抱き留める土塊

 ある日の朝。アキは作業室に電子ケトルを持ってきた。

 というのも環曰く「隣室から運ばれてくる荷物を壊したりしないのであれば外から物を持ち込んでもいい」という話であったからだ。

 当然、アキがこの施設に採用される前に面接で渡された就業規則の紙に持ち込み禁止の物のリストはあった。携帯電話、撮影機器といった機密保持を理由に締め出されがちな機器の名前がずらりと並んでいた。


「それで、これか」

「それでこれです」

「他に金の使い道は無かったのか」


 物の持ち込みを提案したのはアキではなく環だった。

 放っておくと延々と喋っているアキに対し、環はまだ自分よりもずっと若いであろうアキが退屈しているのではないかと気遣ったのだ。仮にもしアキが高校三年生の十八歳であっても十歳以上離れている。

 自分は退屈でもぼうっとしていれば済む。あそこの国がもうすぐ陥落しそうだやれあの区はもう駄目だなどと戦況をシミュレーションしてみたり、それにも飽きたら天井のシミや床の汚れを数える。いくらでも沈黙の中で暇を潰すことができる。

 然し、アキはそうではない。ご丁寧にアキ本人が環に自己申告までしてきた始末である。

 近年ゲーム機器には録音や撮影機能が付いているため、環はゲームを勧めることは出来なかった。それならばと雑誌や小説の類を勧めた結果、彼女が持ってきたのは電子ケトルと紙コップであった。彼女は自分のマグカップも持参したが。

 環は特別飲み物に拘るタイプではなかったが、茶葉やコーヒー豆の類が無いことを訪ねるとスペースと処理の問題であると回答された。

 それは確かに。

 ここに来る前に財布を盗まれたと話していたため、この施設の日払いの給料で買ったのであろう……環は自分と白湯を飲みながら雑談をする為だけに用意されたセットを見下ろす。やれやれといった様子で手元のコップを白湯で満たした。


「そういえばお前今いくつなんだ」

「先輩が私に何か聞いてくれるのってはじめてじゃないですか?」

「何も聞かないのも悪いと思ってな」

「十五です」


 即答。環の予想は外れた。

 環はアキの年を漠然と高校二年生ぐらいだろうと考えていた。

 確固たる自信のようなものはないが、この都市の受験生という生き物には何かに急かされているような切迫感がある。模試で志望校の合格判定にEランクを出したとかそれ以前に受験を前に家と家族を喪ったとあればその絶望たるや。

 アキにはそのようなものがない。むしろ浮かれていると言っていい。

 とは言っても、高校に進学したばかりの生徒というのはかえって大人しいとも考えていた。慣れない環境──むしろ環境に慣れ、勝手を知りつつ受験に追い立てられることもない高校二年生ぐらいが一番楽しくいられる時期だと思っていたからこその予想であった。

 誕生日はいつなのだろうか……高校に入学したばかりで両親を失い生活も居場所も失ってしまった可哀想な子供、というには些か元気が有り余っている。戦災孤児の知り合いがいるわけではないが、それでもアキは世間一般的な戦災孤児のイメージから遠くかけ離れている。

 今度お菓子も持ってこよう、などと独り言を言う程度には。


「思ったより若かった」

「老けてるって言いたいんですか」

「現実を割り切れる若者は珍しいからな」

「先輩だって若者でしょう?一体いくつなんですか。あっ待って、言わないでください。当てるので」

「二十九だ」

「ひどい」


 アキは環の前で目を丸くした。それほどに驚き、普段の途切れない会話の長子の中では珍しく言葉を詰まらせた。

 それは用意していた予想とぴったり一致していたからか。はたまた思っていた以上に若かったのか、それとも老けていたのか。環は年齢や容姿といったものに無頓着ではあったものの少しだけその反応の詳細が気になった。勿論、わざわざ聞き返すほどではなかったが。

 腕を組んで考える素振りを見せている最中に本人から即答されたアキはせっかく考えていたのにと小言を言っている。


「そういえば私、ここで他に働いている人を見たんですよ」

「そりゃいるだろうな」

「今日まであの社員さんとしか会わなかったから。多分私より若い人でした。それとうちの国ではあまり見かけないような感じの人。それで少し思ったことがあるんですよね」

「何だ」

「まだ確信はしていないですけど。行き場がない人とか、何も知らない人達が集められてるんじゃないかって思ったんです」


 この国は広い。その国土は最初、丸のような形をしていたという。

 国家間での戦争の果て、数十年という時をかけて今では羽を広げた蝶のような形をしている。元々は国であった地域が次々とその丸の一部になった結果だ。

 アキのような戦前を知らない子供からすれば「頻繁に国土の形が変わるんじゃ土産物を作っている会社は大変だ」という程度の話ではあるのだが。

 それでも異民族の存在は元々その丸の中で暮らしてた住民達には珍しく映った。これだけ近代化した社会においても、馴染むことが出来ない。仕事から溢れることも珍しくなく、違法な仕事に手を染めることも珍しくないとアキは聞いていた。


