第6話 月曜
私たちは、その後も日曜の朝の討論番組のように語り続けた。結婚かキャリアか。このような二択が多くの女性たちに迫られるようになったのはいつからだろうか。明治維新の頃からだろうか。そう思うと、人間社会は進歩しているのかもしれない。わたしたちは、いつだって進化の途中だ。今や、多様性の時代と言われ、二択以上の選択肢が広く認知されるようになった。
選択肢が増えた、ということはそれだけ自由が増えたということだ。いや、人間は選択肢が少ないほうが幸せだとどこかの学者が言っていたような……。
「さくらはどう思う?わたし、間違ってると思う?」
「間違ってないと思うよ。まあでも旦那さんとか親の理解は必要かな、と思う。旦那さんも育休を取る、とか、熱出した時はお迎えに行ってくれる、とか」
「そうだよね。うちの母親も、会社がシングルマザーに理解ある人たちだったから働き続けられたというか。それでも、早退したり急に休んだりすると嫌味言われたって言ってたな」
現実は厳しい。そんな風当りの中でも、仕事と育児を休まず続けた咲桜のお母さんはやっぱりすごい。
「北欧のどっかの国みたいに、女性も働きやすい環境にならないのかね」
「北欧の国はバイキングの時代から女性兵士が活躍してたっていうからね。時代背景とか、国の政策とか、もっと大きい力が働かないとだめなんだよやっぱ」
「でも日本の少子化対策はちんぷんかんぷんなことばっかりで、役に立たないなあ……」
「本当にそう。でも、北欧の国だって、女性の管理職の割合はそんなに高いわけじゃないのよ。だからね、国のせいだとか、環境のせいだとか言ってる場合じゃないの。自分が欲しいものは、自分で勝ち取らないと」
この子のこういう意志の強さは、さくらも見習いたいところであった。
「まあ、まだ結婚もしてないんだけどね……」
「そうだね、まずは彼とよく話し合ってみたら?会社のスパキャリな先輩にも、よく話聞いて」
「うん、そうする!」
運ばれてきたデザートと紅茶を楽しみながら、最後はどうでもいい話で盛り上がって、女子会は解散した。
帰りの電車は咲桜と逆方向だったので、駅でお別れした。
「また来月くらいに会えるかな?」
「うん。咲桜も何か進展あったらすぐ教えてよ?」
「もちろん!じゃあ、また。元気でね」
学生の頃は嫌でも毎日のように会えたが、社会人になってからはそれがすごく貴重な時間になった。友人関係を続けるには、お互いの意志が必要である。お別れの時間は、自分と友人の意志を確認する刹那な時間になった。
咲桜の後ろ姿を見送って、自分もホームに向かった。外に出るまで気付かなかったが、空は少し薄暗くなっている。ずいぶん話し込んでいたようだ。日の入りまであと少し。ビルとビルの隙間から、眩しい夕日が低い角度で差し込んでいる。駅のホームは家路に着く人やら、これから夜の街に繰り出す人たちやらで、相変わらず賑やかだった。そんな夕方のもわっと膨らんだ空気の中に、時々駅員のアナウンスがすっと響く。さくらは「今日はありがとう……」とお礼メッセージを送りながら、家に帰った。
月曜日。さくらはいつも通り、満員の通勤電車に押し込まれ、やっとの思いで会社まで辿り着いた。乗り換えが無いからまだ楽なのかもしれない。だが、誰とも知らない人間の吐いた息を吸い込みながら何十分も過ごすのは、気分の良いものではない。満員電車だけは、未来永劫に慣れる気がしない。
自分のデスクに荷物を置き、ふぅと一息ついて気持ちを整える。さあ、また一週間がはじまる。パソコンを開き、まずは今日のスケジュールを確認する。今日は昼前から部署のミーティングがある。朝礼までに必要な資料を確認しておかないと。ついでにメールにはちらっと目を通し、緊急の要件がないかどうかだけ確認した。
「おはようございます」
「おはようございます」
同じ部署の田中さんが来た。さくらと同じ事務員で、年齢はさくらより十歳ほど上だったはずだ。
「田中さん、今日のミーティングの資料、わたしが出しときますね」
「ありがとう。会議室の予約はもうできてる?」
「はい、今いれます。Bでよかったですか?」
「うん、いいと思う。後で馬淵さん来たら、資料と会議室のこと、伝えてあげて」
馬淵さんは、お局てきな存在の大先輩だ。特に週初めのミーティングなどの大事な仕事の時は、馬淵さんへの情報伝達を怠ってはならない。これは暗黙の了解、というやつだ。
さくらの会社では、朝早めに来て、職場の環境を整えることも事務の仕事になっている。まずブラインドを全部上げて、空調を調整する。残っていたFAXを各社員のデスクに配る。コピー機の電源を入れて、用紙をセットする。ゴミ箱をチェックして、溜まっていればまとめてゴミ捨て場に……。そんなことをしているうちに、社員が続々と出勤してきた。
朝の小仕事を一通り終え、今日の資料をいつでも印刷できるように準備した。始業十分前になると、朝礼がはじまる。社内に少し緊張の糸がピンと張り、今にも朝礼がはじまる、といういつものタイミングで、高橋さんが入ってきた。
「おはようございまぁす」
高橋さんはさくらより少し年上の先輩。毛先まできちんと美しい茶髪はゆるやかにウェーブし、化粧は今日も派手め。爪は桜色のネイルできゅるきゅるだ。こんな調子だが、仕事はテキパキ真面目にこなす……なんてギャップは残念ながら無い。高橋さんが電話を取るなんてかなりレアだ。しかし、彼女は今まで誰からも咎められたことはないし、何なら一目置かれる存在である。なぜか?……元読者モデルという“本物の美人”だからである。こんな小さな昭和感の残る会社で、高橋さんの存在は異様な輝きを放っていた。
朝礼が終わると、みなデスクに戻り、それぞれの仕事がはじまる。静かだが、パソコンのキーを叩く音や、電話の呼び出し音、話し声など、会社の空気は一変して活気ある風景となる。さくらは、いつでも電話が取れるように身構えながら、メールチェックの続きをはじめた。
「高橋さん、今日来客対応一件入ったから、対応お願いね」
「わかりましたぁ」
田中さんが、高橋さんに指示を出している。高橋さんは、他の仕事にはやる気を見せないが、来客対応だけは任せてくれという態度だ。まあ、人には適材適所というものがある。
馬淵さんは課長と話し込んでいるようで、なかなか話しかけるタイミングがない。話しかけるスキを視界の端で伺いながら、メールにざっと目を通す。新規で何件か、資料作成依頼や外部への問い合わせの依頼が来ている。タスクを整理して、さっそく資料の作成に取り掛かろう。
こうして、さくらの一週間がまた始まった……。
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