第15話 誕生日ケーキ

「さくらちゃん、その服似合ってるね」

「そのワンピース、可愛いね。どこで買った?ネイルも桜色で可愛い~!」

「さくらちゃん、お誕生日おめでとう。遠慮しないで、もっと飲んでのんで」


 さくらは、お酒にも、この場の空気にも酔いしれていた。お酒を片手に、代わるがわる隣に座るのは、港区に住む成功者たちや、モデルの卵。みなそれが当たり前だというように、何万円とするシャンパンを開けて、高級ワインをさらっとさくらに飲ませる。華やかで、豪快で、でも洗練された東京の夜。ピンクのワンピースが、桜色のネイルが、さくらをこの夜に溶け込ませていく。


「この腕時計、店に通い詰めてやっと手に入れたよ」


 ITベンチャーの社長だという若い男性が、皆の前で腕を突き出している。もうだいぶ酔っているようだ。カジュアルなジャケットの袖を少しまくり、ゴツい腕時計を出す。


「おお、ついに買えたんですね。よかったですね」

「すごーい、カッコいい!」


 さくらに高級腕時計の世界は未知だったが、精巧なオクタゴンケースと、ひとつひとつ職人の手彫りで作られている文字盤の装飾がすごいらしい。庶民には手の届かない、まさに雲の上の時計なのだそうだ。男性は、時計に注目する人たちを眺めて、さぞ満足げな顔をしている。


 ふと周りを見渡し、男性に群がっている女性たちの身なりに目を留める。軽くドレスアップしている人が多く、化粧もさくらと違ってパーティー仕様で派手だ。手には雑誌でしか見たことないようなハイブランドのハンドバッグ。みな、自分で買うのだろうか。表参道でちょっと良いワンピースを買ってもらったくらいで浮かれている自分が、急に恥ずかしくなった。


「すみません、ちょっとお手洗いに……」


 さくらは、その場に居ても立っても居られなくなって、トイレに逃げ込んだ。きっと、みんなサトルがいるから気を遣ってくれているだけだ。可愛いと褒めてくれる女性たちだって、内心さくらを小馬鹿にして見下しているに違いない。


 さっきまでの浮かれた気分は一気にしぼくれ、心の底からどろどろしたものが湧き出る。


 悔しい……。


「あなた、また来たのね」


 気付くと、隣にサキが立っていた。ただでさえ落ち込んでいるのに、その大きな瞳を向けられたら、もう敗北したような気分になる。


「わたし、忠告したつもりだったのよ。あなた、普通に良い子みたいだし、こんなところに来ない方がいいと思うから」

「それはどうゆう……?」

「サトルも私が呼んだ。うん、私が呼んだの。それでまあこうなっちゃったわけで……」


 サキは少しだけ口角をあげて、あきらめたように笑ったが、その後すぐため息をついた。


「分かってると思うけど、お金持ちの成功者だって、聖人君主ではないんだからね。あなただって、色んなこと考えてるけどそれを私やサトルには見せないってことだってできる。サトルだってそうよ」

「サトルさんは良い人です」


 さくらが強気に出ると、サキは困ったという顔をしたが、しょうがないという感じでさくらの方に向き直った。


「でも覚えといて、サトルだって普通の人間なんだから」


 そう言うと、さくらを残して先にトイレを出ていった。


 わたしだって、馬鹿じゃないんだから……。悔しい気持ちが込み上げる。人生は、知れば知るほどに不公平だ。生まれた時から決まっていた、この勝者と敗者の構図。表向きは慈悲の心を見せながら、どんでん返しなんてありえないと無意識の領域で知っている、あの人たちの余裕。


 ずっとなんとなくどこかで感じていたこの生身の感情。いつも、自分はこの立ち位置だと言い聞かせながら、キラキラした人には憧れ、本心をうまく取り繕って隠して生きてきた。


