第17話 普通との境界

「ねえ、思ったんですけど」


 アキの問いかけに環は顔を向けることなくただ耳だけを傾けた。指を差して何かを示したり余程の緊急事態でもない限り、環はわざわざ顔を向けない。アキもそろそろそれに慣れてきたのか、彼が話を聞いている前提で続ける。


「私って宇宙人の所為で家に住めなくなったじゃないですか」

「そうだな。お前からそう聞いているが」

「私は運良くここに貰われてきましたけど。運の悪い人達ってどうなるんでしょうか。暇だと考えなくていいことばかり考えてしまうんです」


 そういうことはいざ自分がその立場になって考えればいいのに。

 今日はベルトコンベアも静かで一度目の記録が終わってから中々次が流れてくる気配も無い。その間二人で白湯を飲んだり、元々環がそこまで喋る方でもないということもあって漠然と時間が流れていた。

 アキは昔アルバイトをしていたスーパーの休憩室を思い出していた──働いていたのは四時間で休憩と言っても十五分ほどであったが、狭い休憩室にはロッカーが並んでいるだけで何も無かった。ただ床がカーペット状になっているということもあり、長い休憩時間を与えられているパートの人間達がそこに座り込んでいる姿をよく見かけていた。彼等は各々間隔を空けて携帯をいじっていたり本を読んだり、中にはブランケットを持参して昼寝をする者もいた。

 何を咎められるわけでもないのだが、アキはその空間が苦手だった。空間で各々が別の事をして沈黙を保っている空気に耐えられず、だからと言って彼等に話しかける勇気もない。そのため休憩時間は廊下や給湯室の前を行ったり来たりして過ごしたものである。

 長机に備え付けられた席に向かい合うように座り、環と二人で過ごす沈黙は悪くない。悪くはないのだが、それとは別に彼とは自分から声をかけても話してみたいという欲求があった。かつてのバイト先ではとても考えられないようなことだ。


「宇宙戦争が理由でなくとも故郷を追われる人間というのはいるんじゃないのか」

「いたでしょうね。でも貧民街や国外に出て行くって以外は知らないんですよ。学校や親だって一々子供にそんなこと教えたりしない」

「社会から弾かれない前提で育てるからな」

「そう、だからいざその立場に成った時に苦労させられるんです」


 まるで今みたいに──アキは力無く背凭れに凭れ込む。パイプ椅子の背凭れは長時間凭れていると背中が痛くなる気がするが、そこまで長い間ベルトコンベヤが稼働しないことも無いだろう。待たされたところで今度は部屋の中を歩き回って体を伸ばすのもいい。そうしたところできっと環は自分に興味を示さない。

 環は白湯の入ったコップを傾けながら平坦なトーンでさも他人事のように言った。二十九歳となれば子供がいたところで精々赤ん坊か幼児ぐらいだろうし、何よりアキの目には彼に子供がいるようには到底思えなかった。単純に今までの人生でそのような窮地に陥らなかったから、そんなことも考えなかったのかもしれない。

 どんな人生を辿ってきたところで考えない人は本当に考えないこと──不明確な事象についてあれこれと考えるのは無駄だと分かっていても、そう言い聞かされても誰かと意見を交換したくなる。悪い癖だと思ってはいるものの環は何だかんだ自分に付き合ってくれるのが分かっているためこうしてつい甘えてしまう。


「一人、覚えがある。昔の勤め先に派遣された処理業者だな」

「使ったことはないけど、聞いたことはあります。戦地になった場所から物を回収したりとか、不審死体を運んだりとか……してるんですっけ?比較的新しい仕事だって習いましたけどピンとこないんですよね」

「大体合ってる。俺の時も上司が宇宙人絡みで呼んだからな」


 アキにも処理業者自体に覚えはあった。

 社会科の授業で少し触れる程度に習う仕事程度の印象しかなかったが……この国にも一応職業差別を忌避する風潮というものは根付いているが、この「業者」というものは極めてピンキリであった。アキが暮らしていたような閑静な住宅街で見かけることはまずない。大声では言えないものの「金を出せば何でもする仕事」という印象が暗黙の了解となっていた。

 この国が現在の形になる際、元在った警察や消防などのシステムを再編成した。国境警備から流通に至るまで様々ものが国営化され──其々が国の機関の一つという認識になっている。自分達が「役人が」と言う時は大体それらの何処かに所属している者達の事を指し、例えばアキの住んでいたマンションを封鎖したのもまたその役人である。

 さて……それだけ機関があっても国内に蔓延る問題、宇宙戦争が始まってからは役人だけでは手が回らないというのが一般的な見識だ。

 そこで国は溢れた仕事を処理する為に国民が個人事業主、或いは一人会社として働くことを推奨したのである。実際就職難の時代にはある程度学歴が有る人間であっても企業に属することはなく、そうした業者になる者がいたという。

 利用しないとは言い切れないが、自分の子供になってほしいか?といえば別問題──差別意識とは無縁のように思える自分の両親ですら、もし自分がそういった仕事をしたいと言えばいい顔はしなかったかもしれない。

 

「その時は回収業務でな、戦地になった場所へ物の回収を頼んだんだ。封鎖された後じゃ手続きが面倒くさいからな。上司は止めたが、俺もついて行った」

「意外です。私のマンションみたいな危険な所でしょう?」

「余所者に地図だけ持たせて取ってこいというのは酷だろう」

「うーん……先輩がここにいるってことは無事に済んだってことですよね?」


 何事も無いように業者に同行したことを話す環にアキは思わず目を見開いて驚いた。何の為に雇った業者なんだ──という常識的な疑問は一先ず置いておくとして、命知らずとしか思えない行動力に思わず口をあんぐりと開けてしまう。

 アキをはじめとする国民達はいまだ上位生命体──宇宙人と呼ばれる生物の姿を知らない。それどころか兵器の正体を掴むことすらできず、ただ溢れる不審死に怯えているだけなのだ。勿論政府は何かしらの情報を掴んでいるのだろうが、一般市民には何も分からない。

 だからこそ多くの人が得体の知れない場所に行くことを忌避し、人を雇用するというというのに……。

 環はそれがさも当然といった様子で強調することもなく、むしろ驚きっぱなしのアキに首を傾げていた。


「俺は、無事だ」

「含みのある言い方で嫌ですね……」


 何だか投げやりな返答のように思えて仕方がない。

 ここに五体満足で立っているのだから何かしら負傷したとしても軽傷ではあったのだろうが──アキは益々環という人間の事が分からなくなっていた。

 元々何をしても鈍い人、反応に乏しい人だとは思っていたものの……こういった人間のことをクールな人というのだろうか。それにしたって今回の件はやや常軌を逸している。彼はあくまで一般市民の筈だが、もしかして戦闘経験でもあるのだろうか。だとしたら今後その話を聞く機会があるのだろうか。

 呆気にとられるアキを余所に、環は平然と白湯入りのコップを傾けている。

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