俺の目の前にゴトウさんがいたのだ。

「な、何だよ。あんた。びっくりさせるなよ」

 後ずさりする俺。

「かーたーはーくーん」

 恨めし気にゴトウさんは俺の名前を呼ぶ。

 両手まで恨めしやというポーズを取っていた。

 ゴトウさんは眉間に皺を寄せて俺を睨らむ。

「な、何だよ!」

 ゴトウさんの迫力に俺は一歩後ずさった。

 ゴトウさんは俺を睨み付けながら「何だよ、じゃあ無いですよ!」とふわりと俺の目の前に迫る。

「な、何怒ってんだよ! 怖いぞお前!」

 その恨めしそうな顔を止めてくれと願う俺の思いは叶わず。

 ゴトウさんは恨めしさ極まれりという風に顔を顰めると「今何時だと思ってるんですか!」とヒステリックに喚いた。

「何時って……今、一体何時何だ?」

「何をとぼけてるんですか?」

「別にとぼけてねーよ!」

 俺の台詞にゴトウさんは、はぁっ、と大げさなため息を付く。

「夜中の十二時過ぎですよ」

 ゴトウさんの台詞に俺は驚く。

 もうそんな時間だったのか。

「洗濯物が乾くころには帰って来てくれるって、直ぐに戻って来るってそう言っていたのに、あんまりじゃないですか! こっちはウキウキしながら片葉君を待っていたのに!」

 湿っぽくゴトウさんは言う。

「ウキウキしながらって、何で?」

 本気で訳が分からない俺にゴトウさんは、当たり前の様に「甲斐さんですよ、甲斐さん!」と言う。

「あっ!」

 思わず声が出てしまう。

 忘れてた。

 甲斐に借りた洗濯物を返すついでに、やつからやつの情報を聞き出す約束をゴトウさんとしていたことを完璧に忘れていた。

 スロットの大フィーバーで豪遊を決め込んでゴトウさんとの約束のこと何て吹き飛んでいた。

「あー、悪かったよ。ちょっと野暮用が出来て」

 適当な嘘で誤魔化そうとする俺だったがそんなことでゴトウさんは誤魔化されなかった。

「片葉君、嘘ばっかり。あなた酔っ払ってるでしょう? 酔っ払いに出来る野暮用って何なんですか?」と追求の体制を崩さないゴトウさん。

「すんません。飲んでました、ずっと」

 嘘は通用しないことが分かると俺は素直に告白、謝罪をした。

 そんな正直者の俺にゴトウさんは大激怒。

「酷いです! こっちは真剣なのに……甲斐さんのことが知れるって楽しみにしていたのにっ……うっ、ううっ」

 ゴトウさんの目の下に涙が溜まる。

「ちょっ、泣くなよ。あんたが泣くと面倒だ」

 ゴトウさんの泣き声は俺には既にトラウマになっていた。

 また泣かれるのは本当に勘弁して欲しい。

「ううっ。だって……」

 グズグズとし始めたゴトウさん。

 俺は慌てた。

「わっ、分かったよ! 本当に悪かったから! 今からでも洗濯物持って甲斐の所に行くから、勘弁してくれ!」

「えっ?」

 涙目のゴトウさんはキョトンとして俺の顔を見る。

 そして直ぐに不貞腐れた顔をする。

「こんな時間に甲斐さんが起きてる訳無いじゃないですか! 甲斐さんの迷惑になるから止めて下さい!」

「いや、あいつ、玄関の外で寝てるから。だからあいつを起こすついでに行ってやるよ」

 そう言う俺にゴトウさんは一瞬意味の分からないという顔をした。

 当然だ。

 俺だって意味が分からない。

 あいつは何だってあんな所で寝てるんだ。

「何で甲斐さんが外でなんか寝てるんです?」とのゴトウさんの疑問にも「俺が知るかよ」と答えた。

「片葉君、あなた、まさか外で寝ている甲斐さんのことを放っておいたんじゃあ……」

 ゴトウさんの涙はもう乾いていた。

 その代わりに眉間に皺を寄せている。

「いや……えーっと。あ、取り敢えず行って来るから!」

 これ以上ゴトウさんに怒鳴られるのはごめんだと、俺は速攻で玄関からベランダに走り、夜風で揺れている洗濯ハンガーに干された洗濯物の中から、借りた甲斐の服を掴み取る。

 服は夜の風を吸い込んですっかりと湿っていたがそんなことは気にしていられない。

 急いで玄関に戻ると、何かを言い出しそうなゴトウさんをスルーして玄関扉を開き、外に出た。

 外に出た途端に冷たい都会の夜の風が頬に当たる。

 寒い。

 寒すぎる。

 こんなに寒くちゃあ、流石の甲斐ももう自分の部屋の中に入っているのでは、と思ったが、首を横に向けると、何と甲斐はまだ自分の部屋の玄関扉の前に座っている。

 俺は驚く。

 こいつ、石か何かか?

 俺はそっと甲斐に近付いた。

 甲斐はピクリとも動かずに首を折って目を閉じている。

 唇が少し開いていて、そこから規則正しい呼吸の音が漏れていた。

 平和。

 そんな言葉が俺の脳裏に浮かんだ。

 俺は屈んで甲斐の肩を軽く掴むと、肩を揺らして、「おい!」と甲斐の耳元でご近所迷惑にならない程度の少し大きめの声で言う。

 甲斐の口から、「うーんっ」と声が漏れたが甲斐の目はしっかりと閉じられたままだ。

 俺はため息を思いっきり吐き出す。

 こんなやつ、二度と関わり合いになりたくないが、俺の夢の一人暮らしの為だ。

 それに……。

 俺は片手で握り締めている甲斐に借りた服を眺める。

 そうして頷いた。

 借りた物は返さねばなるまい。

 仕方ない。

 俺は甲斐の肩を揺すり続けた。

「おい!」

 そう何度も声を掛けたが甲斐は目を覚まさない。

 完璧に眠っている。

 どうしてこんな所で熟睡出来るのか。

 気が知れない。

 俺はだんだんイライラしてきて、両手で甲斐の肩を力を込めて掴むとガクガクと肩を揺らして、あくまでもご近所迷惑にならない程度に多少大き目の声で「起きろ!」と言った。

「うーんっ……むにゃむにゃ……」

 甲斐の口から気怠そうな声が漏れる。

 むにゃむにゃって……。

 俺の苛立ちメーターがグッと上がる。

「おい! おい! 起きろ! あんた、こんな所で寝てたらヤバいだろ! 起きろよ! このっ!」

 再びガクガクと甲斐の肩を揺さぶる。

 甲斐の首が前後に、コクコクと揺れている。

 こんなに揺さぶられているのにまだ起きる気配は無い。

 睡眠王選手権の王者か何かか?

 俺の苛立ちは最高潮に達する。

 もはや苛立ちメーターはマックスを越えた。

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