八
酔いつぶれたらしい俺は、気が付くと花凛が呼んだであろうタクシーに乗せられていた。
俺は今、タクシーの後部座席に花凛と並んで座っている。
ううっ、タクシーの揺れで物凄く気持ちが悪い。
「双一、大丈夫?」
花凛が俺の顔を覗き込んで言う。
「うっ、大丈夫じゃない。気持ち悪い」
くぐもった声で俺が正直に言うと、花凛は、「でしょうね」と言って、自分のハンドバックからミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出して俺に渡してくれた。
「飲みなさいよ、酔っ払い」
「ううっ、サンキュー」
俺はキャップを開けるとミネラルウォーターを口に含んだ。
美味い。
いまだかつて、味わったことのない美味さだ。
これは命の水か。
ああっ、生き返る。
酔い覚ましの水は最高だ。
ミネラルウォーターをがぶがぶ飲む俺を花凛が、はんっ、と鼻で笑う。
「あんた、カルナバルでのこと、覚えてる?」
「……途中までなら」
顔が熱くなる。
カルナバルでの自分の醜態を思い出すと、げっそりする。
やっちまったとしか言いようが無い。
もしも、人生やり直すことが出来るなら、俺は間違えなく今夜のバー・カルナバルからやり直すだろう。
悲観に暮れる俺に構わず、花凛が恐ろしいことを言う。
「ふぅーん。途中まで、ねぇ。はぁっ。大変だったんだから。あんた、人が変わった様になっちゃってさ。あの群がる男達相手に女王様みたいだったわよ。双一、誰でも良いから連れてって、とか色っぽく言っちゃって、もうあいつらのテンションマックスよ。私とママの二人でその場を収めるのに苦労したわ。あんたさ、マジでお持ち帰りされちゃうところだったんだからね、分かってる?」
花凛はわざとらしく顔をしかめる。
とんでもない話だ。
女王様……。
マジか。
「何にも覚えてねー。し、しばらくカルナバルには顔出し出来ねーな」
俺は青ざめる。
花凛が言っていることが本当ならば、恥ずかしいどころの話じゃない。
死にたいレベルだ。
正に後悔先に立たず。
酒は飲んでも飲まれるな、だ。
タクシーは憂鬱な俺と花凛を乗せて滑らかに夜の街を走る。
俺は花凛のバー・カルナバルでの俺の失態の話を聞いてから、ずっと無言で目を閉じていた。
花凛の方も、別に俺に話しかける事はしなかった。
タクシーが止まる。
「ほら、双一、あんたのマンション、着いたわよ」
花凛にそう言われて目を開ける。
タクシーの窓から外を見ると、自宅のマンションが見えた。
「タクシー代は良いから降りなさいよ」
花凛が長い髪をかきあげて言う。
花凛の髪からローズの香りが微かにふわりと薫る。
それは嫌いじゃない香りだった。
「なぁ、花凛、本当に今日、泊めてもらえない?」
俺が言うと、花凛は、「ダメよ」と即答した。
「あんた、何でそんなに部屋に帰りたくないのよ。何か帰れない理由があるわけ?」
「うっ、それは……」
訊かれても答えられるわけがなかった。
あんな非科学的でバカみたいなことが理由で部屋に帰りたくないだなんて話したらバカにされるに決まってる。
口ごもってしまった俺に花凛は肩をすくめると「何があったか知らないけどさ、ここまで来たんだから、良い子でお家に帰りなさいよ。また、あんたが酔っぱらってない時に、本当に困ってたら泊めてあげるからさ、ね」と、そう言った。
そう言われても、帰りたくない。
しかし、バー・カルナバルでのこと、こうしてタクシーで送ってくれたこと……それを考えると、これ以上花凛に迷惑をかけるわけにはいくまい。
「……ちっ、分かったよ。帰るよ」
しぶしぶと俺が言うと、花凛はホッとした顔をして、そう、と言う。
俺がタクシーから出ると、花凛が開いたタクシーの窓から顔を出し、「双一、おやすみなさい」と手を振る。
俺は花凛に手を振り返すとマンションに向かって背中を丸めて歩き出した。
ロビーでオートロックを開け、エレベーターで自分の部屋のある四階に上がり廊下へ出る。
すると、俺の部屋409号室の隣、408号室の前に座り込んでいる人間の姿が見えた。
俺は、眉を寄せて廊下を進んだ。
そして、その人間の前で足を止めた。
こいつ、またこんな所で寝ていやがるのか。
そいつは、引っ越し初日の夜に出会った隣人の男だった。
この男、懲りずにまた外で寝ているというのは本当にどういうことなのだろう。
もう目の前が自分の部屋だというのに、この男はどうして部屋に入らずに外で寝るのか。
男は膝を抱えて何とも気持ちよさそうな顔で寝入っているが、やはり、こんな所で寝ていていい訳がないだろう。
仕方がない。
実に面倒だが、起こしてやるか。
俺は、しゃがみ込むと男の肩を揺する。
「おい、あんた、起きて。こんな所で寝てると風邪を引きますよ!」
俺が声をかけると、男は、んっ、と小さく声を上げる、が、目を覚まさない。
「おい、朝だぞ! 起きろ!」
決まり文句を口にしたが……………起きやしない。
この間はこれで起きたんだがな。
しばく男を揺すったり声を掛けてみたりしてみたが、男は全く目を覚まさなかった。
「はぁ、とんだ眠り姫だな」
いい加減、男を起こすのに嫌気がさしてきた俺は男の隣に座り込んだ。
コンクリートの廊下の床が冷たい。
こんな所で、この男は、よくもまぁ、眠れるもんだな。
ここで眠るのはどんな気分なんだろうか。
そう思って目を閉じてみる。
冷たい風が顔に当たる。
酔っ払いの俺にはそれが少し心地よかった。
風の吹く音が聞こえる。
隣の男の寝息の音も……。
遠くでサイレンの音が響いている。
それ以外は静かだった。
うん、まぁ、悪くはないか。
少しだけ、しばらくの間だけ、このまま、ここで……。
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