第11話 六本木
さくらは、六本木の地下鉄の改札を出た。目指すは三番出口。六本木は通過したことはあるが、ここで降りるのは初めてだ。この時間帯だからか、駅構内は帰路に向かうサラリーマンらが大きな流れを作ってホームへと降りていく。その波を潜り抜けながら、案内図を頼りに出口を探して進む。
外に出ると、冷たい風が頬を切る。日中の暖かさからは想像できない冬のような寒さが、手先を冷やす。高揚していたさくらの頭も、すっと冷やされ、少し平静を取り戻すようだった。
道路の向こうにそびえ立つ、超高層ビルを目印に進んでいく。これは再開発によってできた六本木のランドマークともいえるビルで、オフィスやショッピングモール、映画館、美術館などが入った複合施設だ。五十二階の展望台からは、まさに東京の中心地を見下ろせる。夜になると、より一層ギラギラとその存在感をあらわにしているように見える。
一歩一歩、進むごとに緊張で心が揺れる。ゆるやかな坂道を下り、何軒か飲食店を通り過ぎると、曲がり角に三階建ての建物が見えてきた。地図アプリが、ここだと言っている。店の外観が案外普通で、少しほっと肩の力が抜けた。
三階まで階段を上ると、「1977」という数字が書いてある扉が見えた。グレーで統一感のある入り口は、シンプルだがおしゃれだ。隠れ家カフェのようにも見える。
近づくと、扉の横にいたスーツの男性がスマホから顔を上げた。
「さくらちゃん?」
さくらに笑顔を向けたその男性は、すらっと背が高く、紺色のスーツがよく似合っている。暗めの茶髪は綺麗に整えられ、さわやかな表情と声は初対面から好感を感じさせる。とくり、と心臓が小さく震えるのを感じる。
「サトルさんですか……?」
どこかで、サトルさんであることを願っている自分がいた。
「いや、サトルはまだ来てないよ。もう少ししたら来ると思う。先入っちゃってくれる?寒いでしょ」
そう言いながら、サトルではないこの男性は、さくらの頭のてっぺんからヒールの先までスマートに目線を移し、「うん、大丈夫」と小声でつぶやいた。
思わず「えっ?」と不快な声を出してしまったさくらに笑顔を向けると、
「大丈夫、さくらちゃん可愛いね」
と言いながら笑顔でさくらの背中を押し、店内にエスコートしていくのだった……。
黒いカーテンで囲まれた廊下を抜けると、目の前には、天井から釣り下がる大きなシャンデリア。その光でキラキラと反射する、まさに六本木の夜があった。
おしゃれなカフェのような外観からは想像できない、店内の華やかさ。黒い大きなソファに大理石調のテーブル。各テーブルの上には、氷の山の上にこれ見よがしに積まれた高級シャンパン。肉の焼ける匂い、お酒の香り、香水が混ざり合ったなんともいえない甘い匂い。あちらこちらから、店内のBGMをさえぎる女性たちの笑い声。それをシャンパン片手に眺める男性たち。
さくらは、目も耳もチカチカしてしまって、おかしくなってしまいそうだった。今すぐにでも引き返した方がいいと思うが、背中に添えられた手は、さくらをフロアの奥へとぐんぐん運んでいく。大人数の飲み会だとは聞いていたが、ちょっとしたパーティー会場のようだ。時々こちらに気付いた男性たちは、さくらを上から下まで見定めるように視線を向ける。女性たちは物珍しそうに一瞬眺め、興味はないというように会話に戻る。
フロアの奥の方まで進むと、半個室のような空間があり、そこには美女を両脇に、顔を赤らめて談笑する男性がいた。五十代くらいだろうか。
「瑞姫の同僚の子、来ましたよ」
一瞬頭が回らなかったが、瑞姫とは高橋さんのことだ。もうだいぶ出来上がっているように見える男性は、さくらを上から下までなめまわすように見た。目元はゆるんでいるが、視線の奥は鋭く、刺さるようで少し怖い。
