第5話

 男性が口にする前に分かっていた。恐らく湊もそうなのだと思う。私達を包み込むようにして抱きしめてくれた男性は、私達の父親だということを。


「お前たち、どうしてこんな所にいる」


 家族という名のぼんやりとした輪郭があの冬のひかりが差し込む廊下で微かに浮かび上がり始めていた時、男性が──父がそう言った。私も湊もそれの質問が意図する意味が分からず目を丸くしていると、「いや、それは後でいい。少し話そうか」と声をかけてきた。廊下は人目につく為に一階の中庭でという事だった。その前に母さんを部屋に連れて行くかと廊下の突き当りにある部屋に車椅子を押し部屋の中へと連れていき、私達は三人で中庭へと降りていった。その間、誰一人として口を開くことは無かった。思ってもいなかった状況に私の頭の中は半分混乱状態に陥っており、目の前を歩く男性が私の父親で、先程部屋の中へと連れて行った女性が私の母親だというその事実を頭の中で咀嚼し、なんとか呑み込もうとしていた。


 階段を降りきったところで受付で、白い服装の男性二人が、目の前の女性と何かを話している姿がみえ、私は何気なくその二人に視線を貼り付けてしまった。すると、その内の一人がふいにこちらに振り向き、目があった。昨日、私達を追いかけてきた職員にどこか似ている気がした。遠目でみただけだから顔ははっきりとは覚えていない。だが、顔の輪郭や髪の刈り上げ方がどうも似ている気がしたのだ。途端に早くなる鼓動を抑えながら、私は目の前を通り過ぎた。きっと、私の見間違いだ。もし、施設の職員であるならば、どうか気付かないで。足を動かしながらも、全神経を背中に向ける。最初は父が、それから湊が廊下から中庭へと出ていき、私の足先が雪を踏みしめる。先程から背中に強い視線を感じている。みられている。きっと、あの受付にいた男だ。頭の先から心臓までを一つの糸で引っ張られているような気持ち悪さがあり、思わず身体を向けた。その瞬間、私は目を見開いた。一人の病棟の職員に肩に手を添えられながら歩く沙羅の姿がみえたのだ。ちょうど、受付に立つ施設の職員二人と私達の間だった。沙羅越しに先程目があった職員が、目を細めながらこちらを睨みつけるようにしてみていた。


「沙羅っ!!」

「おいっ、いたぞ! 大城新奈だ」


 私の声と、施設の職員の声が重なり合う。私は駆け出していた。沙羅の元へと。私の声に気付いた途端に、沙羅は一瞬にして泣きそうな顔になっており、その奥では血走った目をした職員二人がこちらに向かってくるのがみえた。逃げないと。施設の職員の顔を見る度に昨日から浮かび続けたその考えは、今の私の頭の中には無かった。沙羅。沙羅。腕を振り、足を動かし、沙羅の元へと駆けて行く。


「新奈っ駄目! 逃げてっ!」


 私と施設の職員との間で板はざみのような状況に置かれている沙羅も瞬時に状況を理解したようで、私が沙羅の身体に触れる少し前にそう声を上げた。その頃には受付の前に立っていた職員達との距離がほとんど詰められていた。私は肩に手をかけていた職員から沙羅の身体を引き剥がそうと必死だった。後先も考えずに沙羅の元へと向かったことに後悔はしていない。気が付いたら身体が勝手に動いていた。沙羅を助けたい。その一心で動いたまでだ。だが、私の力では沙羅の身体を抑える男性職員の手を引離すことが出来ず、施設の職員は目の前まで迫っていた。もう、無理かもしれない。私はまた、施設に連れ戻される。そう思い、目を閉じようとしたその時だった。風のような速さで私のすぐ傍へと駆け込んできた湊が、沙羅を逃さないようにと背中の服を掴んでいた職員に目を向ける。


「その汚い手を離せよお前」


 胸ぐらを掴み、押し倒すようにして職員と沙羅とを引き離し、私が身体にかけていた力がふっと緩まった。次いで、湊と同じように風のような速さで私達を影のようなものが追い越していった。父だった。こちらに向かってきていた職員の一人の頬を撃ち抜きよろめいた隙に、もう一人の胸ぐらを掴んでいる。その職員は同じような体制で父のそれを掴んでいた。足元には殴られた職員が顔を歪めながら横たわっている。父はもう一人の職員ともみ合いながらも、やがて相手の腕を持ちひらりと木の葉が舞うように宙に浮かせると地面に叩きつけた。


「逃げるぞ!」


 私達の元へと戻ってくるなり、父は肩で息をしながらそう言って出口の方へと向かった。


「待ってお父さん! お母さんは? 連れていかないと」


 咄嗟に声をかけていた。父はくるりと身体を向け、「母さんは正当な手続きを踏んでここに入所してるからきっと大丈夫だ。とにかく今はここから逃げるだけを考えろ」と腕を降って、早くくるようにと身体で示してくる。私は戸惑いながらもそれに従うしか選択肢が思い付かず、後を追った。

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