第29話 やり、やられ
湯から上がったあと、ヨロズハが目にしたのは砂糖菓子の美麗な絵の隣で眠っているオウドだった。滝音のようないびきをかいている彼女に老婆はちょうど毛布をかけているところだった。
「このツノ一族のお嬢さんはよく食べるわね」
「それによく寝るし、よく描く。オウドがご迷惑をかけてないか」
「平気よ。あなた達はあったまれてよかったわ」
ヨロズハはアイイロの方をチラリと見た。風呂と砂糖菓子のお礼をしなければ彼女らの沽券にかかわるのだ。
「おばあさん。何か私たちにできることはないか。こんなにも手厚く扱ってくれたんだ。何もせずにはいられない」
老婆は少し顎を突き出して天井を見つめた。顎に手を当てて唸るような声をあげると、次にポンと手を叩いた。
「じゃあ、この後でくるお客さんにほむら石を渡してくださいな。この歳になるとほむら石三十個なんて運ぶの大変なのよ」
ヨロズハは頷いた。ヨロズハは力仕事が得意ではないが、恩を返さなくてはならないならば動きたい、そう思った。
すぐに着物がはだけた格好で眠りこけているオウドの頬をぺしぺしと叩く。彼女は半目を開いてヨロズハを見つめ返した。
「んあ?どうしたんだ?」
「おばあさんに恩を返せるチャンスだ。砂糖菓子を食ったし描いたんだろう」
オウドの瞼が眉に引っ付きそうになるくらいに開かれた。彼女はバネのように跳ね起きて、腕をぐるぐると回す。
「おっし!何をする?」
「今から来るお客さんにほむら石を渡すんだ。三十個」
寒さも気にせず、オウドは袖を捲った。アイイロは彼女らの話を聞きながら玄関先に置いてあるカゴいっぱいのほむら石へ歩いて行く。そして一つのほむら石を持ち上げた。
「重っ……ヨロズハ、あなたコレ持てる?」
「やる」
おかしな答え方をアイイロは特に咎めなかった。先の風呂での一件からヨロズハの中で何か決意があったとわかっているから。
三人はほむら石を一つずつ抱えてみた。ヨロズハ以外の二人は軽々と持ち上げたが、ヨロズハの細腕はプルプルと震えていた。アイイロもオウドも一瞬何か言いかけたが、ヨロズハの顔を見て止まった。
しばらくすると霜柱を踏み砕く音が聞こえてくる。一定のリズムで、だんだんと大きくなってくる。荷車の音も一緒に聞こえてくる。三人はこの荷車の持ち主が今から来る客だとわかった。
ほむら石保管の建物の暖簾が揺れ、若い男が入ってくる。彼は手をこすり合わせ、吐息で温めていた。
「ばあさん、ほむら石を……ん?娘っ子が三人……ばあさん分裂でもしたのかい」
「バカ言うんじゃありませんよ。このお嬢さんたちは今だけのお手伝いですよ」
畳の間の方から老婆が笑みを含んだ声で答える。老婆の視線を感じながらヨロズハはふらつきながら大きなほむら石を抱えて男に近づいた。
「荷車にお乗せしよう」
「おう、頼むよ嬢ちゃん」
ヨロズハは腕に力を込めた。ほむら石は大量に取れると言っても貴重な資源であることにはかわりない。落として欠けさすことのないように慎重に運ぶ。
ゴトン、と荷車に乗せるまでに十数秒かかる。アイイロとオウドはすぐに乗せられた。この二人が全てやればすぐに終わるに違いない。それは老婆も若い男も分かっていたが、ヨロズハが気候に似合わない汗を額から流していたのを見て黙った。
三十個のほむら石が荷車に乗せられる頃には、ヨロズハは肩で息をしていた。ほとんど寒さも感じなくなってきた。
若い男は雪のように白い歯を見せてニカリと笑った。
「ありがとうな。嬢ちゃん達。いつもは俺が運んでるんだけどな、楽させてもらったよ。何かお礼させてくれよ」
ヨロズハは背中をアイイロにトンと押された。ヨロズハが振り向くと、アイイロは頬を緩めて言った。
「王宮に戻るんでしょ。土産を増やしてもらったら?」
