第7話 葵

 日曜日。十時頃起きたさくらは、ずっとごろごろダラダラしている。昨晩、ドラマを一気見したので、寝たのが深夜を過ぎてからだった。あまりに面白くて、今もドラマのシーンが時々頭に浮かんでは消える。感極まったままに、SNSで同じドラマを観た同志を探す。いるいる。皆興奮冷めやらぬままにコメントを残している。

「最高のドラマだった!でも主人公への仕打ちが最後まで酷すぎて……鬼ですか?TT」

「冒頭から涙が止まらなかった……」

「テスト前に見始めてしまったのに、止まらなくなってしまいました。でも後悔してません!」

画面をスクロールしながら、心の中でうんうん、と相槌を打つ。こうしてコンテンツへの共感や愛を誰かと共有できるのは、SNSの良いところだ。


 いけない、もうこんな時間だ。今日は葵の店に行く予定だった。ベッドからごろんと立ち上がり、身支度をはじめた。


 葵の店は、さくらの実家の近く、埼玉にある。片道一時間ほどはかかるだろうか。特快に乗れれば、新宿での乗り換え一回ですむ。さくらは「急げいそげ」と独り言を唱えながら、準備を済ませて家を出た。


 運よく、特快に乗れるちょうど良い時間に駅に着いた。後は座席に座れるかどうか……。少し混雑するだろうな。そんなことを考えながら電車を待つ。もうすぐ三月になろうとする、冬から春への変わり目。最近は急に温かくなったり、次の日には真冬のような寒さになったり、落ち着かない。今日はどちらかというと寒い日だが、日中の日差しの中では空気が少し柔らかく感じる。


 駅員のアナウンスが響き、電車がホームに入ってきた。人々の流れに乗り、特快電車に乗り込んだ。


 昼過ぎ、埼玉に到着した。実際そんなことは無いが、ホームに降りると匂いが変わった気がする。見慣れた、どこか安心する風景。地元に戻ってきた時に感じる、この感じは何なんだろう。

 まったく変わらない駅のホームを抜け、通い慣れた中央口を出る。ぱっと日の光が差し込んで、一瞬眩しくなった。空は高く、青い。雲一つない快晴だ。こんなに良い天気だということに、今気付いた。


 駅から十分ほど歩き、商店街を抜けると実家はすぐそこだが、今日は通り過ぎる。家から歩いて五分ほどの場所に、葵の家が経営している食堂がある。子どもの頃から毎日のように足を運んだ食堂は、今日も変わらず賑わっている。


「おかえり、さくら」


 店の戸をガラガラと開け中に入ると、レジ横にいた葵が笑顔で迎えてくれた。葵は、髪を後ろで無造作にまとめ、ジーンズに茶色のエプロンというお仕事モードだ。背はさくらより低く小柄で、レジの機械からちょこんと顔を出している。厨房では、旦那さんとお母さん、お父さんが、忙しそうに料理を作っている。


「ただいま!今超忙しいでしょ、ごめんね……」

「うん、ちょっと手が空くまで奥で待っててくれる?子どもたちのお守りさせるみたいで悪いけど」


 日曜のお昼という時間帯で、ちょうど家族連れや休日出勤のサラリーマンやらで満席だった。店内には、揚げ物を揚げる香ばしい匂いが立ち上り、さくらの食欲を刺激する。

 店の奥に通され、しばらく待つことにした。奥の部屋では、子どもたちがテレビを流しながら、思い思いにおもちゃで遊んでいた。しばらく子どもたちと遊びながら、お客さんがはけるのを待った。


「さくら、お待たせ。お腹空いたでしょう?食べよたべよ」


 昼時の忙しさはひと段落したようだ。子どもたちをお母さんに引き継ぎ、店内に向かうと、テーブルには美味しそうな定食が用意されていた。ほかほかの湯気が、お腹が空いているさくらの食欲を限界へと誘う。


