第6話 止まない雨の国
アキは環の目の前ですっぽりとレインコートに身を包んでいた。
先ほどベルトコンベヤに流れてきたものだった。この施設に流れ着くものの中では新品あるいは美品と言っても差し支えないほど状態のいいものである。
色は透明、ボタンは白。胸元に企業のロゴのようなものがプリントされたローブ状の雨除け。アキの背丈にはいくらか大きいのか袖からは手が出ず、丈は彼女の運動靴に付くか付かないかと言ったほどの長さだ。
最初環はアキがこれを手に取った時に一度は制止したものの、目立った危険性も無いことから放っておくことにした。
泥も埃も付着していない物自体が流れてくることが珍しい環境である。アキがレインコートを着始めた時、環はこれをさっさと流してしまうことを惜しむ自分に気付いた。
「きれいなのが流れてくるのって珍しいですか?服屋みたいな畳み方でしたよね」
「服の類は原型を保ったまま出てくること自体が珍しいな」
「男性用だと思ったんですけど、これフリーサイズみたいですね」
レインコートが流れてきた時、状態としては服屋に陳列された商品のように畳まれていた。アキも一度は綺麗に畳まれた状態を崩すことを躊躇ったのだが、物珍しさから気付けば手が伸びていた。
ここで働き始めて一週間以上粗悪品と睨めっこを続けていたのだ。就業条件が守られるのであれば、万が一このレインコートに触れた途端に死んでしまっても生き返る……そうして現在に至る。
アキは一度レインコートのボタンを外し、内側のタグを手に取るとサイズを確認した後に再びボタンを留めた。
「ロゴがあるが、メーカー品なのか?」
「安物に見えます?」
「知っているのか」
三角形をいくつか重ねたようなロゴマークは掠れも無くアキの胸元に残っている。
環は衣服のブランドに詳しくない。ブランドが傘などの雨具を売っていることは知っていた。
雨具自体にブランドが存在するのか。そもそも雨具なんてものはスーパーなどで安価に手に入れる、生活用品の域を出ない物というのが環の正直な印象であった。
「これは良いものですよ。十区で生産されたものなので」
「よく知らないが、そうなのか」
「十区は雨が止まないことで有名でしょう。これはそれを防ぐものなんですよねえ」
十区は元々別の国だった。アキや環が生まれた時には既にこの国の一部であり、自治を認められた地域である。
ピンと来ていない様子の環にアキはジェスチャーを交えて特色を説明し始める。いくらか世間知らずなところがあるのか、或いは学生時代に地理の授業をまともに受けていなかったのか……見た目に特徴こそないが、異民族なのか。
もっとも自分自体が授業をまともに受けていない身だから偉そうなことは言えないのだが。アキはあえて黙っておくことにした。
「元々は違う名前があったんですけど、うちに統合されてからは十区。一日中区の中で決まった時間、決まった区画の天気が雨や嵐になるって場所なんです。週の終わりに天気予報があって、区民はそれで予定を立てているって習いました」
「人工雨なのか」
「そういう噂もあります。陰謀論ですけど。まあどう考えても不便ですよね」
地図では丁度端の方。アキが空中に指を差して端を表現している。
ブロックごとに天気が設定されている地域──ドラマやミュージックビデオの撮影の為に雨を降らせている様をテレビで見たことはあるのだが、説明するアキ本人も人口雨というものが明確にイメージ出来ないでいた。
教科書の写真ではただ雨が降っている街の写真しかなかった上、他の区と比べると些かインパクトに欠けるというのがアキの第一印象であった。
「それでもただの雨なら外出するだろう」
「それが皮膚にあたると焼け爛れたような状態になる雨なんですって。幸いいつどこで雨が降るかは分かっているから、住民達はあらかじめ予定を立てていると」
「なるほど」
「だから建築物とか防雨技術は格段に発達してるんです」
「気が狂ってるな」
環が吐き捨てるように呟くとアキは大袈裟に頷いた。