少し間を置いて、優しい表情を作ると、ソファに深く座り直した。両隣の美女は、獲物を取られまいと警戒するように空気をぴりつかせた。
「瑞姫がお世話になってる子だね。まあ座りなさい、そんなに緊張しなくていいよ。お酒は何が好き?」
何を言ったらいいのか分からずおどおどしていると、案内してくれた男性が隣でささやいた。
「この人は芸能事務所の社長さん。瑞姫がいた事務所ね。お酒は適当に可愛いカクテル持ってくるよ」
隣にいた男性は、そう言ってカウンターのほうに消えてしまった。あぁどうしよう。足が震えているのに気づかれないように、さっと向かいのソファに座った。高橋さんは何てことをしてくれたんだ。
「大丈夫、青山さんは良い子だからあんまりいじめないでって瑞姫から言われてるから」
「あの、高橋さんがいたモデル事務所の社長さんでいらっしゃる……」
「そうだね。瑞姫は中学生の時からうちにいてね。あの見た目だろ?いつも良い線行くんだけど、なんだか読モ止まりで……。ああ見えて、けっこう繊細なところがあってね。他人を押しのけてでも自分が前に出たい!ってタイプじゃなかったんだよなぁ」
そう言うと、社長は少し目を細めて残りのシャンパンをぐっと飲み干した。さくらに話しかけているというよりは、昔を思い出して懐かしんでいるようだ。
「それで知り合いの事務に渡したけど、お給料低いだろ?君も苦労してると思うけど。だからこうゆう飲み会に時々呼んでるわけさ。なんだか今日は来ないって言うんだけど。別の若い奴らの会にでも行ってるんだろ」
はぁ……。よく分からないが、高橋さんがうらめしい気持ちは一緒だ。そこだけは共感できる。
「君は、彼氏とかいないの?まあここに来てるってことはいないか。君もけっこう良い線いってると思うけどね?細見で、背もそこそこあるし。芸能人で誰かに似てるって言われない?」
そう言いながら、またさくらの全身をなめまわすように見る。これはこの人の癖なんだろうか。もう嫌だ、帰りたい。
「地方の局アナにいそう」
社長のとなりで空いたグラスにお酒を注いでいたショートカットの女性が、急に口を挟んだ。シルバーのブレスレットが揺れる腕は、とても細い。小さな顔に、黒い大きな瞳が印象的で、おしゃれで華のある顔だ。
「たしかに、君アナウンサー顔だよね。瑞姫と並んだら華はないのかもしれないけど。うん、目鼻立ちが整ってるというか。化粧で化けるかもね」
何と言ったらいいものか分からず硬直していると、さっきの男性がお酒を持って隣に来た。
「さくらちゃん、褒められてるんだよ」
さっきから思っていたが、この人は身のこなしがスマートだし、たぶん慣れている。見るからに浮いているさくらと違って、この場にするっと溶け込んでしまった。思わずまじまじと顔を見つめてしまう。咲桜の彼氏に少し似てるかもしれない。どちらかというと子犬系という感じか。若く見えるが、たぶんさくらより年上だろう。これは悪い夢なのだろうか……。
「さくらちゃん、いくつ?」
「えっと……、二十五歳です」
「そうか、瑞姫の後輩だもんな。ここにいる子たちもみんなそれくらいの歳なんじゃないか?まあ、せっかく来たんだから楽しんだらいいよ。乾杯」
「かんぱ~い!!」
社長の隣にいたショートカットの美人が、周囲にも聞こえるようにはしゃいだ声をあげてグラスを高くあげた。あちらこちらから「かんぱい!」という声がかかる。
さくらはおずおずとグラスを差し出す。グラスとグラスがぶつかり、カランと音が鳴る。店内の照明の光を、ガラスがキラキラと反射する。
六本木の夜が始まった……。
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