 でも、ここは不思議だ。さくらは少し開き直る。


 そんな世界線のボーダーラインも、飛び越えられるような気がしてくるのだ。自分もそっち側の人間になれるような、そんな甘い誘惑に、やはり足を止められない。


 さくらは、鏡の中の自分の顔をじっと見つめる。ぐっと口角をあげて無理やり笑顔を作る。


 ふふふっと不敵な笑みがこぼれる……。



 フロアに戻ると、なぜか消灯していて暗い。停電か?一瞬わけが分からず動揺していると、急にパーンっというクラッカーがはじける音がして驚く。


「ハッピーバースデートューユー、ハッピーバースデートューユー……」


 バースデーソングの大合唱の中から、両手いっぱいに抱えるほどの大きなケーキを持った店員さんが出てきた。


「わぁっ……」


 思わず声が漏れる。大きなスクエアのケーキには、まるでブーケのように花々が敷き詰められ、桜の花びらやハート型のクッキーで装飾されている。中央には、白いチョコレートのプレートにメッセージ。散りばめられたアラザンが、ろうそくの明かりに照らされキラキラ輝く。SNSに芸能人が載せているような、立派なケーキだ。


「これ、特注のケーキってやつだよ。どう?気に入った?」


 集団の中からサトルが一歩前に出る。サトルの笑顔が、ここにいていいんだと優しく手を引いてくれるようだ。舞い上がりそうになってしまう自分をぐっと堪える。


「はい、写真撮るよ~!早くはやく!」


 みな慣れた様子でケーキの周りに集まって、東京タワーの足をバックに集合写真を撮った。いつの間にか、店内はたくさんのバルーンで装飾されている。なんて華やかな誕生日だろう。


「さくらちゃん、SNS用の写真撮った?盛れる写真撮ってあげよっか?」


 隣にいた小柄な女性にスマホを渡すと、慣れた手つきで何枚もケーキの写真や店内の写真を撮ってくれて、最後は二人でツーショットを撮った。


「みんなの集合写真と一緒にSNSにあげるんだよ?盛れてるやつだけ厳選して♡」


 たしかに、女性たちはみな撮った写真をSNSにあげるのに夢中だ。さくらも何枚か写真を選んで、すぐSNSに投稿した。

 東京の夜によく映えるバースデーケーキとバルーン、大勢の人に囲まれて笑う自分の姿に、高揚感を覚える。


 SNSに写真をあげると、すぐに誰かからいいねが押され、やがて通知が鳴りやまないくらいの反応がきた。「すごいケーキ!」「可愛い~!」「みんな美人!芸能人の集まりですか?」数々の賞賛のコメントに、さくらの優越感がふつふつと満たされていく。今まで見る側だったSNSの世界に、自分は映っているのだ。ほら、世界線なんて、こんなに簡単に飛び越えることができる。


 ふふふ、楽しい。


 今日の主役はわたしなのだ。もっとこの写真を見てほしい、もっといいねを押してほしい。


「さくらちゃん、ここでの遊び方、分かってきた?」


 サトルがスマホを覗きながら、少し小悪魔的な含み顔で聞いてくる。


「うん、本当にありがとう。こんな嬉しい誕生日、初めて」


 目が合うと、二人は自然に笑顔になる。BGMは、シャンパンのはじける音、あちこちから聞こえるシャッター音、男女のはしゃぐ声。華やかなパーティー会場でひらひらと揺れるピンクのワンピース。今にも踊り出したい夜。


 そんなキラキラした瞬間を遮るように、スマホに新着メッセージが届く。咲桜と葵からだ。急に地まで足を引っ張られるようだ。

 咲桜も葵も、近いうちに会って話がしたいというような趣旨のメッセージだった。


 ふん、二人が祝う誕生日なんて、せいぜいカフェで映えないケーキが出てくるくらいだろう。適当に、今度会おうと返事を返す。


「お友達、なんだって?」


 サトルに話しかけられて、はっと仏頂面を元のパーティー仕様に戻す。


「ううん、特に、なんでもない」

「今日、この後、俺ん家来る?遅くなっちゃったし、帰るの大変でしょ」

「……うん、行く」


 サトルの思いがけない提案に、さくらはひとつ返事で飛びこんだ。

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