第13話 雪踏虫

 稼働するベルトコンベヤに乗せられてやってきたのはまたもやトレーであった。トレーの色は内容物によって度々変化する。今回は白だ。

 もうこのトレーが流れてくる時は小物や色がベルトコンベヤに近く見落とし易いもの……という印象はアキの中にもあったものの、環とアキではこの現象の受け止め方が異なるようだ。

 環の表情が僅かに強張っているのをアキは見逃さなかった。勿論、それを揶揄うような真似もしないのだが。彼は自分の好みで仕事のパフォーマンスを落とすような人間でないと分かってはいるものの、アキは環がベルトコンベヤに近付く前に進んでトレーに乗せられたものを確認した。


「これは完全に虫ゾーンに入りましたね」

「救いがあるとすれば色と形がマシってことか。これは……蝶か?」

「多分、蛾ですね。胴と触覚が太いので」

「俺は正直どちらでもいい」


 以前流れてきた虹色の虫の際は両者共に手を伸ばすことを躊躇したが、今回に関してはアキが虫に指を近付けた。環はアキの一歩後ろで控えている。

 白いトレーの上に乗った虫は一見すると蝶の様だ。翅を閉じた状態で横たわっている。この状態でも15㎝ぐらいはあるだろうか。蝶にしては大きい。アキの言うように青みがかった黒い胴体は太く、言われてみれば触覚も太い。二枚の翅はミントブルー……緑青と呼ばれるような色を更に薄めたような淡い色をしている。

 虫という存在自体を苦手としている人間でなければ無意識に「綺麗なもの」としてカウントするようなビジュアルではなかろうか。例の虹色の虫の時と比較して、環の表情もいくらか緩んでいた。


「一見オオミズアオっぽいですけど、こんなに青くはないんですよね。むしろあっちは緑で……羽を広げて10㎝ぐらいだった気がして」

「近年数を減らしていると聞いたが」

「ご存じでしたか。私の地元はまだ見かけるんですよ。前にも言いましたよね、私の地元はここ一区じゃあないんです」

「一区以外でも自然は失われつつあると聞いているが」

「まあ、うちはちょっと例外だったかもしれませんね。今でも自然って呼べるような景色がそこら中にあったので」

 

 そのまま絶滅してくれても一向に構わないのだが。

 環の脳裏に緑の蛾の姿が浮かぶ。かつての隣人が写真を撮って見せてきた綺麗な虫──虫に綺麗も何もあるか、という気持ちは今でも変わらないようだ。

 基本的に社外に出ることがない環やアキには関係のないことだが、ここ一区は自然が少ない。元々資源に乏しい土地だったという。

 一区とは対照的にアキの地元はその中でも緑と水に囲まれた豊かな土地であった。アキの通っていた高校の屋上からは山が見えたし、最寄り駅から下り列車で終点まで一時間ほどかけて移動すれば山登りの体験は出来る。

 そうでなくとも一区と比べれば町であっても静かな所だ。アキの暮らしていたマンションの傍には公園、車通りの少ないいくつかの道路と寂れた商店街。それらの間を生めるようにして木々が並んでいる。

 世間には区一つ丸々地下に埋まり、生活のほとんどが自動化された地域も有るというのだから、ある意味ではとても前時代的な生活様式が残っていると言えるだろう。


「隣の区から遠足とかキャンプに来る学校も多いですよ。うちの区は比較的に周辺区域と友好関係を築けている方だったので。学校の移動教室や合宿で行くような宿泊施設なんかもちらほらありますからね」

「そうなのか」

「といってもどういう繋がりなのか知りませんけど。技術提供をしているだとか、学校で習ったものでいえば軍事同盟ですとか。後者の方はもう長らく機能していないですけどね」

