旦那打掛

藍田レプン

旦那打掛

「私のことはイケメンに描いてくださいね」

 と目の前の老紳士、Qさんは気さくな笑みを浮かべた。私が怪談奇談を書いている、と聞いて漫画と勘違いされたのだろうか、あいにく私は絵が不得手なので彼の顔を絵にすることはできないが、たしかに整った顔立ちをしている。少し痩せ気味、彫りの深い目元、高い鼻のラインは日本人というよりもコーカソイドのようだ。少し薄い頭髪も上品に撫で付けられ、身だしなみに気を遣われていることは一目瞭然である。

「私の家は代々呉服屋を営んでおりましてね。由緒ある、と言えば聞こえはいいですが、実際は家も店も老朽化して維持費や修繕費も馬鹿になりませんし、今では着物を買われる方はずいぶん少なくなりました。洋服のほうが楽ですし、ははは、もう時代遅れの商売です。何度私の代で家業は終わらせようと思ったことか。それでも続けてきたのは」

 うちにある『家宝』のおかげというか、それのせいなんですよ。

 Qさんは喜んでいるとも悩んでいるともつかない顔で、その『家宝』について語りだした。

「いつからあるのかわからないのですが、我が家には代々伝わる打掛(うちかけ)があるんです。打掛、ご存じですか。はい、花嫁さんが婚礼の時に着る、あれです。打掛は白打掛と色打掛があって、白打掛というのはいわゆる白無垢も含まれる白い打掛、色打掛は祝儀の場で着るので、縁起のいい赤や金を基調にしたものが多いんですが、今の感覚で言えば派手、な柄物の打掛です。私の家にあるのは色打掛のほうで」

 年月で少し褪せた朱色に、金色の雲と白い盆が描かれた打掛だという。

「この打掛を、店主が代替わりをする時必ず着る習わしなんです。ええ、男でも着ます。というか、男しか着たことがありません。私の家は代々男が店主を務めてきましたから。今ではユニセックス、というのですか、女性が男物の服を着たり、その逆も珍しくないかもしれませんが、私の家では代々そんな奇妙な儀式を行っていたんですよ」

 もちろんずっと着ているわけではなく、代替わりの儀式の時に袖を通せば、日常は着なくてもいいらしいのだが、

「その打掛を着て一人で仏間にいると、妙なものが見えるんですよ」

「妙なもの、ですか」

「打掛を着た黒い丸太のようなものです」

 そう言って、Qさんはジェスチャーを交えながら『それ』を表現した。

「大きさは子供くらい、打掛は家宝の物とは違うのですが、やはり婚礼の際に着る色打掛で、描かれている花の柄までよく見えます。菊花が散りばめられていて、蝶が舞っている。でも打掛の中には人ではなく、黒い丸太が立っているんです。それが畳からそうですね、50から70センチくらいの宙に浮いているんです」

「オシラサマのようですね」

「オシラサマというのは?」

「主に東北地方で信仰されている神様です。元は養蚕の神だったと記憶していますが、稲荷神が豊穣神である農耕以外の権能を後に得たように、オシラサマも家内安全や豊作の権能も得たようですよ」

「なるほど、養蚕ですか。それなら呉服屋のうちにも関係あるのかもしれませんね」

「ただ、オシラサマは女と男、女と馬、馬と男のように二体を一対で祀ることが多いので、関係あるかはわかりません。それにオシラサマ信仰は毎日ずっと禁忌を破ることなく、続けなければいけないとされています。そういった禁忌はありますか? 例えば肉や卵を食べてはいけない、とか」

「いえ、そういったものは特に……それに神棚には年神様や大神宮様を祀っていますが、そのオシラサマというのは無かったと思います」

「では全くの別種か……? 話の腰を折って申し訳ありません、続けてください」

「いえ、こちらこそ面白いお話が聞けて楽しいです。この話も身内にしか語ったことが無いもので、こうして初対面の方にお話するのは初めてですから、少し緊張も解けたといいますか。それで、その打掛を着た丸太なんですが」

 店の経営や縁談など、家にとって重要なことを決める時には、必ず当主が色打掛を着て、その丸太に相談しなければいけないのだという。

「相談と言っても、こちらが一方的に話すだけで、向こうは話しません。なにせ丸太ですから。ただ」

「ただ?」

「相談内容を聞くと、丸太の表面に文字が現れるんです。文字、いや、模様かな。仮に文字だとしても、私たちには読めませんが。日本語ではありませんし英語でもない。記号のようなものが、緑色のネオンライトのように」

 丸太の顔に当たる部分に浮き上がるのだ、とQさんは続けた。

「うちにはその家宝の打掛とセットで、その文字を翻訳、翻訳と言っていいのかな、だいたいの意味を書き留めた和紙も数枚ありましてね。それを見ながら丸太のお告げを読み解くんです。紙には複数の人間の筆跡がありますから、当主が代々少しずつ書き足していったのだと思います」

「お告げをする丸太ですか」

「ええ、なんだか夢のような話でしょう。実際あの打掛には何か仕掛けがあって、夢か幻でも見せられているんじゃないか、と思うんですが」

 それでもお告げに従うと、すべていい方向に話が進むのも事実なのだという。

「それで最初の話に戻るんですが、もう呉服屋も畳んでしまおうか、とその丸太に相談したんですよ……答えは『否決・不可』、つまり畳むな、ということでした」

 そう言って、老紳士は喫茶店のコーヒーを初めて一口飲んだ。

「結果的に店は今もこうして続いております。まあ私が思うにあれは一つの責任転嫁なんでしょう。お告げの通りにやってうまくいけば良し、お告げに逆らって失敗してしまえば、お告げに逆らったからだという言い訳ができる。でもね、やっぱり人は神頼みというか……重大な決断をする時には何か、人知を超えたものに縋ってしまうんですよ」


 Qさんと別れ、喫茶店を出た私は帰りの道すがら、先ほど拝聴した奇談を心の中で反芻していた。

 色打掛を着た黒い丸太、オシラサマ、謎の文字、予言、着物に描かれた……白い盆。

「うつろ舟」

 常陸国に流れ着いたという円盤状の舟には謎の文字が書かれていて、中には箱を持った女性が入っていた、という江戸時代の奇談。その内容からUFOに乗った宇宙人が漂着した場面を書いたものではないか、という説が有名だが、後にこれは曲亭馬琴が同地に伝わる養蚕の神、金色姫の伝説を下敷きに書き上げた創作、もしくは広まっていた伝聞をまとめたものではないかとされている。

 ここでも養蚕が絡むのか。

「打掛の白い盆がうつろ舟、UFOだとしたら、オシラサマのような丸太は宇宙人が現地の人間とコミュニケーションをとるための装置だった……」

 として、そんな装置が幽霊や妖怪のような存在になることはあるのか。どこかで整合性を求めようとすると、どこかで理論が破綻する。そこが現代奇談の魅力でもあるのだが。

「Qさんの呉服屋、今度伺ってみようかな」

 そうひとりごちて、私は煙草に火をつけた。

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