宇宙戦争が始まる前からずっとそうなんですって──アキは言葉を重ねるようにして続ける。
環はようやくアキの言っていた「陰謀論」というものを理解した。これが人工雨であれば防雨技術を用いて生産された建築物なり、雨具なりそういったものが売れる。雨が止まない限り、安定した収入源になることは明らかだ。
然しながらその雨が嵐は決まった区画しか襲わないなら、顧客はそこの住民に限られるということになる。
陰謀論らしさを突き詰めるなら、もし人間がその雨を操っているのであれば。雨の及ぶ範囲を広げるのではないか──環は無意識のうちに腕を組み考え込んでしまう。
「それであのレインコートに繋がるのか?」
「はい、これがその防雨技術です。お土産にも好評らしいですね」
「そうか」
一先ずレインコートと十区という点と点が繋がり、線にはなった。
しかし環の中ではまだ陰謀論の類や、技術を用いてどのように区を経営しているのかといった疑問が渦巻いている。
アキは一介の学生であり、特に成績優秀であるとも聞いていないため回答に期待しない方がいいのかもしれない。
「ここの区はこれで儲けているのか」
「定期的に災害に襲われるとなれば来訪者は多くないと思うんですよね。富裕層は地下に住んでいるって聞きますし」
「水はどうするんだ」
「濾過して循環してるんですって。考えただけで気持ち悪いですけど」
考えただけで気持ち悪くなりますよね。
わざとらしく嘔吐のジェスチャーと共に唸り声を上げるアキを環は気に留めることなく、頭の中に浮かんだ新たな点を結び始めた。
外界からの来訪者に防雨技術をあらゆる形で売ることが第一のビジネス。そもそも狭い区と一時的な移動の為に区を通る人間から稼ごうという方が間違っているのかもしれない──環は初めてこの環境に紙とペンが欲しくなった。後日持ってきてもいいかもしれない。
「行動を制限したいのかもしれないな」
「区民の?」
「主に区民。雨が降るなら降るなりの予定を立てるだろうし」
「言われてみれば確かに。管理の方がかえって陰謀論っぽいですね」
発展という観点に絞って考えるのであれば十区の方針は真逆の位置にある。
しかし停滞と意地であれば?──雨が降るなら、雨に合わせた予定を立てる。
これは十区に留まらずアキや環、この国に暮らす者であればみな同じことである。当然避けられない予定というものはあるだろうが、些細な予定であれば外出自体を控えて日にちを変えるなどするだろう。台風の日の遊園地が空いているようなものだ。
アキは環の隣で余ったレインコートの袖を振りながら頷いた。
「十区は異星人からの被害にもあまり遭ってないらしいです」
「誰でも寄り付きたくはないだろう」
環は自分の予想が大方当たっていそうなことにやや満足した。
雨が人工物であるかは定かではないが……技術が国に認められ、自治を任されていること。雨によって区民の活動を管理できること。そして、人類共通の天敵であろう異星人からも雨によって結果的に守られていること。
区の形を守る維持という観点だけで考えればとてもよく出来たシステムだと環は内心感心していた。もっとも区を守ることで、内部にある触れられたくない何かから外敵を遠ざけているだとかいくらでも可能性は考えられるのだが……そこまでいくと本当にただの陰謀論になってしまう。
開示された情報だけで考えるのなら、予想に留めておくのが賢明だろう。
「伊達に住みたい区ランキングワースト五位以内に入ってませんよね。逆に言えばそれだけ安全ってことなんでしょうかね」
「そうかもな」
「溜めたお金で引っ越してもいいかもしれません」
アキはレインコートのボタンを外すと先程流れてきた時のように畳んでベルトコンベヤの上に置く。初期状態と比べていくらかいびつな畳み方ではあったが、環は特に指摘することもなくその上に紙を置いた。
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