第10話

 愛莉と亮太が施設から逃げ出してから一週間が経とうとしていた。施設の職員さん達が総出となり捜索隊を結成したが、二人の痕跡すら見つけることが出来なかったのだと朝の朝礼で子供達全員を前にして三島さんが言った。私は、そんな三島さんに何度もその捜索隊に加えて欲しいと懇願したが断られ続け、ついに捜索は昨日打ち切られることになった。二人の無事は祈っている。けれど、置いていかれたというような気持ちも胸の中でくすぶっていた。この村の外にもし私が望む世界があるなら、地獄から抜け出すことが出来るなら私も連れていって欲しかった。凛花さんは約束の日が過ぎても迎えにきてはくれなかった。友人だと思っていた二人には置いていかれた。皆、私を置いていくんだ。


 そんな気持ちで過ごす私を嘲笑うかのように、雪が降り始めた。三日前からだった。

窓の向こうでは雪原が広がっている。私は部屋の壁に背を預けたまま床に座りこんで足を投げ出し、時折雪から反射した光に目をすがめながらそれをみつめていた。


 今日は、授業には出なかった。そんな気分にはなれなかった。一緒にいこうよ、何か悩んでるなら話聞くよ、と何度も私の背中を揺すりながら訴えかけてきた沙羅にはごめんとだけ告げて、それからは窓辺に視線を投げたままだった。部屋の扉が閉まる少し前、私には何でも話してくれたっていいじゃん、と悲しげに部屋の中に残していった沙羅の声が未だに鼓膜にこびりついていた。


 今日は平日で、本来私は午前九時から十六時までの時間は授業受けなければならない。施設の職員さんの中には教員免許を持っている方が複数おり、一応通常の高校内容までは学べることになっている。村には小学校から中学校までそれぞれ一校ずつあり隣町には高校もあるが、“妖精の忘れ物”と呼ばれる私達は、そこにいくことは出来ない。私達には、親がいないから。


 物心ついた頃には、私はこの施設にいた。いつからいるのか、分からない。もしかしたら生まれた時からいたのかもしれないし、私に自我が目覚め始める少し前からなのかもしれない。この施設では、自分の出生元を辿ることは禁忌とされていて、職員さん達に両親の顔をみてみたいとお願いしたことは何度かあるが、誰も取り合ってはくれなかった。だから、私は親の顔は勿論のこと、名前すら知らない。それは、沙羅や湊、他の子供達だって同じだ。ただ一つだけ違うのは、私以外の他の子供達全員が自分は母親のお腹の中から妖精に取り上げてもらったという言い伝えを本気で信じていることだ。こんな訳の分からない言い伝えを信じているなんて馬鹿馬鹿しいと思えるのは、私が雪が降っても記憶を失わないからで、そうでなければ私自身他の子と同じ考えを持っていたと思う。身体も小さく自分の思考すらままならない子供の頃から、私達は妖精の言い伝えを聞かされてきた。幼少期から刷り込まれた思考を塗り替えるのは、並大抵のことでは出来ないと思う。言うならば、子供の頃から神様はいると自分の周りにいる人達全員が口にし疑うことなく大人になった人に、神様なんていないよ、と諭すようなものだろう。


 二年程前に、一度沙羅に面と向かって聞いてみたことがある。食堂で夕飯を食べ終えてから部屋に戻り二人きりになった際に、ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみた。


「ねぇ、沙羅は本当に妖精がいるって信じてるの?」


 丸テーブルの前に座り、ちいさなハサミを使って髪の毛先に出来た枝毛を処理していた沙羅は、一瞬目を丸くして、それから笑った。馬鹿にするような笑みではなく、驚いて信じられないというような笑みだった。


「なに言ってんの? 妖精がいなかったからあり得ないことばかりじゃん。昨日は誰も知らない間に施設の外に植物園が出来てたし、冷蔵庫の中から飲み物とか食材が無くなるなんて冬の間は日常茶飯事でしょ? いるかいないかっていう疑問を持つ以前に、いるのが大前提だからふつうそんな疑問持たなくない? 新奈が言ってることって空気って目にはみえないけど実際にあると思う?って聞いてるのと同じだよ? 」


 諭されるように言われて、「そっか、そうだよね」と曖昧に笑った。雪が降る日に、この村の人達は記憶を無くすということも、皆が覚えていないだけで妖精なんて存在しないということも、私だけが記憶を無くさないということも、沙羅や他の誰かに言ってこなかったのは、こうなることが怖かったからだった。雪が降る日には妖精が現れる。それが自分の住む世界の常識として生きている人達からみたら、私は異質で、おかしな言動ばかりをしていると、もしかしたら仲間外れにされるかもしれないという怖さがあった。だから、物心ついた頃には私は自分が抱えている孤独を誰にも打ち明けずに胸の中に閉じ込めた。


「私、何言ってんだろ。馬鹿だよね。眠たくておかしくなってたのかも。ねぇ、沙羅。さっきの話、私がそう言ってたって誰にも言わないでね」


 言いながら笑みを作ってはみたが、上手く笑えたかは分からなかった。沙羅は手にしていたハサミをテーブルの上に置いてから、私の手をそっと握った。それが、ゆっくりと解けていき、指の腹を沿うように流れていった手先が、自然と小指と小指を結び合うようなかたちを作りあげていた。


「言わないよ。新奈が不思議な子って事は私だけが知ってる秘密にしたいから絶対言わない。ほら、約束」


 私の小指と沙羅の小指が結ばれ、写し鏡のように微笑みあった。


 窓の向こうで広がる雪原をみながら、謝らないとな、と思った。今朝の私は、ほんとにひどかったと思う。十七年間耐え続けてきた地獄のような日々にいよいよ耐えきれなくなっていた所に、三日も雪が降り続いたせいで沙羅とでさえ話したくないと思ってしまった。目が覚めてからずっと、何を言われてもごめんとだけ呟いてほとんど無視をするようなかたちをとってしまったのだ。きっと、傷ついてるよね。ごめんね。胸の中で、ぽつりぽつり呟いて、沙羅の帰りを待っている間に部屋の掃除でもしておこうと思い立った。ちゃんと目をみて謝れば、きっと沙羅は許してくれる。その思いから壁に預けていた背中を私は引き剥がした。

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