十一
なみなみとカップに注がれたコーヒーからは湯気が立っている。
コーヒーの良い香りに、直ぐにでも口を付けたくなった。
「あ、ありがとうございます」
俺が礼を言うと甲斐は無言で別に、と言って椅子に座った。
「あの、すみませんでした、関係無いとか言って」
自分のカップにコーヒーを注いでいる甲斐をチラリと見ながらそう言ってみる。
「別に、本当に俺には関係の無いことですから。ただ、あなた、随分と疲れているみたいでしたから、もし、誰かに話して少しでも楽になれることだったなら、話したらいいんじゃない、と思ったので訊いてみただけです。だから、あなたが話したくないことなら話してくれなくってもいいんですよ」
甲斐は、慎重にカップにコーヒーを注ぎながら俺の台詞に返事をする。
「はぁ……」
確かに、誰かに相談できたならどんなにいいことか知れない。
話だけでも聞いてもらえたなら俺の気持ちも少しは楽になるだろう。
しかし、だ。
事がことだ。
真実のまま話したのなら、俺は白い目で見られかねない。
真実のまま話したのならば……。
「あの、甲斐さん、ちょっと話は変わりますが、訊いてもらいたい話があるんです。あの、俺の友達の話なんですけど」
必殺、友達の話。
これだ。
俺は天才か。
ベターだが、これ以上に無いほどの秘密の相談の持ち掛け方だ。
真実をありのままに話すのではなく、あくまでも友達の話として話に着色をして甲斐に話してやるのだ。
そうすれば、霊に悩んでいるということを隠して話を聞いてもらえる。
「友達の話、ですか。別にいいですけど」
そう言う甲斐の顔に面倒くさそうな様子は見られない。
と言うよりも、甲斐の顔はボケっとしていてどんな感情も窺えなかったが、だが、よし、良い展開だ。
俺のストレスをこれ以上貯めこまない為に、この男にゴトウさんからの酷い仕打ちについての愚痴を聞いてもらおう。
あくまで、友達の話として。
「ありがとうございます」
俺は、作りものの笑顔で自分に都合の良い作り話を始めた。
「あの……俺の友達が、その、えーっと、彼には、そう、彼女がいるんですけど、その彼女から友達の家に昼夜問わずどころか一日中電話がかかって来るそうで、それで、友達が参っちゃって。いくら彼女からでも、一日中電話がかかってくるようじゃ電話の音がうるさくて頭がおかしくなるって。それで、どうしたら良いのかって友達は悩んでて、っていうか、病んでてですね」
「はぁ」
「あの、この話、甲斐さん、どう思います?」
「どうって、その彼女さんが何かめんどうくさいですね。そんな、昼夜問わず連絡してくるような女、俺なら迷惑だな。ていうか、可能なんです? 一日中電話するって。彼女さん、仕事とかしてない人です?」
知らねーよ。
作り話のことだ。
「さ、さぁ、そこまでは。何せ、友達の彼女のことですからね」
「ああ、そうでしたね」
「そうですよ」
俺は力強く言った。
「お友達は彼女さんからのその電話を止めてもらいたいんですね」
「はい、その通りです」
今すぐにでも止めてもらいたい。
「彼女さんには電話を止める様にお願いしたんですか、そのお友達は?」
「もちろん言いましたよ、その友達が。でも、全然聞いてもらえなくて、その友達が」
「そうですか、それは大変ですね。それで?」
甲斐はコーヒーを啜りながら俺の話を静かに聞いた。
俺の口からはゴトウさんに対する不満や鬱憤が友達の話として噴水の様に溢れ出た。
「その彼女からの電話が本当にしつこくて、電話の音で夜も満足に眠れないほどで、友達は食欲も無くなって酒に逃げる様になってしまって」
俺の話を聞いて、甲斐は、なるほど、と頷いた。
「お友達も、お気の毒ですね」
「ですよね、そう思いますよね!」
ああっ、架空の友達万歳。
やはり、持つべきものは友達だ。
リアルにこんな状況に悩む友達がいたなら、俺が親身になって相談に乗ってやろう。
「彼女さんが、そんなに電話してくる理由って何なんですかね」
同情された喜びに浸る俺に、甲斐が真顔で訊いてくる。
「理由、ですか」
「ええ、そんなに電話してくるってことはよっぽどの理由があるはずなんじゃないかと思うんですけど。心当たりはないんですかね、その、お友達の方に」
理由、それは明白だった。
「理由は、友達が彼女との約束を守らなかったから……ですよ。それで、彼女は怒って毎日、嫌がらせのために電話をしてくるんです……多分」
多分どころか確実だ。
彼女……もとい、ゴトウさんは俺が約束を破ったことを怒るどころか恨みに思っている。
だから毎日あんな嫌がらせをしてくるのだ。
あいつ、おとなしそうな顔をして、いや、おとなしいからこそ、か、やることが陰湿すぎる。
こんなことになるとは思いもしなかった。
ゴトウさん、中々の悪霊だ。
あいつ、約束を破った相手にリベンジ続ける元気があるなら成仏も一人で出来るんじゃないか。
心の中で毒づく俺に「理由がはっきりしているならいいじゃないですか」と、甲斐が言う。
「どういうことです?」
素直に俺がそう口にすると、甲斐は少し目を細めて話し出す。
「だから、その約束を守ったらいいんじゃないですか。約束を守らなかったことに彼女さんが腹を立ててお友達に電話をして嫌がらせみたいなことをしているんだったら約束を守ればいいんですよ。そうすれば彼女さんの怒りも治まって一日中電話するなんてことも止むんじゃないですか」
確かにその通りだが、しかし、だ。
「約束を守ることで彼女のご機嫌を取れってことですか」
渋い顔をする俺に、甲斐は、「そうです。それしかないんじゃないですか」と答えた。
約束を守れと甲斐はそう言うが、しかし、彼女、もとい、ゴトウさんのご機嫌取りの為に面倒な約束をわざわざ引き受けるなんて真似はしたくはない。
引き受けたが最後、俺はあのゴトウさんの恋のキューピットに成り下がってしまうんだ。
そんな一文の得にもならないことをこの俺がしなければならない理由がどこにあるのか。
それに、こっちは約束を反故にすることをちゃんと謝った。
なのに、あの男と来たら「恨みます」って、何なんだよ。
恨むなら、生前、好きな相手に告白も出来なかった自分の根性の無さだろ。
そもそも、あいつ、もう死んでるくせに、未練たらしく恋の悩みで成仏できないとか、どれだけ女々しいんだ。
死んだのは気の毒だが、死んでもなお、成仏もせずに俺の部屋に居座り、この俺に迷惑を掛けて、その迷惑の理由が恋の悩みの協力を断られたからとか、どれだけわがままなんだ。
何だか、ゴトウさんへの怒りがこみ上げてくる。
俺は、何であんなやつにこんなに悩まされなきゃならないんだ。
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