてきたアキではあるが、彼の口から彼自身も死を迎えると聞かされた時にはかえって衝撃を受けた。

 何があっても死なないで、相方の死に様を見ているような人間だと思っていた──よくよく考えてみればこれは彼の頑丈性の話であり、その彼をを殺してしまうほどの代物が流れてきたという事実とセットだ。

 二人で仲良く死亡した後に仕事をして帰ったというのも中々おかしい話ではあるのだが……アキは最早何処に突っ込んでいいのか分からず、一先ず自分の疑問を解消してくれたことについて礼を述べた。


「……何でしょう?何も流れてこないのにベルトコンベヤだけ作動することなんてことあるんですか?」

「整備には詳しくないが、業務時間外にはあり得るかもしれん」


 二人の間に生じた沈黙を割くようにして再びベルトコンベヤが稼働する。

 普段であれば物を見てから二人で席を立つのだが、今回に至ってはただベルトコンベヤだけが音を立てて動くだけであった。これには環も首を傾げ、アキと顔を見合わせた後に再び前方に視線を向ける。

 メンテナンスするにしたってそういうのは我々が出勤していない時間帯でしょう?

 アキの問いに環も頷く。わざわざ自分達が出勤している時間帯に整備を行うような不具合が発生したとしても何かしらの連絡は来るだろうと踏んでいただけに不可解だ。

 

「あっ……!先輩、私の頭をサクっとして池に投げるなんてやめてくださいよ!?今時十二区でも通用しないジョークがお上手ですこと!センスゼロです。私、私の首首。どうして避けるんです!心許ないプレゼント、つまらない」


 時すでに遅し。

 稼働したベルトコンベヤに先に近付いていたアキがベルトコンベヤから数メートル離れた所で数歩後退り、小さく悲鳴を上げた。それから譫言のようにぶつぶつと独り言を繰り返し、膝から崩れ落ちるようにして床に腰を下ろす。

 環には理解の出来ないものであった。ベルトコンベヤは稼働を止め、停止したまま……そこには何も依然何も乗っていない。トレーの類も無いためある程度大型の何かが運ばれてきたのかもしれないが、アキには何も見えていないようである。

 ──アキは床にうつ伏せに横たわり、白目を向き涎を垂らして伸びている。

 ひょっとすると泡を吹くという表現はこうした場面に用いるのが適性であるのかもしれない……とは思ったが、冷静に分析している余裕は長く与えられることはなかった。環は一瞬、毒ガスの類を疑ったが──今のところ自分の身体には何の以上も無ければ、アキのようにパニックを起こしてのたうち回るということもない。

 ただ停止したベルトコンベヤと、現在進行形で虫のように床を這いまわるアキ……そして自分。環はアキから視線を一度逸らし、ベルトコンベヤに近付いていく。


「これは通り雨……」


 環はベルトコンベヤを前にして、虚空を見上げてぼりぼりと頭を掻いた。

 俺はこれを知っている。否、知っているようで直接出会ったことはないのかもしれない。それは個体にして気体。身体を持たず自由に動き回り、何処へでも行くことができるこの星の中でも軽く自由な命であることを自分達は知っている。部屋に入ってきた時から自分の身体に纏わりついてきて、翅を捥がれた虫のように床を這い回る後輩にもその祝福が満たされたことであろう。

 出会った全ての生命に歓迎の抱擁と祝福の接吻を齎す──福音。ただそれが見えず、聴こえないから我々は地に這う他無い。その姿は宛ら散らばった金貨を拾い集める浅ましい賤民のよう。でもこうしてこのように卑しい生命の元にも、このような国の片隅にも訪れるのだから。我々は扉を開けてそれを待つことにした。

 そうしてそれは扉をすり抜けるようにして自分達の元へやってきた。手足が、頭が、足が無いから……人に混ざって遊ぶことは叶わないのかもしれないが。こんなにも楽しそうに、それでいて嬉しそうに。霧のような身体をそこら中に広げて広がっていく。子供のようでもあるし、大人のようでもある。それは自分の身体をしていることもあれば、時折故郷の誰かの顔を覗かせて手の形なんかを作ろうとしている。光ったり波打ったり忙しない。人はこのような姿に愛らしいと思うのだろうか、自分もまたそう思っている。先ほどこちらを真似て手を振っている様は良かった。

 慣れるまでは人間のように踊っていればいいのにと思わずにはいられない。ステップは苦手だから、自分は時折足を踏むかもしれないけれど、貴方は器が広いから。きっと死者達とも踊ることが出来るだろう。一、二、三と数えて。尻尾を削ぎ落すように、そこに在るものが、かつての姿を取り戻すように。祝祭。軽い靴音を鳴らして石畳を叩くようにして。千切れてしまった手を取れば骨に触れていたことに気付き、戸惑い手を放す。そこは尻尾だったか?……沢山の姿を学んできたようだ。こんなものは国の外、星の外を探したって中々いないものだから。自分だって初めて見たんだ。記憶の処理が行われど、魂に紐づくものだ。誰にも奪えやしないのだから生きている間に必ず見た方がいい。丁度そこにチケットがあるから自分の分を捥ぎっていけばいい。今度また見にこよう。その時は自分も行くから、予定を確認しておいてくれないか。

 勉強になるからよく見ておくように、と言い聞かせようとしたかつての後輩は既に貴方に接続されているからもうこうして満足に踊ることも出来ない。ホールには悲鳴だけが残った。体を置き去りにするとは正にこのこと。ダンスフロアに三人きり──否、貴方というものは夥しいほどいるのだから。何処にライトを照射すればいいのかすら分からない。よく言い聞かせておくから、注目するのはそんなことではないと。

 そうこうしているうちにほとんどこの部屋は貴方でいっぱいになってしまった。そうでない場所だけが私達であるみたいに。私?……俺?先ほどまで床に転がっていた羽虫とも今は同じ体を共有しているのだから。虫は好ましくないが、これもまた命だから。貴方が嫌う行いはしないと固く決めているから、野暮なことは言わない。


 斯くして、部屋には二つの死体が残った。

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