十四
やっと泣き止んだゴトウさんを前に、俺は再びソファーに腰掛けた。
ついでに暖房のスイッチも入れる。
部屋に入ってからずっとゾクゾクが止まらなかったのだ。
鳥肌まで立っている。
これも、霊であるゴトウさんがいるせいなのか。
暖房が入ると温かい空気が部屋を包んだ。
寒さも少しはましになる。
やれやれだ。
ホッとした俺は、静かに俺を見ているゴトウさんに顔を合わせる。
彼の顔にはもう涙の後は無い。
俺は、よくよくゴトウさんの姿を見てみる。
足はあるが、透けて、ゆらりと揺れているゴトウさんを見ると、彼が人間ではないと改めて感じた。
この、ブラック会社に勤めたらしい一見、気真面目そうな男が死んだ後、片思いの恋に泣くほど悩んで死にきれずにいるとは、何ともはやだ。
「なぁ、あんたの片思いの相手ってどんなやつなんだよ」
そう言えばと俺が訊くと、ゴトウさんの顔がみるみると赤くなった。
その赤さは、大袈裟でなく、リンゴか熟れたトマトを思い出す。
「ど、どんなって、そんなっ」
そう言ってもじもじとするゴトウさん。
これが若い女だったら初々しくて可愛らしいと思う所だが、幽霊の男じゃそうは思えない。
「恥ずかしがってる場合かよ。片思いの相手がどんなやつか分からなきゃ、俺だって協力しょうがないだろ。どんなやつに片思いしてるのか言えよ」
ゴトウさんの片思いの相手とは実際どんな相手なのか、気になる所だ。
死んでもなお、思い続ける様な相手とは一体どんな女だろうか。
ゴトウさんの様なタイプの男が好きになる女と来たら、うーむ。
やはり、清楚可憐な感じの女だろうか。
深窓の令嬢、みたいな。
いや、こういうのに限って自分とは真逆のタイプの女を好きになったりするものだ。
案外、フェロモンムンムンのセクシーな女かも知れない。
「ほら、早く言えよ。どんな女が好きなんだよ」
急き立てるように俺が言うと、「……じゃ、無いです」とゴトウさんは下を向き言った。
「何だよ、聞こえねーよ。もっとはっきり言ってくれよ」
俺はソファーから立ち上がり、下を向くゴトウさんの顔を覗き込む。
ゴトウさんは耳まで赤くなり、目をぎゅっと瞑っていた。
その姿を見て、何だか気まずくなった俺は、ソファーに戻るとゴトウさんが話し出すのを静かに待った。
ゴトウさんは、しばらく黙っていたが、ようやく下を向いたまま話し出した。
「僕が好きな相手は女性じゃないんです」
そう言ったゴトウさんの声は震えていた。
はぁ、そういうことか。
「うん、それで、その相手はどんなやつだよ」
相手が男性ということには特に突っ込まずに俺は訊いた。
すると、ゴトウさんは顔を上げた。
その顔は、とても不安気だった。
「変に、思わないんですか? 相手が女性じゃ無いこと」
「別に。恋愛は自由だ」
俺には同性愛への偏見は無い。
レズビアンの花凛という友人がいるし、バー・カルナバルへ出入りしていることもあり、同性愛が珍しいことにも感じない。
俺自身は同性愛者では無いが、恋愛くらい好きな様にしたらいいというのが俺の考えだ。
ゴトウさんがゲイだということには正直びっくりしたが、だから何という話だ。
「よ、良かった。てっきりバカにされるものと思っていました」
ゴトウさんはホッとした様にそう言う。
何だよ、それ、心外だな。
今時、そんなことでバカにする人間がいるならそれこそバカだろ。
「俺はそんなにモラルの無い人間に見えるのかよ」
「み、見えますよ。約束を反故にする様な人ですからね」
「うっ、結局守ったろうが」
「そうですけど」
「で、どんなやつが好きなんだよ」
俺がそう言うと、ゴトウさんは再びもじもじしだした。
