第4話 不幸自慢の下の下

「そんなに迷うような施設か?ここは」

「おっ……おは、おはようございます……」


 作業室のドアが勢いよく開いたと思えば、ふらふらと力無く息を切らして部屋に入ってくるアキを前に環は呆れたように呟いた。

 時はアキの出勤二日目。アキの手には既に皺くちゃになった職場の地図が握られている。環がちらりと視線をやると地図に赤いマーカーで線が引いてあるものの、効果は虚しくこうして十分遅れで出勤してきたらしい。

 幸いベルトコンベヤの上にはまだ何も載っておらず、環も自分のパイプ椅子の上で漠然と時計を眺めていたところだった。

 もしかしたら自分が出勤する以前に環が既に記録作業を行っている可能性はあるものの、こればかりは考えたところで仕方がない。


「94tydbqeってパッと出てくる文字列じゃないでしょう!」

「出てきてるだろう」


 それは紙を見てるでしょう……と言いながらアキは環の斜め向かいの席に座る。

 特に指示は無いが、仕事内容があの単純作業であった以上ベルトコンベヤに作業対象が流れてこなければ特にすることもないのだろう。試しに自分の手元のパソコンを立ち上げてはみたものの、開くのは記録のソフトだけでブラウザに接続したりといったことは制限されている。


「先輩、何もすること無いんじゃあ眠くなりませんか……これ」

「寝不足なのか」

「逆に先輩は寝不足にならないんですか!?」

「なぜ寝不足になるのかわからない」

「じゃあ、先輩は昨日の避難勧告無視したんですか……?」


 アキは思わず目を見開いた。

 アキは昨晩ほとんど一睡も出来なかった。宿舎の慣れない寝床でようやく就寝できそうだと思ったタイミングでのアナウンス。機会音声による放送が入った。

 思えば宿舎から誰一人出て行かなかった気もするが──それは平和なアキの地元では滅多に耳にすることのない避難勧告であった。


「いや、あれはわざわざ外に出るほどのことでもないだろう」

「ええっ……。全財産と貴重品と着替えを持って避難区域まで出たんですけど」

「昨日の避難勧告の危険度は三だろ?一区の住民は五程度までは家に残るぞ」


 口をあんぐりと開けたままのアキを前にして環は平然と答える。

 アキはカルチャーショックを受けていた。一応この国は現在、戦争中なのだ。敵国が攻めてきた、或いはその可能性があるというのに誰一人避難行動に移らないというのは異常な事であった。アキの実家では放送が入った時点で家族で避難、マンションの廊下に出れば近所の人間もぞろぞろと家族単位で荷物をまとめて出てきているというのが常であった。それが夜中や早朝であっても、である。


「私もいつか慣れるんでしょうか。ある程度都会だと感覚も違うんでしょうか」

「毎回避難行動とってたら睡眠時間が無くなるぞ。三程度の避難勧告なら、週に五回はあるんじゃないか」


 危険度というのは地震や津波といった自然災害のように国が被害状況を確認して出す指標である。ある区に観測施設があり、そこの特殊な装置で各地の状況をモニタリングしているとは習ったが……ドローンでも飛ばしているのだろうか?或いは衛星か。

 アキの暮らしていた地域では避難勧告それそのものが月に一回あればいい程度だ。そもそもアナウンス無しに突然家族を喪ったアキからすればとても信用ならない技術ではあるのだが、同時に身近に死を体験したことで神経質になっていた。

 故に環のような都会の人間という存在が分からないでいる。


「感覚麻痺してません?それほどに長期戦ですよね、この戦争」

「随分と長い事やってるからな」

「何個ぐらい戦争してるんでしたっけ?異星人と外国?」

「上位生命体と外国の二つ。外国の方は複数とやり合っている」

「ようするに得体の知れない知的生命体ってことですよね。そんなの、宇宙人ですよ宇宙人」


 アキの生まれる前から、この国は戦争をしていた。

 両親の代であればまだ何処と何処の国がどういった因縁が有って戦っているか理解しているかもしれない。が、その子供や孫の世代となるとその相関図を理解していないことも珍しくない。授業で教えることは有れど、主要なところ以外は撫でる程度にしか触らない。故にアキは二つ程度しか押さえていなかった。


「三十年前には決着が付くなんて言われてたんでしょう。その間に寿命で死んだ人も多いんじゃないですかね」

「泥試合だな。嫌でも慣れる」

「私の地元では避難勧告すら出なかったのに」

 

 正直、アキは国同士の戦争の事は把握していない。朝のニュースで何処が勝ったという知らせを目にするだけ。それは家族や住民も同じで他人事だった。

 こうして二人で椅子に座って世間話のネタとして消費する程度には戦争が日常に有り触れている。


「ここが地元じゃないのか。いつ一区に来たんだ?」

「四日前です。ここに来るの本当に大変だったんですから。関所があって」

「社員からパスポートとか貰わなかったか」

「貰いました。あんなの人生で使うこと無いと思ってたんだけどなあ……精神的に疲れましたよ。怖い人が沢山いて」

「そうか」


 アキは服の内ポケットから真新しいカードを取り出すと環に手渡した。環は掲げて透かすようにして見上げた後にアキの手元に返した。

 この国には国内であっても様々な場所に関所がある。海外に行く時の入国検査と似たような感覚だが、ビジネス目的であれば軽く通り抜けることが出来る。

 アキも社員に渡されていた企業パスポートを手に半信半疑のまま関門……改札に似た出入口をスムーズに通ることが出来たものの、精神的にどっと疲れたというのが正直な感想であった。

