三話 様々なファースト
一
ゴトウさんに急かされて、俺は昼間っから甲斐に借りた服を洗濯した。
ついでに自分の洋服や下着なんかも洗濯する。
甲斐の洗濯物と一緒に洗うことに大いに抵抗はあったが仕方ない。
俺の洗濯物と甲斐の洗濯物を分けて洗う、だなんて出来やしない。
財布の中が寂しい俺には節約の道しか残されていないのだ。
乾燥機は無いから、湿った服をベランダに干してやれやれと息をつく。
ベランダからの景色は眼下に程よく樹木の植わった公園が見えて中々のものだ。
俺はズボンのポケットから潰れた煙草を取りだして一服した。
部屋に戻るとゴトウさんの存在がどうしても気になってしまう。
何せ幽霊だ。
幽霊に使っていい言葉か分からないが存在感あり過ぎだ。
お気楽なマンションの一人暮らしが始まると思っていたのに幽霊なんかがおまけに付いて来るなんて、とんだ不良物件に引っ越して来たもんだ。
「ううっ、寒っ」
まだ十一月だ、と薄着でベランダに出たが風が冷たい。
このままでは風邪でも引きそうだ。
煙草をもみ消して、仕方なく部屋に戻るとゴトウさんが目をキラキラさせて俺の側に近付いて来た。
「片葉君、洗濯物、いつごろ乾きそうですか?」とゴトウさんが俺に訊ねる。
俺は眉を寄せながら、「もう太陽は傾いてるし、風は冷たいし、夜になっても乾いてるかどうか分かんねーよ」と面倒くさく答える。
俺の答えにゴトウさんはシュンッとなる。
ああ、面倒くさい。
こんな湿っぽい男とこれから一緒に生活しなきゃならない何て。
俺は天に見放されたのだろうか?
今日は仕事の予定も何も無い。
本当なら部屋でくつろいで過ごしたいところだがゴトウさんがいるんじゃあくつろぐこと何て不可能だろうと思えた。
俺はそこら辺に放置していたパーカーを羽織るとそれを素早く着る。
「どこかお出かけですか?」
不安そうにゴトウさんが言った。
「ああ。ちょっと出かけて来るわ」
軍資金は少ないが、飲みに出掛けることに決めた。
外で飲むには大分早い時間だが、このままここにいても疲れるだけだろう。
洗濯物を干す前にゴトウさんからずっと甲斐の話題を振られていた。
甲斐。
名前を聞くだけでもムカついて来る。
俺は神様じゃあない。
嫌いなやつの話題に気前よく花が咲く様なことなんか無いのだ。
「いつごろ、帰って来るんですか?」とのゴトウさんからの質問に面倒くささを前面に出して「洗濯物が乾くころには帰って来るよ」と答えた。
「そうですか……。行ってらっしゃい」
「はいはい、行って来ます」
行ってらっしゃい、に行って来ます。
一人暮らしのはずなのに何でこうなったのか。
ゴトウさんの前をすり抜けて急ぎ足で玄関を目指すとゴトウさんが俺の後を付けて来る。
「な、何だよ。お前、まさか俺の後を付いて来る気じゃあないだろうな!」
「それは無理ですよ」
ゴトウさんが肩をすくめる。
その様子に「何でだよ?」とついお人好しの様に訊ねてしまう。
ゴトウさんはしょんぼりとして「僕はこの部屋から出られないんです」と答えた。
「何で?」
当然の疑問をぶつけてみる。
部屋から出れないなんて引きこもりなのか?
「何でか分からないんですけど、何をどうやってもこの部屋から出ることが出来ないんですよ。本当は外に出たいんですけどどうにもできなくて」
「はぁ? あ、あんた地縛霊なんじゃねーの?」
インチキだが霊能者何て仕事をしていればその手のことに関する知識は高まる。
地縛霊とは思いの残った場所に縛られている霊で、故に地縛霊はその場にのみ出現するのだ。
今まで、地縛霊関係の仕事の依頼を受けたことは結構あった。
依頼者はその場所に霊が憑りついていると信じ切って俺に仕事の依頼をして来た様なやつらだ。
俺には霊なんてちっとも見えなかったが、依頼者がいるって言うんだから仕方ない。
不思議なことに適当なお祓いをしてやるだけで依頼者は満足してくれる。
後からのクレームも無かった。
だから俺にとって地縛霊は良いお仕事の種であった。
しかし、地縛霊、本当にいたんだな。
俺はゴトウさんをまじまじと見る。
肝心の地縛霊ゴトウさんは心外と言う風に
「地縛霊って……なんか嫌なイメージだな」何ぞ言っている。
ゴトウさんがこの部屋の地縛霊なら、部屋の外では全くゴトウさんの存在を感じることは無いということだ。
有難い。
外でまでゴトウさんなんかにつき合わずに済むという訳だ。
「じゃあ、俺、行って来るから!」
自由を求めて玄関のドアノブを力を込めて握る。
「はい。あの、出来るだけ早く帰って来て下さいね」
「ああ、分かった」
分るか、あほ!
自由への扉を開き、俺は外へと飛び出した。
なけなしの金でスロットをしたら大当たりだった。
生まれて以来の大ラッキーかと思うくらいの大フィーバー。
軍資金を手に入れた俺は夜まで飲みあかした。
これだけ飲んでも財布はまだ軽くならない。
最後に飲んだ馴染みの居酒屋で大将から、「もうこれ以上は酒は出せない!」と言われるくらいに出来上がった俺はいい気分でタクシーに乗り、マンションに戻った。
「釣りは要らないぜ」
何て言ってタクシーを降りたのはこれが初めてだった。
ふらつく足取りでマンションのロビーに入り、ゆらゆらと揺れる指先でオートロックの番号を押してマンションの中に入るガラスの扉を開くと、丁度いい具合に来ていたエレベーターに滑り込んで五階へのボタンを押す。
ゆっくりと上昇するエレベーターの乗り心地が良くて、うつらうつらとしてしまう。
エレベーターが、ポーンと音を鳴らして五階に着いたことを知らせる。
もうエレベーターから降りるのが面倒くさいくらいに眠かったが、ここで寝ては流石にどうしようも無いだろう。
エレベーターの外に出ると外廊下の寒さに身が震えた。
「今夜も冷えるな」何て独り言を吐きながら自分の部屋へと向かう。
すると、もう見慣れてしまった光景が俺の目に飛び込む。
俺の部屋の隣。
408号室の玄関扉の前に蹲っているやつがいる。
その人物が誰なのかをそいつに近付くにつれて確信する。
甲斐だ。
こいつ、性懲りもなく、またこんな所で眠っていやがる。
俺は甲斐を見下ろすと、「ケッ!」と漏らした。
もうこんなやつ知るか。
勝手に風邪を引くなりなんなりしやがれってんだ。
俺は自分の部屋の玄関扉を千鳥足ながらも勢い良く開くと速やかに部屋の中に入った。
薄暗い部屋の中で靴を脱ぎ、機嫌よく顔を上げた瞬間、俺は、「うわっ!」と悲鳴を上げた。
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