何だよこいつ、イラつくな。
「あーっ、もう、早く言えよ、じれったい!」
思わず怒鳴ってしまった俺にゴトウさんはビクリと肩を震わせる。
「ああっ、悪い。ほら、言わないことには協力できないから、なっ、覚悟を決めて言えよ。俺も全力で協力するからさ」
優しくそう言ってみる。
すると、ゴトウさんは、「はい」と小さく頷いた。
よし、これで話が先に進む。
「で、どんなやつよ」
「はい、僕の好きな人は……あのっ、えーっと……」
ゴトウさんが、またもじもじする。
イライラするが、ここは我慢だ。
「好きな人は、何?」
再び優しく訊く俺。
「ああ、好きな人は……」
「好きな人は?」
「おっ、お隣の」
「お隣の?」
「甲斐……さんです」
そうですか。
お隣の甲斐…………
「はぁぁー?」
自分でも耳が痛くなるくらいの大声を上げた俺に、ゴトウさんはその場から飛びのいて驚いた。
「な、何ですか、急に大声出して。やっぱり同性愛は受け付けないですか?」
ゴトウさんは涙目で訴える。
「ちげーよ! 甲斐だよ、甲斐!」
「はい? 甲斐さんが何か?」
訳が分からないと言った風なゴトウさん。
俺の方も訳が分からない。
「あんた、よりにもよって、何であの甲斐何かが好きなんだよ! あんなゲス男が好みのタイプとか、あんたの趣味はどうなってるんだよ!」
「は? 甲斐さんがゲス男ってどういうことですか? 片葉君、君、甲斐さんとどういう関係です?」
あんな男と、どういう関係も何もねーよ。
あんな男が好きだなんて、あんな男の為に成仏できないだなんて、ゴトウさん、あんたって人は何なんだ。
俺の体から力が抜けていく。
俺はソファーにガクリと項垂れかかった。
「ちょ、片葉君、大丈夫?」
ゴトウさんが、あわあわと俺の周りを飛び回る。
俺の置かれている状況は、つまりはこういうことか。
気に喰わない隣人甲斐に土下座をさせるために、ウザイ地縛霊ゴトウさんの片思いの相手、つまりは甲斐の身辺調査をする。
さらにゴトウさんの気持ちを、いずれ俺にひざまずく気に喰わない男、甲斐に伝える協力をしなければならない、と。
ゴトウさんだけでもしんどいのに、甲斐、甲斐、甲斐、ここに来ても甲斐。
鬱鬱しいにも程がある。
今しがた、約束は守ると言ったばかりだが、俺の気持ちは萎え始めている。
だが、だが、俺のプライドの為だ。
やってやる。
あの甲斐の土下座を拝むため、だ。
あんな男にクズ男呼ばわりされてたまるか。
が、しかし、今はキャパシティーオーバーだ。
「ゴトウさん、とにかく約束は守るから。とりあえず、俺、一度寝るわ。話は後でってことで。起こさないでくれよ」
俺は立ち上がると思いっきり猫背になってズルズルと体を引きずり寝室へ向かった。
「え? は、はい、また後で」
戸惑い気味のゴトウさんの声が背中越しに聞こえた。
後ろ手で寝室の扉を閉めて直行でベッドへダイブする。
ベッドが大きく揺れ、体が一瞬宙に浮いた。
「つ、疲れた」
布団を被り、目を瞑る。
眠りは直ぐに訪れた。
眠りについた俺を待っていたのは異様な夢だった。
ミラーボールの回るバー・カルナバルで、赤い豪華なソファーに腰掛けたアラビアンな女王の恰好をした俺を取り囲み、半裸で舞い踊るカルナバルの常連客達。
そして、俺の前に緑のジャージ姿でひざまずく甲斐、その上にはゴトウさんが跨っている。
俺は、甲斐とゴトウさんをテーブルの上の皿に盛られたクロワッサンをもぐもぐと食べながら冷笑を浮かべて眺めているのだ。
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