「いただきます!」

「どうぞ召し上がれ!」


 厨房から旦那さんの声がしたので、ありがとうございますと大きく手を合わせた。まずはとんかつからいただく。揚げたてのとんかつは、口に入れると衣がザクリと音を立て、肉汁が溢れる。空腹だった胃にしみわたる美味しさを、ゆっくりと味わう。とんかつ定食は、この食堂の一番人気のメニューで、さくらも大好きだ。


「で、どうしたのよ。さくらから会いたいって言ってくるのもめずらしいじゃん」

「このとんかつが食べたくなってさ」

「なんだ、可愛くないな~。わたしに会いたかったんでしょ?」

「まあ、そうゆう感じかな」


 葵は高校を卒業してすぐ、実家の食堂を手伝いはじめた。しばらくして、常連のお客さんだった今の旦那に出会い、二十歳の時に結婚して、子どもができた。今は二人の子どもの子育てをしながらお店を回したりと、毎日忙しく過ごしているようだ。


「あいかわらず忙しそうだね」

「そうなのよね、まあこの生活にも慣れてきたんだけど。またバイト雇おうかって話してるかな最近」

「子どもたちが保育園から帰ってきてからが大忙し問題?」

「そう、ディナーの時間帯がどうしても人手が足りなくて。子どもたちは勝手にご飯食べて遊んでてくれるんだけど、金曜の夜とか混雑するとね……。土日も、もう少し子どもたちのために時間使ってあげたいし」


 毎日朝から夜まで働きながら、子どもたちの面倒も見て、家の事もやって。さくらだったらすぐに目が回ってしまってお手上げだ。


「まあ、保育園にすぐ入れられたのはありがたかったね。埼玉でも、待機児童すごいとこは全然入れないみたいで。うちは自営だからさ、共働きの会社員より点数低くなっちゃうから」

「葵のとこは、お母さんも時々面倒見てくれるんでしょ?」

「うん、まあ基本はお店にいるんだけど、何かあった時は全然預けちゃう。頼りになるよ」

「いいよね、お母さんお父さんもいるし、旦那さんもお料理は任せろって感じだし」

「たしかに、旦那は料理得意だし、きれい好きだね」

「いいなあ~。いや、この前友達と、仕事と結婚の話について盛り上がっちゃってさ。両立するの難しいよね、って」

「あぁ……バリバリの咲桜ちゃん?」

「そう、バリバリの(笑)」


 葵には時々咲桜の話をしていて、東京のキャリアOL、というイメージで認識されているらしかった。


「彼の実家で、結婚しても仕事続けたいって言ったら、ちょっと嫌な顔されちゃったらしい」

「今どきね~。ママ友にもフルタイムで働いてる人、けっこういるよ」

「そうだよね。まあ、咲桜がちょっと強気で言っちゃったから印象悪かったみたいなんだけど」

「咲桜ちゃんは、仕事命!って感じ?」

「うん、仕事のために生きてるといっても過言ではないよ。でも彼氏ができてから、ちょっと変わったかもな」


 咲桜は一時期、会えば仕事への情熱しか出てこないような時もあったが、彼氏ができてから彼の趣味を一緒に楽しむようになって、世界が広がったと言っていた。


「難しい問題よね、仕事が好きな女の人にとっては」

「葵はどうなの?高校生の頃からお店継ぐんだって言ってたけど、結婚もするって思ってた?」

「わたしは、二十五歳までに結婚して、子どもは三人欲しいって思ってた」

「そういえばそんな話してたね」

「わたしは、常連さんとかご近所さんたちに育てられてきたから。大人になったら、周りの人たちに恩返ししていくって思ってたし、その輪の中心に家族がいるってイメージだったかな。家族で支えあって、このお店を守っていこうって」


 葵とさくらは同い年で、これまでの人生のほとんどをお互い見てきたが、新しい一面を見たようで、少し恥ずかしいような、誇らしいような気持ちになった。心の中身は小学生の時から変わってないような気がしていたが、二十五年分、わたしたちは時間を重ねてきたのだ。

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