第9話 正しくはない初めての死

 自分の寝相を思い出すことが今後の人生において何度あるだろうか?

 仰向けになって眠ったはずが例えば右向きになっていたり、布団を蹴飛ばしていたり。時には胎児のように丸まっていたり……朝目が覚めた時の状態の事だ。

 他の人間はどうかは分からないが、アキは普段目が覚めるとまず頭が回らない。自分がどのような姿勢で寝ていたかを憶えていた試しがない。

 着替えたり顔を洗ったり、朝食を食べながらニュースを観ている間などにすっぽりと頭から抜け落ちてしまう。それだけどうでもいい記憶だと言えばそれまでなのだが、たまに誰かと寝相の話になると「そんなことをよくもまあ憶えているものだ」と感心したものである。

 アキの中で最も新しい寝相の記憶と言えば中学で行った修学旅行で、同室のクラスメイトに布団を蹴っ飛ばしたままうつ伏せになって眠っていたことであろうか。無断で写真を撮られ、後日携帯にその時の写真が送られてきたを微かに覚えている。残しておくほどの価値も無いと保存すらしなかったのだが。


「気分はどうだ?」

「……良くはないです。寝起きみたいで」


 アキは職場の白い床の上で仰向けに寝転がっていた。

 唐突に寝相について考え出したのはこれが原因である。アキ自身勤務態度が良い方ではないという自覚はあるものの、流石に仕事の最中に床に横になって寝るほど態度は悪くないと自負している。睡眠薬の類を服用しているわけでもなければ、就寝時間の面からも寝不足はあり得ない。

 それがこうして職場の床に仰向けに……それも大の字になって寝転んでいるというのだから流石のアキも嫌な汗をかいた。

 見下ろしているのが環一人というのが幸い中の幸いではあるが、少なくともアキの体感で言えば現状は長い眠りから覚めたような感じ。欠伸こそ出てこないが、今寝転んでいる場所が布団の上であったなら平気で二度寝だって出来てしまいそうだ。


「慣れるまでは大半がそう感じるみたいだな」

「えっ職場で堂々と寝落ちしてたってわけじゃないんですか?」

「お前は死んだんだ」


 環の言葉によって寝落ちの可能性が否定され安心したのも束の間、次の言葉にアキは思わず勢いよく上体を起こす。環は立ったまま平然と普段と変わらない無表情でアキを見下ろしていた。


「死んだってどういうことですか。さっきまで仕事はしていたんですよね、私」

「即死したんだよ。さっき流れてきた箱覚えてるか?」

「箱……あのクッキーの缶みたいなやつですか?」


 話が長くなると感じたのか、寝起きで倦怠感が残っていることを気遣ったのか環はアキの隣に腰を下ろした。依然状況が読めていないといった状態のアキとは対照的に落ち着いている。

 もし本当に相方が死んでいたというならもっと取り乱したり、目を覚ましたことを喜ばない……?こんな顔をしていながら大掛かりな冗談に付き合わされている可能性もあったりする?

 追い打ちをかけるようにして告げられた「即死」という言葉にアキは首を傾げた。

 即死。即座に死亡すること──アキにとって身近な即死といえばRPGの即死呪文ぐらいだ。味方が覚えれば心強く、敵が使ってくるものは嫌らしい。運悪く食らってしまうと一体持っていかれてそこからパーティーが崩壊するような……破壊的な呪文だ。然しながらこの世界にそんな魔法は存在しないし、環の言葉を考慮するならそこまで非現実的な死に方をしたわけでもなさそうだ。

 箱──アキは冴えない頭でぼんやりと意識を失う前の記憶を手繰り寄せる。ベルトコンベヤから流れてきた物を普段通り環と協力して捌いていた記憶はある。その最後に……赤くつやつやとした何の変哲もない缶が流れてきたことを朧げに思い出す。


「思い出しました。あれを触って何かあったんですか?」

「箱を開けた瞬間に倒れた」

「倒れた」

「仰向けにバタンと」


 先輩は恐ろしいことをつらつらと話す男だと思う。

 冗談にせよ、事実にせよ。もし倒れたというなら自分が咄嗟受け止めただとか気の利いたことが言えないのだろうか。

 仰向けに床に倒れたというのであれば当然体は打ち付けているであろうし、脳震盪を起こしている可能性もある。ところが現在のアキは無理やり早朝に起床した程度の倦怠感がある程度で、特別痛かったり苦しいといった感覚はない。