「未成年や異民族を雇うところ自体がほとんど無いっていうのに。この時給、この待遇で何人も雇うなんて。お察しですよね?きっと何か訳アリなんでしょう」

「そうかもしれないな」

「具体的に何があるってのは分からないですけど。でも、死んだとしても誰も困らないような人が集められてるんだなと」

「ああ」

「国にとって減らしたい人だったり。それにしちゃ死なないって条件が引っかかりますけどね」

「そうだな」


 アキは見かけた若者と自分、そして異民族が同列に扱われていることからその思考に思いついた。

 この国は無法地帯がある一方、変に法律が厳しい所がある。例えば未成年者の労働が一部を除いて禁じられていたり、区によっては異民族が表向きには労働が禁止されていたりと理不尽な箇所がある。当然の事ながら罰則も用意されている。だからといって社会のレールから外れた人間をこの国は守らない。同時に差別を助長しているようにも思える。

 そして恐らく……これは国の施設というのだからその抜け穴に該当する。

 身体を売ったり、反社会的な活動に参加するよりかは聞こえのいい仕事だ。

 自分も若者も異民族も。きっとそう思ってこの仕事に飛びついた。相手もそれは想定内のはず。

 何も考えないで働ければ楽だったろうに。アキはマグカップの中身を飲み干した。


「何が危険なのかは知りませんよ。土地なのか、物なのか、人なのか。ウイルスなのか放射線なのか。目的だってサッパリです」

「それを考えて辞めようとは思わないのか」

「辞めたら生活が立ち行かなくなるじゃないですか」

「そうだな」

「こういうの気付いたら死んでるって人多いんでしょうね」


 昔に教科書だか、教育ビデオでそういうの見たんです。

 アキはテーブルに頬杖を突く姿勢でベルトコンベヤの方へ視線を向ける。

 遠い昔、この国が今の形になる前。戦争を始める前の時代にも事の危険性を知らない労働者達が危険な職場に送り込まれるような事例はいくつもあったという。

 エネルギー関連の施設であったり、縫製工場であったり。様々だ。

 大変な時代もあったものだと他人事のように考えていたら自らがそれを体験することになるなんて。


「何でしょうあれ」

「草じゃないか」

「私は死体に見えるんですけど」


 退屈する二人の前に一つの塊が流れてくる。

 一見すると上部を草に覆われた土の塊がベルトコンベヤの上に鎮座している。二人は塊に近付くと、視線を落とした後に二人して顔を見合わせた。

 

「これ、土まみれだけど人っぽいですよね。上の草は名前知りませんけど、見たことはあります。隣の家がベランダで育てていたものがこっちの家にまで伸びてきてかなり迷惑したものです。何度押し返しても入ってくるから最終的に壁を作りました」

「アイビーだな。雑草化もしてる」

「逞しいなあ。こういうのってシールはどうするんですか?」

「貼れなければ置く」

「単純ですねえ」


 土の塊に見える部分は全身を土や泥水で汚れた人の半身であった。所々で泥が乾いて固まっている所為で形が歪になっていて、一見しただけでは人と分かり難い。その塊を覆うようにして、或いはそこから伸びるようにして緑の蔦が絡まっている。

 遺体の頭部と思わしき部分にアキが手を伸ばそうとするのを横目に環が右腕で制止すると、アキは黙ってその場で数歩下がった。

 土塊を前に立ち尽くす環から離れ、アキは自分の席に戻るとパソコンを起動する。


「国に見せたら不審死扱いになるんでしょうかね」

「恐らくは」

「これの原因と鉢合わせなくてよかったと思うべきですかね。この施設、やっぱり戦争絡みなんですかね」

「そうかもな」


 アキは慣れた手つきで土塊の状態を入力する。

 性別は不明、顔も土に塗れて分からない。辛うじて人であることは何となく察せられるものの、着ている衣服のことも不明だ。少しだけひらひらとしている部分があるから、そこが服だったのかもしれない。全身にしては短く、成人の半身程度。

 多分、宇宙戦争絡みの死……報道こそされないが、人伝に不審死の話を聞くことはアキにもあった。臓器を噴き出して死んでいただとか、突然人体発火が起きて焼死だとか。どれも信憑性に欠けるものだが、いざ自分がそれらしいものを目にすると噂と決めつけられなくなってしまう。

 まだ出会って数日とはいえ、アキと環はハンドサインで送信と紙を貼る作業の終了を知らせられるようになっていた。

 入力を済ませたアキが手を上げると、環が土塊の上に茂る蔦の平らな箇所に挟み込むようにして置いた。そうして何事も無く土塊はベルトコンベヤに運ばれていく。入力してから数分の間隔があり、その間に紙を貼ることを想定して作られているらしい。

 アキと環ははみ出した蔦が淵にかさかさと音を立てながら運ばれていく様をそれぞれ座席とベルトコンベヤの傍から見届けた。

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