十二
「あの、甲斐さん、約束って、本当に守るべきなんでしょうか。その、もしも彼女の約束がとんでもないことでも、守らなきゃならないんでしょうかね」
死んでいるやつが恋の悩みとか、どうしようもないだろ。
「はぁ、とんでもない悩み、ですか。お友達は彼女さんとどんな約束をしたんです?」
「うっ!」
それは言えない。
友達と彼女の話でたとえ話を話しているのに、恋の悩みに協力する約束とは言えやしない。
しかし、仮の話を考えるにしても、俺の頭の中のフィクションを考える所がもうオーバーヒートを起こしていて何も思いつかない。
「そ、そこまでは、ちょっと。友達の話ですから」
焦る俺を目の前に甲斐はそっけなく、そう、と言った後、ゆっくりとした動作で指を絡めて組んで、「あのね、この場合、やっぱり約束は守るべきだよ」と、淡々とそう言う。
「何で」
俺は前のめりになる。
テーブルに俺の体が触れて、テーブルが揺れ、カップに波紋が出来た。
その波紋が消えるタイミングで甲斐が口を開いた。
「だって、そもそも彼女との約束でしょ。何でそれが守れないんですか。彼女のこと愛しているなら約束を守ることなんて何でも無いことじゃないですか。それに、出来ない約束なら初めからしなきゃ良かったんだ。約束を破られたことでしつこく電話してくる彼女さんもどうかと思うけど、そうするだけ、彼女さんには大事な約束だったってことでしょ。そんな約束を守ることも出来ないで彼氏やってる、そのお友達もたいがいどうかと思いますよ。約束するだけしておいて後になって約束できないとか言い出すって、随分と自分勝手な友達がいるんだね、あなた」
うっ。
あんた、俺も悪いと、そう言いたいのか。
そうは言わせねーぜ。
「確かに約束を破った友達も悪いとは思いますし、自分勝手と言われても仕方ないですけど、成り行きで約束をしてしまうってことって、あるじゃないですか。それで、後になって、やっぱりその約束は守れなかった、みたいな。あなたにはそういうことはないんですか」
これでどうだ。
「無いな。俺は人との約束はあんまりしないんで」
撃沈。
「うっ、まぁ、あなたのことはともかく、友達だって、何も好きで約束を無かったことにしたわけじゃないですから。それに、俺はどんな場合でも約束は必ず守るべきとは思わないです。出来ない約束なら断ってしまった方が相手の為にもなることですよ」
どうだ、これもまた正論だろう。
俺のこの台詞を聞いて、甲斐は、「うーん」と声を上げてから、組んだ手に顎を乗せて黙ってしまった。
甲斐の顔は困惑している風だった。
さすがに、この男もこれ以上は何も言えないか。
どうやらこの勝負、俺の勝ちのようだな。
心の中で、ほくそ笑む俺に、甲斐が突然、でも、と声を上げた。
「何ですか」
これ以上何の話があるって言うんだ。
「いや、愛している彼女との約束でも本当に守る必要無いです?」
困惑気な表情のままに甲斐は俺を見つめる。
俺はと言うと、思いっきり顔をしかめていた。
あんな悪霊に対して愛情なんて湧くかよ。
「愛情なんて、そんなのあるわけないじゃないですか」
俺はつい我を忘れてこんな台詞を吐いた。
俺の台詞に甲斐が眉をひそめる。
「どういうこと、それ」
低い声で甲斐が言う。
「えっと、その……」
言葉に詰まる俺に、鋭く目を尖らせた甲斐が言う。
「お友達は彼女さんのこと愛してもいないのに彼女と付き合っているってことですか」
俺の発言からしてそうなるな。
「えーっと、いや……」
「要するに、愛してもいないくせに、彼女さんと大事な約束をしておいて、それを守れないとかとぼけているわけですよね、そのお友達は」
この言われ様。
今、俺の顔色は相当悪いだろう。
「……そうっすね」
俺は首をガクリと落とす。
甲斐はため息を吐き捨てる。
「最悪だな。お友達は、約束は守って彼女さんとは別れることだな。彼女さんは毎日電話しなきゃいられないほど約束にこだわっているんだ、そうすべきだろ。それが綺麗な別れ方でしょう。彼女さんとの約束を守れないなら、こう言っちゃなんだけど、あなたのお友達はただのクズです。そうでなくてもゲスですよ。あなた、何でそんなゲス野郎と友達なんです?」
な、何だって。
こいつ、ゲスとかクズとかそこまで言うか。
俺は顔を上げて甲斐を見た。
「……別に、勝手じゃないですか、俺の交友関係なんか。あんた、人の友達のこと、クズとかゲスとかよく顔色一つ変えずに言えますね。あんたに、俺の話を聞いただけでどうしてそんなことが言えるんです?」
「そりゃ、言えますよ。女の約束一つ守れない様な男でしょ。付き合っておいて、女一人を満足させられないような男、男らしさのカケラも感じられないよ。ただ……」
「ただ、何だよ」
「そのお友達が彼女さんとの約束を守りでもして、彼女さんがその結果に満足でもしたなら、俺も、お友達のこと見直しますけど。何なら、お友達の前でディスってごめんなさいって土下座でもしますよ。でも、現段階では俺にとっては、お友達はただのゲス男ですよ」
甲斐の台詞に俺の頭に血がカッと上る。
俺は無意識にテーブルを両手で叩いていた。
バンッと言う音が部屋に響き、甲斐が目を丸くして俺を見る。
俺はテーブルを叩いた勢いで甲斐に人差し指を突き付ける。
「今の台詞、忘れるなよ。つまらない約束なんざ、きっちり守ってやるぜ。結果も出してやる。その代わり、もしそうなったなら、あんたには土下座をしてもらうからな!」
場がシーンと静まる。
甲斐は口を、あんぐりと開けて俺を見ている。
しまった。
頭に血が上って完璧に演技を忘れていた。
「いや、あの、友達が?」
俺は今更白々しい事を言う。
「……分かりました。そこまで言うなら、俺も土下座しましょう。お友達が彼女さんの約束を果たすこと、そして、彼女さんに満足してもらえることを楽しみにしています」
甲斐はそう言うと俺の顔を見て不敵に笑う。
俺の方は逆に顔をしかめてクロワッサンにかぶりつく。
そんな俺の姿を見て、甲斐は少し笑ったが、俺はそれには気付かないふりをしてクロワッサンを、しかめ面で食べ続けた。
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