第4話

「本当に行くんだな」


 纏めた荷物を車に積み込んでから、父が言った。四角い眼鏡の奥にみえる目が寂しさを孕んでいるようにみえた。村から出ていく私を見送ってくれる為に、外は肌を突き刺す程寒いのに、母と父、それから湊が出てきてくれた。運転は凛花さんがしてくれる。凛花さんは東京に戻り、本格的にジャーナリストを志すことを決めたそうだ。


──私達みたいに辛い目にあってる子供達が他にもいるかもしれない。大きな力を前にして身動きが出来なくなっている人がいるかもしれない。私は、そんな人たちを助けてあげたいの。


 一月程前、凛花さんは目に強い光を宿しながらそう言った。私はそれを聞きながら凛花さんらしいなと思ったのと同時に、必ずその夢を実現出来るだろうと確信した。凛と咲く花のように、いつも自らの考えの赴くままに地につけた両足を決して乱さず行動に移す。そんな凛花さんなら、きっとどんな夢だって叶えられる。


 別れの挨拶を交わし一人ずつ抱擁をしていった。湊の目には少しだけ水の膜が張っているのが、身体をゆっくりと引き剥がした時に分かった。湊は村に残る選択を選んだ。過ごすことの出来なかった家族の時間を、その空白を、今から埋めていきたいとのことだった。


「湊、本当にありがとう。今までの何もかも全部。私も沙羅も、湊がいなかったら今頃どうなってたか分かんないよ。だから」


 いつだって、湊は私の傍にいてくれた。子供の時から今に至るまで、ずっと助けてくれた。走馬灯のように頭の中で流れるそれまでの思い出と向き合っている内に、言いながら涙が溢れた。水の膜が張っていたのは私も同じだった。そんな私をみながら湊はさっと目元を拭い、笑った。


「泣くなって。俺だってそうだよ。お前と沙羅がいなかったら、未だにあの施設から出られてなかったかもしれない。死んでたかもしれない。だから、お互い様だよ」

「うん……でも」

「いいから早く行けよ。家の前でこんな大勢で泣いてたら変な奴だって思われる」


 突き放すようにそう言って、湊は背を向けた。空を仰いでる。


「またいつか帰ってくるから。だから、その時まで元気でね。お兄ちゃん」


 その背中に声をかけた時、湊が足から崩れ落ちた。私はすぐに駆け寄って「ありがとう。本当にありがとう」と何度も声をかけた。湊は背中を大きく震わせながら、何度も頷いている。足音が鼓膜に触れた時には隣には沙羅がいて、湊の背中を抱きしめていた。強く。強く。「湊……元気でね。ありがとう、ありがとう」嗚咽を漏らしながら何度もそう呟いた。


 三人でこれまで過ごしてきた思い出を、身体を寄せ合いながら分かちあった。声をあげて泣き続け、ようやく涙が収まってから私は言った。


「湊、百合亜さんのこともよろしくね。一人で赤ちゃん育てるのってきっと大変だと思うから」 

「ああ、任しとけ。百合亜さんには本当にお世話になったし、ちゃんと恩は返すよ」 


 全員と向かい合い別れを告げ、車に乗り込んだ時だった。父が「新奈、待ちなさい」と声をかけてきた。


「外の世界で生きていくにはこれがいる」 


 そう言って手渡されたのは一つの紙の束だった。それが帯で纏められている。


「手持ちのお金はもうこれしかない。親として何もしてやれなかったから、せめてこれだけでも娘の門出に」

「お父さん駄目だよ。湊やお母さんと生活していかなくちゃならないのに」とそれを返そうとすると、「新奈」と運転席に座っていた凛花さんに呼び止められた。


「親からの想いよ。ありがたく受け取ったらいいの」


 凛花さんに言われた通り、返そうとしていた腕を引っ込めると父はふっと頬を緩めた。それから「じゃあ、元気でな」と手を降ってくる。私も手を振り返し、車は発進した。窓の向こうで三人の姿がどんどん小さくなっていく。雪に染められた木造の家。深い森に、雪を被った木々たち。生まれてからずっと見てきたものが、窓の向こうでは流れていた。途端に胸の中で溢れかえったものが込み上げてきて、私はそれをみながら必死に目に力を込めた。自分で選んだ選択だ。泣いたら駄目。もう、絶対泣かない。何度もそう呟いた。この車の行く先には、私が望んだ未来がある。そう。この上なく広い世界が、広がっているのだ。

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