ヨロズハはアイイロが大きく見えた。いつもの何倍も。全てを見透かしているかのようにすら感じられた。ヨロズハはアイイロにちょっとむかつき、ちょっと感謝した。
「……なら、この町での暮らしを歌にしてほしい。私は全国の歌を集めたいんだ」
「ほう、歌か!いいぞ。ちょっくら待ってろ」
ヨロズハが渡した木簡と筆に男は迷うことなくスラスラと歌を書き連ねた。迷いのなさにヨロズハは一瞬目を丸くしたが、彼を待ってみることにした。
木簡の上から下へ。筆の進みがぴたりと止まると、男は筆をヨロズハに返し、咳払いをした。そして口を開いた。
「雪の降る 凍りつく道 窓から白き 村が見え
さりとて繋がるほむら石 溶かすは人の心かな」
自慢げに鼻を鳴らすと男はヨロズハに木簡を返した。
「どうだい、歌はそこそこ嗜んでるんだ」
「あぁ、ありがとう!私がこの村で感じた冷たさと暖かさ……そのまんまだ」
男が荷車を引いて去った後、ヨロズハは老婆にぐるりと体を向けた。
「おばあさん。貴重な体験ができた。ありがとう」
「いいんですよ。持ちつ持たれつ。やり、やられ。そんなふうなのが自然なのよね」
そのまま三人は二度目の風呂と寝床を与えられた。ヨロズハ達は積極的に老婆の手伝いをしたが、大きすぎる恩を得てしまっているような気になった。
だから二、三日の滞在では恩を返しきれない。そう判断した。だからもっと村に滞在していきたかった。
しかし老婆は三日目の朝、雪が珍しく降っていない夜明けに三人に布袋を渡した。
「干し肉、豆、漬物……外套の予備。こんなんでお土産はよろしいかしらね」
ヨロズハはおずおずとその袋を受け取った。胸にその袋を抱きながら、後の二人と一緒に老婆に頭を下げた。
「ありがとうございました」
ヨロズハの感覚では受けた恩の半分も返せていない。しかし老婆は三日目で彼女達が村を出るという前提で見送りの準備をすすめていた。ヨロズハは今になって老婆の気持ちが分かったので、素直に出立することに決めた。
キウの村から出た時、ヨロズハはくるりと村の方を一瞥し、布袋、男からもらった歌の木簡と視線をうつした。
「なーんで、あのお婆さんは私たちを何で早く出発させたんだ?嫌われたか?」
「違う。お婆さんは私たちが恩に縛られるのを危惧してくれたんだ」
「ほー……難しいことわかんねぇけど、あのお婆さんがいいやつってことは知ってるからな」
ヨロズハはオウドとの会話のタイミングで一つ思い出したことがあった。この旅は一旦中断される。それをオウドにも伝えなくてはならないのだ。しかし予想外のオウドの言動にヨロズハは驚くことになった。
「あとはヨロズハんち……王宮に行くんだよな。王宮も目一杯描かせてもらうぜ」
「お、オウド……知ってたのか?私が王宮に戻ろうとしてるの」
「へっへー、私は耳がいいんだよ。お前らといると色々貰えるし、色々描ける。その代わりやれることはやるし、助けるぜ」
ヨロズハはきょとんとした。オウドからこんな言葉が聞けるとは思っても見なかったのだ。そんなあっけに取られたヨロズハの頭をアイイロがこづく。
「持ちつ持たれつ、やり、やられ。人の生活は繋がってるし、人も繋がってて、影響しあってる。最後の村で私たちの旅を一言で纏められたわね」
ヨロズハはその言葉を胸の木簡に刻む。大事なエッセンスのように思えた。王宮の中では決して知りえなかつたことだ。
表現技法よりも勉強になった。ヨロズハにとって正直にそう言える収穫だったのだ。彼女は二人の仲間の背中とその先の道に視線を向けた。何だか笑いが込み上げてくる。
「行くか。都へ」
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