二話 一目惚れと昔の思い出

 おかしな夢のせいで不機嫌に目覚めた俺は、不機嫌なまま、自分の身なりが甲斐に借りっぱなしでいた服であることに気が付いた。

 仏頂面でクローゼットを開き、着替えを取り出して着替えると、乱暴に扉を開けて寝室を出てリビングに入った。

「片葉君、おはようございます」

 不機嫌な俺を、ご機嫌なゴトウさんが笑顔で迎える。

「おはよう。今何時だ?」

 幽霊に時間を訊くなど、何だかおかしな感じだなと思ったが、そう思った瞬間にはゴトウさんが「十二時二十分です」と、壁に掛かった時計を見ながら答えていた。

 二時間くらい寝っていたことになるのか。

「随分とゆっくり寝ていましたね」

 ゴトウさんは言う。

「の、ようだな」

 俺は答える。

 あんな夢を見るくらいならもっと早く目が覚めても良かった。

 悔しいが、こういう時に限って睡眠とは思う様にならない物だから仕方ない。

 幽霊の身で夢など見るのか知れないゴトウさんが俺の真上をゆらゆらと漂っている。

 俺はゴトウさんを見上げ、思う。

 あんなふうに飛べるなんて、ちょっとおもしろそうだ。

 俺が幽霊になった際は是非とも真似してみたいものだ。

 そんなことを思っていると、ゴトウさんから声が掛かった。

「片葉君、起きたばかりで申し訳ないのですが、あの、甲斐さんのことなんですけど……」

 もじもじとしながら俺を見下ろすゴトウさん。

 もじもじとするのはゴトウさんの癖なのか。

 訊いてみたいが、訊いても多分、どうしようもないことだろう。

 だから俺は、どうしようもなくないことをゴトウさんに向かって言う。

「ああ、そうだったな。しかし、その前に腹ごしらえさせてくれ。なんだかお腹が空いちまって」

 腹が減っては戦は出来ぬ、だ。

「あ、はい、どうぞ」

 ゴトウさんの了承を得た俺は、優雅に宙を飛ぶゴトウさんから視線を地上に戻し、キッチンへ向かい、冷蔵庫を開けて、冷凍室から冷凍のスパゲッティナポリタンの袋を取り出した。

 こいつはテレビのコマーシャルでやっていて気になっていたやつだ。

 お手軽に老舗の味をご家庭で、と歌っているこのナポリタン。

 値段が安いうえにビッグサイズとなかなかナイスな商品だ。

 昨今の冷凍食品は手軽に食べれてなかなか美味いので、俺はいくつか買って冷凍室にストックしている。

 外装を破り、冷凍ナポリタンを電子レンジで温めている間に、電気ポットですでに湧いていたお湯を使い、インスタントコーヒーを入れる。

 出来上がったコーヒーを一口飲んでみるとまあまあ美味かった。

 甲斐の入れたコーヒーは中々の美味さだった。

 いや、いやいや、ダメだ。

 あんな奴をほめるなんてダメだ。

 自分でも下らないと思う心の葛藤を抱いているうちに、電子レンジがリズミカルな音を鳴らし、冷凍ナポリタンがナポリタンになったことを伝えた。

 電子レンジから取り出したナポリタンは恐ろしく熱くて、俺は、熱い、熱い、と一人、大騒ぎをした。

 熱さと熱気と格闘して取り出したナポリタを皿に移し替え、滑る様にしてキッチンの横の小さな四角いテーブルに置き、クッションのしっかりした椅子に座り、フォークなんてものは使わずに箸でナポリタンを、ずるりと啜る。

 うむ、これが老舗の味か。

 老舗の味か否かより、俺が作るよりは上手いだろう。

 そうだ、粉チーズがあったよな。

 座ったまま、キッチンカウンターの上を見回して粉チーズを探す。

 あった。

 テーブルから立ち上がり、粉チーズを取って戻ると大胆にナポリタンに振りかけた。

 いい感じだ。

 こうなれば、タバスコも欲しい。

 ああ、何だか赤ワインも飲みたくなって来た。

 確か、冷蔵庫に一本冷えていたはずだ。

 この際、簡単なサラダでも作っちまうか。

 レタスとトマトと後何かあったろ。

「あの、片葉君、それ、いつ食べ終わります?」

 ゴトウさんの声が頭上から掛かる。

 俺はビックリして箸を取り落とした。

 ゴトウさんの存在をすっかり忘れていたのだ。

 幽霊だけにいざ黙ると存在感を消すことが上手いゴトウさんだった。

 俺は、存在を忘れていたことなどおくびにも出さずに「食べ始めたばかりだからもう少しかかる。待っていられないのか?」と言った。

「えーっと、はい」

 ぼそりと言ったゴトウさんは顔を赤くしている。

 早く恋バナがしたいゴトウさんに対し、こっちはゆっくり食事がしたい気分である。

 出来ればこっちの食事が終わるまで待っていてもらいたいところだが、もじもじしたまま待たれるのも嫌な感じだ。

「……飯食べながらでも良かったら今からでも話そうか」

 そう言うと、ゴトウさんは、ぱぁっ、と明るい顔をして、「ええっ、良いんですか」と言う。

「良いも何も、あんた、そのつもりだったんだろ」

 図星を言われてゴトウさんが腹の底からひねり出すように、ううっ、と唸り声を上げる。

「ほら、そんな風に頭の上をふわふわ飛んだままじゃ話しもしにくいから、とりあえず俺の前の空いてる椅子に座われよ」

 幽霊が椅子に座ることが出来るのかは考えずに、俺はゴトウさんに椅子を勧める。

 ゴトウさんは空中から降りて来て、俺の進めた椅子にするりと座った。

 俺は、思わず、「おおっ!」と声を上げる。

 その声に反応して、「何ですか?」とゴトウさんが聞いて来たので、思ったまま「幽霊も椅子に座れるんだなと思って感嘆の声が漏れたんだ」と告げた。

「座ってませんよ。座っている風にしているだけです」

 ゴトウさんは手品師の様なことを言う。

「どういうことだよ」

「どういうことって、僕、透けているじゃないですか。透けている僕が実体のある物に触れられると思いますか」

 ああ、そう言えば、以前、俺がゴトウさんの体に腕を入れてみた時、俺の腕はゴトウさんをすり抜けてしまった。

 ふむ。

 実体のない幽霊のゴトウさんは実体のある物には触れられない。

「だから、椅子には座れないから、座っている風なわけか」

「はい、その通りです」

「なるほど。その、座ってる風でいて、ゴトウさんには苦痛とかは無いわけか。何か、変な感じがするとかさ」

「苦痛はないですね。変な感じならしていますけど。座ってもいないのに馬鹿馬鹿しいなって」

「あっ、そう。あの、苦痛が無いなら、出来れば、その、座っている風のまま話してもらって良いかな。こっち、食事中だしさ、飛んでいられるのも立っていられるのも何か気になっちゃって嫌なんだ」

「ああ、はい、良いですよ。何か、本当は座っていないのにすみませんって感じで恥ずかしいですけど」

「そこは置いておく」

「はい」

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