 出来ればもう二度と通りたくない。


「先輩ってあまり喋らないですよね」

「お前が喋る方なんだろう。何処でもそうなのか」

「まあ、色々とありまして」

「そうなのか」

「私の事情を聞いてくれないんですか?」

「出会ってたった二日の人間のことをあれこれと詮索するのはな」

「聞いてくださいよ。誰かに話したくてたまらなかったんです。閉鎖空間で単純作業ばかりしてたら退屈で気が狂っちゃいますよ」

「俺はそうでもないんだがな」

「変化のない仕事というのは永遠に感じるほど体感時間がうんと長いんです」


 会話の片手間に仕事が出来るようになったとはいえ、どうやらこの環という青年は喋らなくても平気な人間であるらしい。

 アキはふうんと声を洩らし、過去スーパーで働いていた時のパート従業員の事を思い出していた。冷凍された海苔巻きの中の具からビニールを剥がしたり、弁当に漬物を詰めるような作業を三、四時間。隣で黙々とこなしていた姿を今でも覚えている。

 話しかけるのも悪い気がして黙っていたが、アキは何度も厨房の時計を振り返り、「退勤時間はまだか?」と気にしていたのだった。


「家に帰ってきたら両親が死んでたんですよ。あと飼ってた犬も」

「よくある話だな」

「今流行ってる不審死ってやつです」

「宇宙戦争の方か」

「だと思います。役人さんが大勢来て、住んでた家どころか近所一帯が封鎖されちゃったんです。その前に家族と会えたんですけど、傷一つない死体でしたよ。でも息してなかったし、後からニュースで見たら不審死ですって」

「死に方も何も違うのに宇宙戦争絡みは不審死で一括りにされるんだよな」

 

 その時、ベルトコンベヤに段ボールが流れてきた。

 汚れも無く綺麗に組み立てられた状態である。環とアキは顔を見合わせた後、環が席に残り、アキが段ボールへと近づいた。

 アキは環に背を向けたまま無表情のままつらつらと家族の話を続ける。たった四日前の話とはいえ、まだ家族の事で胸を傷めていてもいいだろうに。アキは不思議とそれほど悲しいと思わなかった。家族との仲は良好だったというのに。

 髪を切った時、切り離された髪が生命の一部ではなく、ただの物体になってしまうような感覚に似ているとアキは漠然と考えていた。


「そうですね。それからはさっさと荷物をまとめて、孤児として自分の住んでた区を出ました。厳密には区内の貧民街ですけども」

「行政の手が届かない所だな」

「そう、意外と距離が無いんですよね。行ってみて改めて、あそこから貧しい人たちが雪崩れ込んでこないって凄いなあって」

「関所と警備のお陰だろうな」

「でしょうね。それで、ああもう戻れないなあ……なんて思いながら。呑気に安宿に泊まって今後の事を考えてたら、財布を盗まれました」

「大丈夫だったのか」

「大丈夫じゃないからホームレスになりました」


 アキは自分の席に戻り、ソフトを用いて段ボールについて粗方の情報を打ち込んだ。そうして送信した後に環の傍へと歩み寄ると、両手をポケットに突っ込んだままぼうっと天井を見上げて話を続ける。環は段ボールに紙を貼ると、間もなくしてベルトコンベヤが作動し、段ボールは二人の前を静かに通過していった。


「で、ここの職員を名乗る人が来て、スカウトされて現在に至るといった具合です」

「大変だったな」

「今の時代不幸自慢をしたらこれでも下の上だとは思います」

「上ではあるのか」

「先輩はなんか、不幸自慢だと下の下って感じですね」


 今まで表情の変化に乏しかった環が少し驚いたような表情を浮かべたのを見て、アキは思わず笑みが零れた。遠回しに苦労をしていなさそうだと言われてむっとするでもなく、反論するでもなく。例えるならば豆鉄砲を食らった鳩の様な感じだ。

 少々遅れて「そう見えるか」と言う環にアキはくすくすと笑う。


「先輩は過去とか自分から話さなそうですね」

「話す必要が無いからな」

「別にいいんですけど。いつか聞けたらいいなって」

「お前が喋りたいんだろう。俺は話さなくても平気なんだ」

「冗談です。むしろ何も知らない方が気楽でいいかもしれません」

「そういうものなのか」

「その人のバックボーンを知ると愛着湧いちゃうじゃないですか」

「湧いた方がいいんじゃないか」

「先輩は今のままでいいんですよ。無口、無表情、無感情で変なこと言わないですし。言った言葉が染み込んでいくようで。土みたい」


 土とは何だ土とは。

 アキは四日ぶりに笑ったことを思い出した。笑った回数も笑い声も意識はしていないけど、久々にそれらが自分にも備わっていたことを思い出す。

 いつか彼の背景を知り尽くし、自分のお気に入りになった後で彼がアッサリと消えてしまったらどうしよう。

 今のご時世だから特に。アキはすっかり環を気に入っていることを実感したと同時に、現在の生活の危うさを思い返していた。



 

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