 クッキーの缶……外観は赤く、中はベージュに赤の花柄の子供が好きそうな缶だった気がする。小学生時代に自分が使っていた缶のペンケースを思い出して、環に断って自分が観察を申し出たものだった。環はその時記録をしにパソコンの前に座っていたのだから、確かに受け止めろという方が無理な話なのかもしれない。


「それから全身に赤い湿疹のようなものが出たな」

「不審死っぽいですね。私、今のところ持病とかないんですけど……」

「みるみるうちに全身が真っ赤になった後、パッと切り替わった」

「切り替わる?」

「今の姿になった。目を覚ますまで時間はかかったが、痛くも痒くもないだろう」


 環はパソコンに備え付けられた座席からその様子を眺めていたのだろうか、或いは駆け寄ってきてくれたのだろうか……どちらにせよ彼の言っていることが事実だとしてもそういった理解不能な現象には慣れっこといった様子である。自分は逆に環が亡くなったところなんて一度も見ていないし、不公平だとも思う。

 自分が眠っている間にも流れてきた仕事を処理していたと話す環に、アキは改めてこの退屈な作業に二人の人員をざわざわ割く必要性について考える。

 今のところ環は冗談を言わない人間である。言えない人間なのかもしれない。

 そうだとして、彼が言っていることを全て鵜吞みにするとして……随分な死に様と結構な再生能力じゃない?自分はここに来て超人にでもなってしまった?だとしたらそのタイミングはいつ?

 アキは環の隣で袖を捲って手や腕に異常が無いか確認しながら、ふとある一つの言葉を思い出していた。


「『正しい死因以外で死ぬことができない』」

「ああ、それの実践だ」

「うわあ……アレ嘘じゃなかったんですね。先輩は死んだことあるんですか?」

「前任者の時に何度か。言わないだけでもっと数があるかもしれない」


 アキはアルバイトとして雇用される際の契約内容を思い出していた。正しい死因が何であるかは分からないが、とりあえず不可解な死からは守られると言うことだろうか?……軽い気持ちでサインをして現在に至るのだが、まさかこうして契約の効果を突き付けられることになるとは微塵も考えていなかった。

 環の口振りからしてそれほど珍しいことでは無いようにも思える上、環自身も何度か自身の死を知らされているというのだから驚きだ。当然のことながら環の顔には相も変わらず驚きも恐怖も感じていないといった無表情が張り付いている。


「これ一体どういう技術なんでしょうね。施設全体にかけられている効果なのか、私個人に与えられているものなのかも分からない」

「よくそんなこと考えるな」

「気になりません?回復しているのか、巻き戻してるのかとか。そもそも傷付いた事実が無かったことになっているのかとか。今挙げたようなものは既に商品化されているし、わざわざ隠すってことは何かあるんでしょう?」

「開発中の技術かもしれないな」


 アキの頭はすっかり冴えていた。

 環が死んで蘇ったというなら労働者全員にこうした現象が起きているのだろうか……隣の部屋を覗けない以上はそこで何が起きていることは知る由も無いけど。

 ベルトコンベヤによって同じものが運ばれた先に同様に労働者がいるのなら、ここで起きたようなことが再び起こり得ることは想像に容易い。わざわざそんな失敗を起こす必要も、同じ物の記録を取る必要も無いけども。

 饒舌になって話始めるアキを余所に、環は環で腕を組んで物思いに耽っている。


「でも私みたいな何の後ろ盾もないホームレスが死んだところで、わざわざ生き返らせて働かせる必要があるようにも思えないんです。死んでも困らない人じゃないですか、私達のような下っ端って」

「ごもっともだ」

「否定してくださいよ。まあいいんですけど。一番ひっかかるのはそこなんですよね。これからも危険があれば都度生き返るんでしょう?」

「だと思う」


 ここの仕事が長いと自分の置かれている状況とか、技術だとかそういうことに無頓着になるのだろうか……或いは全て知った上で諦めてしまうような事実があるのだろうか?相変わらず「これまで」について頑なにぼろを出さない人間だと思う。

 あぐらをかいた足に肘を突き、頬杖の形で見下ろす環にアキはため息を吐いた。


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