第14話 表参道

 四月。桜は、まだかまだかと待ち望むうちに満開になり、あっという間に散ってしまった。


『桜の実は苦いらしいよ』


 この前、サトルがそんなことを言っていたのを思い出す。


『桜の実ってさくらんぼじゃないの?』

『いや、それは食用の木になるんだって。ソメイヨシノとかは観賞用だから、渋くて苦くて、食べられるもんじゃないらしいよ』

『食べたことある?』

『友達と花見してて、ふざけて食べたことある』


 サトルからは時々メッセージがきて、やり取りをしている。たくさん返信が返ってくる時もあるし、音沙汰のないこともある。サトルは、港区に本社がある外コンで働いている。担当するプロジェクトによって違うようだが、基本的に忙しくていつも帰りが遅い。忙しい時は、本当に忘れられてしまったんじゃないかと不安になってしまう。


「青山さん、大丈夫?」


 高橋さんに小声で話しかけられてハッと我に返る。給湯室でスマホを見ながらぼーっとしてしまっていた。


「最近、ぼーっとしてること多いね。またサトルから返信来ない?」


 本当だ。最近、仕事にすっかり身が入っていない。高橋さんに指摘されるなんて重症だ。

 高橋さんとはすっかり仲直りして、今は良き恋バナ相手になっている。


「うん。毎日忙しいみたい」

「まあ今日会えるんでしょ?大丈夫だよ。あ、爪可愛い!」


 昨日、初めてネイルサロンでネイルをした。薄めのピンク一色に、小さめのストーンをいくつか置いてもらった。シンプルだが、春らしくて可愛い。

 今日に備えて、ネイルもしたし、髪色も少しだけ明るくした。はりきりすぎだろうか?


「高橋さんは、もう行かないんですか?飲み会とか」

「あー……、私はもういいやって感じ。卒業かな?そうゆうの。世代交代てきな?」


 卒業、というとどこかのアイドルみたいで聞こえはいいが。

 性差別だとか女性蔑視だとか、色々言われるようになった世の中だが、まだまだ女性の世渡りは難しいのが現実かもしれない。


「あのー、すみません、コピー機がなんか詰まっちゃったみたいなんですけど……」


 おそるおそる困り顔で話しかけにきたのは、四月から働き始めた男の子だ。毎度のことだが、新しい社員が入ってくると、なぜかコピー機との闘いが増える。高橋さんと別れて、コピー機の方へ早足で向かった。


コピー機を直し、頼まれた雑用をしていると、スマホが鳴った。サトルだ。


『連絡できてなくてごめん。今日なんだけど、仕事終わったらすぐ来れる?表参道!』


 飲み会の前に会えるってことだろうか。これはデート……?淡い期待に、指を弾ませながら返事を返した。


 定時で仕事を終え、すぐに表参道に向かう。駅を出ると、サトルがこっちに手を振っていた。夕暮れの柔らかい日差しに照らされる彼も、またさくらの心を揺らす。横を通り過ぎる女の子たちが、時々振り向いてざわざわしているが、本人は気付いていないようだ。さくらの頬が少し赤いことにも、きっと気付いていない。


「お疲れ様。ごめんね、急に来てもらって。大丈夫だった?」

「サトルさんこそ、お仕事大丈夫なんですか……?」

「今日は仕事持ち帰ることにしたから、大丈夫。さっそく行こうか」


 早足だが、さくらを気遣って歩調を合わせようとしてくれる。


「ネイル、可愛いね。髪の毛も、少し染めた?」

「あ、ありがとうございます……!昨日初めてネイルサロンに行って。高橋さんに紹介してもらったんです」

「いいじゃん、似合ってるよ。瑞姫は、職場ではどんな感じなの?ちゃんと働いてる?」


 気付いてもらえて嬉しい。やっぱり、ネイルも髪もはりきってよかった。二人はたわいもない会話をしながら、原宿の方へ通りをゆるやかに下っていく。右手に大きな建物が見えると、サトルはここだよと言って建物に入っていく。


 サトルは、とあるアパレルショップの前で足を止めると、店員さんに何やら話しかけている。しばらくすると奥から店員さんが戻ってきて、サトルにこっちに来てと手招きされた。


「これ、試着してきて」


 さくらの前に差し出されたのは、淡いラベンダーピンクのワンピース。裾に向かってふんわりと広がったデザインが女の子らしい、甘すぎず、大人の上品なフレアワンピースだ。


「えっ。どうして……」

「いいから、いいから」


 サトルは、遠慮しようとするさくらの言葉を遮り、半ば強引に試着室へと突っ込んだ。どうしよう。動揺が止まらず、足が震えそうだ。ささっとピンクのワンピースに着替えて試着室のカーテンを開ける。


「うん、よかった、似合ってる。それ、俺からの誕生日プレゼント。そのまま着て行ってほしいんだけど、いい?」


 サトルは、さぞ満足げに微笑んでいる。こんなこと、あっていいのだろうか……。さくらは人生初の体験に、戸惑いと驚きでいっぱいだった。幸せで、目の前がちかちかする。


「じゃあ、行こっか。さくらちゃんの誕生日は、まだまだ終わらないよ?」


 お会計を済ませると、サトルは動揺して固まっているさくらの手を取って、表参道の街をあとにした。

 道沿いにきれいに並んだケヤキ並木は、夕日のオレンジに照らされながら、心地よい風にそよそよと揺れていた。



「あ!サトル来たきた!今日はずいぶん早いじゃんー」


 飲み会の会場は、すでにガヤガヤと賑わっていた。今日は仲良い人たちでの少人数の飲み会かと思っていたが、そうでもないらしい。会場は、芝公園の東京タワーのすぐ横、足元だ。店内をオレンジ色に染める、ライトアップされた東京タワーがなんともダイナミックで、都会の洗練された空気を感じる。キラキラした夜のはじまりに、心が躍る。


 さくらは、サトルの半歩後ろをさりげなく、でも自信を持って力強く進んでいく。一歩進むたび、ワンピースの裾がふわりと揺れる。さくらに向けられる好奇の視線も、今日は心地よい。


「さくらちゃん、お久しぶり」


 隣の席から話しかけてきたのは、この前の飲み会でさくらを出迎えてくれた男性だった。


「あ、お久しぶりです……」

「僕はユウタ。サトルとは大学の時からの付き合い。この前はごめんね、お酒、飲ませすぎちゃったみたいで……」


 申し訳なさそうに謝る彼は、子犬度が増してかわいい。


「本当だよ、俺が来なかったらどうなってたことか」

「だから、サトルのこと呼んだんじゃんか。呼んだ方がいいって言い出したのはサキだけど。ね、サキ?」


 ユウタは、そう言って後ろで立ち話をしていたショートカットの女性の肩を叩いた。振り向くと、華奢なゴールドのピアスがきらっと揺れた。見覚えのある黒い大きな瞳。この人がサキだったのか。サキは、隣にいたさくらに気付くと、一瞬鼻につくような嫌な顔をして、冷たい視線を向ける。


「あなた、また来たのね」


 そう言い捨てると、やれやれというジェスチャーをしながらどこかに行ってしまった。


「サキはね、ああ見えて面倒見が良くていいやつだから」


 隣でサトルがこそこそと耳打ちして、大丈夫だからというように、さくらの手に自分の手を重ねた。もう大丈夫、隣にはサトルがいてくれる。


 さくらたちの向かいに座る人たちが、そんな二人を見ながら、神妙な面持ちでなにやらヒソヒソと話している。だが、店内の喧騒に紛れて、さくらの耳には届かない。

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