リビングで、一人掛け用のソファーに足を組んで座り、目の前を見る。 

 

 梧桐藤一郎。

 スペック、霊がそこにいる。

 俺は腕をつねってみる。

 痛い。

 これが夢ではないなんて、まだ信じられない。

 しかし、だ。

 悔しい事に、どうやら俺の目は覚めている。

 目の前の男、ゴトウは透けていて、ゴトウ越しに寝室の扉が見えた。

「おい、あんた、ゴトウ……さん。本当に霊なんだな」

「くどいですよ。足はありますけど、透けてますし、宙に浮いてます。霊ですよ、幽霊です、間違えなしです」

 うーむ。

 俺は立ち上がり、ゴトウ改めゴトウさんの体に手を伸ばしてみる。

 そのまま腕を押すと、腕がするりとゴトウさんの体を突き抜けた。

「んっ、わわっ! 何するんですか! ちょっと、抜いて下さいよ! 何か気持ち悪いです!」

 ゴトウさんがイヤイヤと首を横に振る。

 俺だって気持ち悪いよ。

 俺はゴトウさんの体から腕を抜いて、ソファーにかけ直した。

 何とも落ち着かない気分だ。

 俺の心臓はドキドキと音を立てていた。

 腕が体をすり抜けるなんて、ビックリだ。

「いやぁ、な、なるほどな。分かった、とりあえず、あんたは霊ということにしよう」

「なるほどな、じゃないですよ。急に腕なんか体に突っ込まないで下さい」

「いや、悪い。……それで、えーっと、前の話の続きだったな」

「はい、僕の成仏に片葉君が協力してくれるって話です」

「確か、心残りが晴れれば成仏出来そうって言っていたな」

「はい」

「心残り、片思いの相手のことが知りたいって事と、その相手にあんたの気持ちを伝えたいって事……だっけ?」

「はい、その通りです。協力してくれるんですよね」

 弾む声でゴトウさんは言う。

 俺の方は気が重くなる。

「その話なんだが、何て言ったらいいのか……俺もその場のノリで協力するなんて言っちまったって言うか……」

 歯切れ悪く言う俺に、ゴトウさんは怪訝そうな顔を向ける。

「どういうことですか?」

 ゴトウさんが不安げな声色で言う。

 もう、ズバリ言うしかない。

「だからだな、申し訳ないけど、協力するって約束、無かったことにしてもらえないだろうか」

 俺の台詞を聞いたゴトウさんはこれ以上ないほどに眉を下げた。

「そ、そんな、酷いです。約束したのに」

 ショックを隠し切れないという風なゴトウさんを前に、俺はなおも言う。

「悪いとは思うけど、やっぱり俺に恋の手伝いとか無理だわ。だから、諦めてくれ」

「酷い! あんまりじゃないですか! 期待させておいてこんなこと!」

 ゴトウさんが俺に詰め寄る。

「だから、悪いって。あのさ、俺じゃ無くって、他の誰かに頼めないかな。誰か親切そうなやつに声を掛けてみれば協力してもらえるんじゃないか?」

 世の中には人の役に立ちたいって酔狂な輩が存在する。

 俺なんかに頼むよりも、そう言うやつに頼んだ方がいいだろう。

 そうに決まっている。

 だが、俺の提案はゴトウさんには受け入れてもらえなかった。

「そんな、無理ですよ。僕の姿が見えたのは片葉君が初めてなんですよ。話が出来たのだって片葉君だけです。前に、五人、この部屋に入居者が来ましたけど、僕の姿は誰も全く見えなかったんです。約一年間、孤独で……」

「なんだよ、それ。一年の間に五人も入居者が変わっていたのか。お前、その入居者達に何かしたんじゃないか」

「はぁ? 何もしやしませんよ。ただ、夜に彼らの枕元に立って泣いてただけです」

「あ? 俺の時もそうだったけど、何でわざわざ枕元に立って泣く必要があるんだよ」

「それは……夜になるとすごく寂しくなって。一人でいるのに耐えられなくって。誰かの側にいたかったんですよ。それで、夜は入居者の方の枕元に立って泣くのを日課にしてたんです。そうしたら、皆、夜に男の泣き声がするって大騒ぎしちゃって」

「……お前、何もしてないって、どの顔で言ってんだよ。十分すぎることしてるじゃねーか!」

 夜中に男の泣き声のする部屋。

 思いっきり訳アリ物件じゃねーか。

 ここの家賃が安かったのはこいつの、夜泣きのせいか。

「とにかく、約束は無かったことにしてくれ。俺は自分のことで手一杯なんだ。あんたが霊だって聞いただけでいっぱいいっぱいだし、あんたの役には立てねーよ」

 俺がそう言うと、ゴトウさんは切ない顔で俺に縋りついて言った。

「待ってください。僕は君が手伝ってくれるって言ったから諦めていた成仏にも、心残りを晴らす事にも乗り気になったんですよ。それなのに、その君がどうして無かったことになんて言うんです」

 ゴトウさんの目に涙が浮かぶ。

 泣かれても俺にはどうしようもできない。

 言った通り、俺は自分のことで手一杯だ。

 昨日今日会ったばかりの霊と関わり合いになっている場合じゃない。

「本当にすまないけど、約束のことは忘れてくれ」

 静かに俺はそう言った。

「ううっ」

 ゴトウさんの体が床に崩れ落ちる。

 ゴトウさんが声を上げて泣き始める。

 部屋の空気がいきなり重くなった。

 壁がミシリミシリと音を立てる。

「おい、ちょっと、何だよこれ!」

 部屋の様子に流石に俺は慌てる。

「おいってば! ゴトウさん!」

 ゴトウさんは俺の声が耳に入っていないのか、床に顔を伏せたまま泣き続けている。

 ゴトウさんの泣き声に合わせる様に、窓ガラスがガタガタと揺れる。

 一体何が起こっているのか。

 俺は、ただ突っ立っていることしかできずに途方に暮れた。

 ゴトウさんはひとしきり泣いて、顔を上げた。

 と、同時に、部屋の異変も治まる。

 ゴトウさんがゆっくりと立ち上がる。

 ゴトウさんは恨みがましい目で俺を睨みつめた。

「片葉君、絶対に許しませんよ。協力はしてもらいますから。どんな手を使っても、必ず」

 なんだそりゃ。

「おい、あんた、何言って……」

「片葉君、恨みます」

 ゴトウさんは不吉な言葉を残して俺の前から姿を消した。

「何だったんだよ」



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