第11話 誘人灯

「これは街灯か?それとも電柱?」

「いや誘蛾灯ですね。私の町にはこういうのよく有るんですけど。それにしたって巨大ですよ。そんなに高い位置まで羽虫が飛ぶとは思えません」


 そんなものがいくつも街にあってたまるか。

 環は言葉を飲み込むと、ベルトコンベヤに横たわるようにして流れてきた柱を見下ろした。柱の部分は黒い金属で、上部には街灯のように照明が取り付けられている。照明部分を上部にして出てきたものの、柱の下部がまだ隣の部屋に続いているあたり全体がベルトコンベヤに収まりきらなかったのであろう。通常の街灯よりはいくらか巨大な柱のようだ。

 環にはあまり馴染みのない器具であったため、街灯と見分けがつかなかった。然し疑問を口にする前にアキが「地元にあるものとよく似ている」と遮った。


「前回に引き続き虫ゾーンなんですかね?」

「不吉なことを言うな。だとしたらさっさと抜けたいんだが」

「まあまあ、本体が出てきたわけじゃありませんし。でも数で言えば前回の虫よりも悪質かもしれません。こういう誘蛾灯の下には大体水を張ったバケツを置いておくんですけど……」


 顎に手を当て誘蛾灯を見下ろすアキ。

 用途自体は環も知っている。自らが一時期滞在していた区でも見かけたことが有るからだ。街灯とは異なり下に桶のようなものが設置されているのを見て、興味本位でフラフラと寄っていく自分を隣人が黙って止めたのだ。そういえば一定間隔に並ぶ街灯とは異なり、ポツンと一本立っているな……と思った時には手遅れだったのだが。鍋のアクを思わせるような茶色の水だと思ったものは全て虫だったのだ。

 そうした使用用途から察するに。これが外に配置されていたものであればライトの部分に羽虫が複数触れ合っていたであろう。にもかかわらず平気でこれはブラックライトか?などと形状の話をする姿に環は一人取り残されたような心地を感じていた。

 確かに出身で言えば彼女同様、又は異なる方向性で自分も田舎者と呼べるのだろうが──虫に馴染みのない地域から出てきた者にとってはその量も質も受け入れ難いものなのかもしれない。本体が出てきていないというのに、虫に関連する事柄から逃れたいと感じるあたり自分が思う以上に身体が虫を拒絶している。


「でも街灯にしたって巨大ですよ」

「あと何メートル有るかだな。これを流す時に見る羽目になるだろうが」

「他に特筆すべきこともないですし、流しますか?」


 一先ず虫に関する話題から抜け出せたことはよかった。

 アキは誘蛾灯の全貌が気になっている様子で部屋の端から端を行ったり来たりしながら大きいだの新品だのと感想を漏らす。

 環自身は誘蛾灯の全貌などはどうでもよかったが、今はただ一秒でも早く虫に関連する自称から抜け出してしまいたかった。仮に虫本体が出てこなかったところで、耐性のあるアキが嬉々として虫の話をするだろう

 自分が記録行くと言いかけた彼女に首を横に振り、環はアキを置いて自分が席に着いた。ツールを立ち上げてさっさと入力事項を埋めていく。


「シール持ってるな?もう貼っていい」

「ライトの所に貼ればいいんでしょうかね。ってうわ……これ光りましたよ!」


 環の確認とほぼ同時にアキはシールの束から一枚抜き取って誘蛾灯の照明、その傘になっている部分にシールを接着する。

 その途端、当然電力の供給を失い倒れているものだと思われていた照明からは青白い光が灯った。至近距離で誘蛾灯と接しているアキが思わず両手で目を覆い、後退るほどの光である。

 データを送信した後、環も思わず席から立ち上がった。自分の席からでもこう眩しい光であれば目が悪くなるかもしれない。そもそも電力供給を失っても尚光り続けるというのは異常事態に外ならない。


「光だけじゃないんです。あれが光ってから頭がこう……ぐわんぐわんとして、真っ直ぐ立つのもきつくなってきました。酷い頭痛みたいな感じで……」

「背中を向けてなるべく距離を取れ。少しすれば流れるからそれまでの辛抱だ」

「離れようって思えないんです」


 環は一瞬、アキの言葉を理解することが出来なかった。

 一先ず体調不良の原因をこの誘蛾灯が発する強い光と仮定して──有害なものからは距離を取るというのが自然な発想だ。アキも自分もこれが原因であることには察しがついている。

 然しながらアキは覚束ない足取りで何とか誘蛾灯に背を向け、途中まで来たところで足を止めてしまった。一応発しているものは光のようにしか見えないが……ここで彼女を置き去りにしたところで何が起きるかも分からない。

 環の場合はいくらか身体が動いたため、直立不動のままになった彼女に歩み寄って腕を掴むと体を支えるようにして壁際まで移動していった。そうしてアキの身体を壁側に向け、自分は誘蛾灯と向き直る。


「あれが流れたら暫く休めばいい」

「すみません」

「長さの件は見ておくから、今はなるべく光を目に入れないようにしろ」


 青白い光はいつしか白い部屋を内部から塗りつぶすほどに拡散していた。

 自分は直視してもただ眩しいだけで、現在のアキのように頭痛のような感覚も無ければ心境に変化があったわけでもないが……これが外に刺さっていて、今のように作動したなら。近隣住民にどのような被害を齎しただろうか。

 光の影響を受けたアキは環の隣でしゃがみ込み、項垂れている。その傍で環は光を直視することが出来ていた。眩しさからそこで何が起きているかは不明だが。

 やがてベルトコンベヤが作動を始める。光と白に満ちた空間の中、黒い柱は一本の線のように際立っていた。

 環の前を横切る柱は三十秒ほどかけて目の前を通過した。体感時間ではより長く感じられる。それほどまでに何メートルも、彼の想像を超えて柱は長かった。

 呆然とする環の隣で、アキは今だに頭痛に呻いている。

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