「団結こそしていないが、人間同士で争う機会は減ったな」

「余裕も無いんでしょうねえ」


 アキはいざ自らが被害に遭うまでは地元は安全な場所だと考えていた。

 貧民街の類ならばまだしも自分が普段生活する範囲内であれば何の問題もない。自分の地元を治める組織のスタンスに拠るものだとは思うが、場所によっては住民に徴兵が課せられ定期的に軍事訓練をさせられるだとか、若者が国外に連れ出されるというような話も風の噂で聞いている。

 一応アキの住む区も軍事同盟自体は残っているとは聞いているが、アキの両親の世代では既に周辺区域と争うようなことは無くなっていた。

 現代では緊急事態において助け合う仲間──というような漠然とした安心材料としてアキをはじめとする住民達の中に残る程度に留まっている。技術提供の方はさっぱりではあったが。


「ところでコレなんか冷たくないですか?」


 アキが蛾にそっと触れない程度に手を伸ばすと指先にひんやりとした感覚があった。ドライアイスに手を翳した時や保冷剤に触れた時のような感覚だ。先ほどまではそのような冷気を感じることはなかったものの、今は視認できる形で蛾から白い霧のような物が漂い始めている。


「過冷却霧」

「冷蔵庫を開けた時みたいな感じですね。こんな虫がいるなんて聞いたことも見たこともないですよ」

「ああ」

「量産出来るにしても高値で売られて金持ちのコレクションになるでしょうし……それならそれでもっと知名度があると思いません?名前だけは知っていても食べたことがない高給料理みたいなものって結構あると思うんですよ」


 今は何らかのメディアに触れる環境にあれば誰でも情報を見聞きできる時代だ。一学生でしかないアキが新種の青い害虫の事を知っていたように。希少さ、物珍しさで言えば自ら冷気を発する虫の方がいくらか話題性が有るだろう。

 珍しい生物をコレクションする富裕層がいるというのは両者の共通認識であった。環はアキの言葉に頷き、蛾に近付くことはしないもののアキの影からまじまじとそれが霧を発する様を眺めている。


「新種の虫だとしてこんな所に運ぶより然るべき場所に送るべきだと思うんですよ」

「ごもっともな意見だ」

「でしょう?欲しがる研究所なり教育機関は沢山あると思うんですよね」


 どれほど冷たいのか興味はあったが、アキは虫に触れることが出来なかった。アキは依然授業で読んだ教材のことを思い出していた。虫を手掴みにし、バラバラにしてしまう描写が印象に残っている。触角が欠けていたような気がする。とにかく自分の所有物でなくとも、何となく価値を損なうような真似をすることは憚られたのだ。

 仕事のルールに則るのであればこの後、環か自分はこの蛾にシールを張るだろう。ここで処理された物がベルトコンベヤの先でどのような扱いを受けるかは不明だが……少なからずシールを張った時点でコレクションとしては傷物。そして何より無傷でシールを剥がすというのは至難の業だろう。

 もし自分が見つけた虫であればまずSNSか何かに写真でも投稿した後に取材依頼を受けたりして、最終的には一番高値で売れる所に売ってしまうのに。

 途端に勿体ないと感じてしまう。背後の環が何を考えているのかは不明だが、少なからず庶民として生活しているのであれば恐らくこのようなことを思いつくだろう。


「シール、貼らなきゃ駄目なんですよね」

「そうだな」

「この虫……本当何処から来たんでしょうね。勿体ないです。これ売れたらしばらく生活に困らないだけの金が手に入ったでしょうに……」


 何かを言う前に環はそっとアキの背後から席に戻っていった。虹色の害虫の時と同様、体に触れたくないのであろう。今回は記録に回るらしい。

 アキには物の価値を損なう行為に抵抗が有った。当然と言えば当然の感覚だが、そういった事柄にあまり拘りを持っていなさそうに見える環に代わってほしいというのが本音であった。

 然しながら、分かっていて苦手な物に無理やり触れさせるということも憚られる。アキは懐からシールを取り出すと何度か躊躇った末に翅に張り付けた。

 シール越しに伝わる体温は氷の様に冷たいものだった。

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