第4話 元カレ

「お待たせしました、こちらが花畑ランチAセットと、Bセットです」


 若い女の子の店員が、注文していたランチセットを両手に持って運んできた。さくらはパスタとサラダとデザートがついたAセット、咲桜はサンドイッチのBセットを注文した。サラダにもパスタにもお花が乗っていて、おしゃれで可愛い。


「いただきます」

「さくら待って、写真撮ってないよ」

「あ~危ない、食べちゃうところだった!」


 二人でご飯を食べる時、咲桜は必ず写真を撮る。これは大学生の時から変わっていない二人の習慣みたいなものだ。習慣みたいになっているが、毎回写真を撮ろうと言ってくれることをさくらは内心嬉しく思っている。

 二人とも前髪を軽く手で直し、笑顔で携帯のカメラに映った。こういう小さな積み重ねが、二人の思い出の時間を作っていく。


「じゃ、いただきます。美味しそうだね~。サンドイッチ半分いる?さくらのパスタも半分分けてよ」

「いいよ、シェアしよう」


 さくらは自分のクリームパスタを半分取り分け、咲桜に渡した。


「でさ、さくらは最近どうなのよ」


 咲桜は取り分けられたクリームパスタを一口食べると、ニコニコしながらさくらの近況を尋ねた。


「どうって、なーんも変わらないよ。いつもどおり」

「仕事は順調?」

「順調というか、いつも通りの定時退社で平和に働いてますよ」


 本当にそうとしか言いようがないくらい、仕事はただ毎日のルーチンをこなしていた。良くも悪くも定時退社の、平凡な毎日だ。

 さくらは新卒で一般職に就いた。東京のそんなに大きくも小さくもない会社の事務職で働いている。会社の風土は創業当時からあまり変わっておらず、昭和の匂いがぷんぷんする。さくらのような事務員には制服があり、お茶出しは女性の仕事になっている。もちろん管理職には男性しかおらず、事務員で育休を取った先輩はいない。みなそこそこの年齢になったら寿退社をしていくか、会社に残ってお局になる。そんな感じだ。

 ただ別に労働環境が悪いわけではない。給料は低いが、ほぼ毎日定時で帰れるし、仕事も覚えてしまえば後は同じことをするだけだ。これ以上自分に向いている仕事は無いと思っているし、別に現状に不満はない。気づけばさくらも、なんとなく働いて、なんとなく良い人と出会って結婚して、会社を辞めて専業主婦にでもなるんだろうという昭和的価値観に染まっていた。


「で、どうすんの?このまま今の会社で働いてお局になる決心がついた?」


咲桜は半ばちゃかして聞いてくる。


「わたしが結婚して寿退社するっていう未来は見えないわけ?」

「うーん、見えなくもないけど。最近、婚活婚活って言わなくなったからさ」


たしかに、前回咲桜に会った時は婚活について延々と語っていた気がする。その時の勢いでマッチングアプリにも登録した。だが実際に相手を探したり、デートをしようと思うと億劫に思ってしまうところがあった。


「それは最近ちょっと疲れちゃっただけ」

「ふーん、そうなんだ。そういえば最近、サークルのいくみちゃん結婚したよね」

「あー、インスタ見た!こうた先輩とそのままゴールインだよね……」

「いいなぁ、学生時代の彼氏と結婚がやっぱ一番だよね」

「そうかな?まあお幸せにって感じだけど」

「あ~、なんか今日は冷めてるな?」


 二十五歳になって、周りでちらほらと結婚する人が増えてきた。地元の知り合いはもう結婚してそろそろベビーブームかというところだが、大学の友達関係はまだそうでもない。学生時代から付き合っていたカップルが、社会人になって少し落ち着いて結婚するという感じだろうか。

 さくらは結婚を焦ってはいなかったが、三十歳までに結婚しようと思うと、そろそろ彼氏がいないのはヤバいんじゃないかとは思い始めていた。


「わたし、やっぱり売れ残りなのかな?」

「出た!クリスマスケーキ理論!やめなよ~、前向きに考えて?婚活市場なんて三十代、四十代の人ばっかりなんだから。私たちまだ二十代だよ?まだ全然勝算あるっしょ」

「そうなのかなあ……」

「さくらはさ、まだ前の恋愛引きずってるんだよ。もう学生時代の恋愛なんてさっさと成仏させちゃいなよ?」

「たしかにそうなんだよな……」


 さくらは大学生の時、彼氏がいた。十九歳の時付き合いだした、同じサークルのたくやだ。たくやは真面目で好青年で背が高く、どちらかというとモテる。さくらも密かにいいな、と思っていて、咲桜に相談したらあれやこれやと手を焼いてくれて、付き合うことになった。

 たくやは本当に根が真面目で、一緒にいると色々気を遣ってくれるし、困っている時は頼りになった。いつしかサークル公認のカップルになって、周りからもちやほやされて、さくらのキャンパスライフを何倍にも楽しくしてくれた。


 だが、そのたくやの真面目さは、二人の関係の破錠につながってしまった。


 二人が二十歳になった時、たくやの両親は離婚した。とても仲の良い家族だと聞いていて、毎年家族旅行に行っていたり、たくやもとても家族愛の強い人だった。本当に直前まで両親もそんな素振りは見せなかったらしい。そしてたくやは、両親の離婚にかなりショックを受けてしまった。

 特に自分の結婚観にはかなり影響したようだった。もともとたくやは結婚願望があって、両親のように仲の良い家庭を築けたらと言っていた。だが、その結婚願望はより強固なものになり、「両親のように失敗したくない」という想いが強くなってしまった。そして、綿密な将来設計を立て、それをさくらにも強いてくるようになった。何歳で結婚して、何歳で子供を作り……という様にだ。


 さくらは同情の気持ちもあいまって、いつも話半分で聞いていた。だが、たくやは本気だった。たくやが公務員に、さくらは一般企業に就職が決まった時だった。「さくらとは結婚できないから別れたい」ときっぱり告げられたのだ。たくやいわく、さくらの給料では二十八歳までに結婚して三十二歳までに子供を二人持つことができないそうだ。

 さくらはそれを聞かされた当時は、「そんなの理不尽だ」と怒りもしたが、時間が経つと冷めてしまった。たくやの出来上がった人生計画のパーツとして、不適合なものだと判定されてしまったのだ。悔しかったが、そのように誰かの人生のパーツになるための結婚と考えてしまうのも、居心地が悪い。まだ乙女心があったさくらは、「他の誰でもない君と結婚したいんだ」とプロポーズされたい願望もあった。

 それでたくやには情も未練もあったが、そこでお別れすることになった。


「まあたくやにはキッパリ振られてよかったじゃん!いつまでも過去の恋引きずってたら、新しい出会いを逃しちゃうよ?」


 咲桜にはたくやとの件でも本当にいろいろお世話になった。バッサリ振られて落ち込んでいたところを、元気になるまで飲み会やカラオケやら永遠に付き合ってくれた。


「わたしが咲桜みたいに、総合職のOLだったら違ったのかなあ……」

「タラレバはやめなって、なんかドラマでもやってたじゃん」

「そうなんだけどさ……」

「そんな子供産んでくれる嫁としてじゃなくて、ちゃんとさくらと一生一緒にいたいと思ってくれる良い人がいるから!もう忘れなわすれな」


 咲桜に何度同じことを言われてきただろうか。それでもまだ過去を引きずっているのか、さくらには新しい出会いが訪れる予感もしなかった。

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