第27話 知らないことすら知らないモノ
オウドは血が沸いたような気分だった。こんなにもワクワクするような感じは彼女にとって久々だ。絵を描くことに出会った以来の歓喜。
「なぁ、ヨロズハ!古代戦士の像はどんくらいデケェんだろうな」
「知らん!私はこの村について少ししか経ってない!」
「そうか!ははは、楽しみだ!」
オウドは走りながら豪快に笑った。汗が滲む額を拭いもせず、ヨロズハと並走する。ヨロズハの目線の先に地面の線が見えてくる。ツノの一族を排斥する線だ。しかしその線は二人にとって全く意味のないものだった。
ヨロズハは外部から来た朱の髪一族であり、オウドは今や夢を追う少女である。二人の先にある線がどんどんと近づいてくる。あと十歩、あと五歩。
「止まれー!止まるんじゃ!ツノの一族なんぞがその村に入ってはならん!」
老人が杖を振って静止しようとする。老人は口から唾を飛ばし、何度も何度も彼女たちを止めんとする。
他にも初老の女が窓から身を乗り出して皿を投げつけてきた。ハヤブサのような勢いで空気を切り、オウドの頬を打つ。
しかしオウドは止まらない。頬から血を流し、地面に滴る。滴った地面ははるかに後方へ。二人は線を超えた。老人は絶叫した。
「ツノの一族が!村に入りよった!ひいぃぃ」
大型の妖獣に出くわしたかのような悲鳴をあげる人々を横目にヨロズハたちは通りを駆け抜けた。
石を埋めて作られた線はとうに後方だった。オウドの方にとろろ昆布や柊の葉を投げつける者もいた。しかしオウドは気にしない。ヨロズハも気にしない。
騒ぎを聞きつけた村の二、三人の男たちが石槍を持って駆けつける。彼らは二人の目の前に現れ、走る二人に向けた。槍衾のように鋭く迎え撃つ体制だ。それをみたヨロズハはオウドに目配せをした。
「オウド、行け!私が止めとく!」
オウドはグッと足に力を込めた。そして地面を蹴り飛ばすかのようにして、飛躍した。その高さは家をも越すほどだ。男たちの頭上を超えていった彼女はそのまま駆け抜けていく。
男たちは一瞬口をぽかんと開けていたが、すぐにオウドを追おうとする。しかしそれは一人の少女によって阻まれた。そこには可憐で妖艶な薄い布を纏ったアイイロが立っていた。
「ど、どけ!」
「あら?こっからすごい催しが始まるのよ?ねぇ、ヨロズハ」
ヨロズハは一瞬止まったが、すぐにアイイロが自分たちに協力してくれていると理解した。
「あ、ああ!……皆さんこれより突発の催しを行う!朱の髪一族ヨロズハと藍髪の一族アイイロがお送りする!」
ヨロズハは息をめいいっぱい吸った。アイイロは目を瞑り、何者も避けつけないような雰囲気で踊りの構えをとった。詰まるところ二人は周囲の人々を釘付けにしようとしているのだ。その隙にオウドは古代戦士の像を見てくればいいという算段だ。
ヨロズハはか細くもよく響く声を出した。意味のない声だ。言葉ではなく、音として出している。流麗な音の流れに人々は先のツノの一族を排斥せんとする気持ちよりもヨロズハに気持ちが惹かれた。
ヨロズハは前日まで練っていた歌を持っていた。ここで使うことになるとは思っても見なかった。しかしいつかどこかで人に聞かせたいと思う歌である。
「さざなみに 星が降る降る 波のうつ音 風が吹く」
ヨロズハの歌に合わせてアイイロがすり足を滑らかに動かす。砂をする音すら聞こえない滑らかな動きだ。唇で艶やかに何かを呟くような仕草を見せ、胸と腰を揺らし、中心に夜の静けさ、波の音を表現していく。
「古の 風が撫でた夜 今日の朝を撫で 君の頬を撫でし風 我が髪揺らし」
ヨロズハの脳裏には一人の白髪の青年が浮かんでいる。彼を思って作った歌だった。アイイロには何回か草稿と言うべきものを見せていたが、人前で歌うのは初めてだった。
日差しの降り注ぐイツの村、活気あふれていたこの通りにヨロズハとアイイロは夜の海を召した。イツの村は海に面してはいない。村人は海に行くこともあまり多くない。生涯で海を見たことがなく、知識でしか知らない者もいる。そんな彼らでさえ、夜の海の深い黒と深い時間、永遠に続くとも思える風の流れに思いを馳せずにはいられない。
人々は目を見開き、口をぽかんと開けて彼女達のパフォーマンスに惹かれている。一方ヨロズハはこの歌を歌いきったあと、心の中に二つの感覚が芽生えていた。
一つは彼への思いを形にできている喜び、もう一つは王の歌を歌わなかったことへの後ろめたさだ。しかしヨロズハもプロフェッショナルとして表情にはそれをださない。二つ目の歌へと移っていく。
しばらくして、四つ目の歌を歌い終えたあと、道の向こうのほうから絵筆を耳にかけたオウドが帰ってきたのが見えた。
オウドはからからと笑い、観衆に手を振った。
「村の中入って悪いな!もう入らねぇから勘弁な!がはは!」
オウドはそう言うと、再び石で書かれた線を飛び越えて、森の方へと消えた。ヨロズハとアイイロは互いに目を合わせた。二人は食べ物や物品を受け取らず、オウドを追う。
ヨロズハの案内で森を抜けるのは簡単だった。ゴシチとシチゴの先導に加え、ヨロズハもある程度ツノの一族の集落への道を覚えていたのだ。
集落ではまだ肉を焼いている匂いがした。肉の焼ける音、人々の笑い声、円錐状に藁を組んだ家から子供の声が聞こえてくる。その中に似つかわしくない音がヨロズハの耳に入ってきた。その音の出所は一つの円錐形の家の中から聞こえてくる。
ヨロズハはゆっくりとその家に近づき、無礼と思いながらも部屋を覗き込んだ。簡素な藁の敷物、粘土を焼いた食器が乱雑に置かれている。いくつもの絵筆が綺麗に壁に立てかけられ、貴重な紙が畳んで置いてある。
その部屋の真ん中で、オウドが立っていた。彼女の目元は赤かった。唇を噛み、赤子のような目線をヨロズハに送ってくる。ヨロズハは眉を吊り上げて彼女に尋ねた。
「い、一体どうしたんだ」
「……古代戦士の像……もうなかった。台座だけだった」
「そ、そうだったのか」
「ははは、私もバカだよな。そんな昔の人物の像、あるって確証もねぇのに……アホみたいに興奮して…………でも、夢だったんだよなぁ」
オウドの声に悲哀が混じる。
「す、すまなかった。そこまで思い至らず、オウドを焚き付けて……」
「いいや、本当にヨロズハには感謝してる。自分で自分を止めてた私を焚き付けてくれてありがとう…………でも夢に見てた像、描きたかった像がなかったんだ。ちょっと……流石にくるものがあるぜ」
オウドは天井を仰いだ。円錐状の家の天井は先に行くほどに狭まっている。
ヨロズハはグッと唇を噛み締め、目を見開き、叫ぶように言った。オウドに伝えたいことがあった。
「世界は広い。私はまだ都と五つの村しか見てないけど、色々出会った!王に感謝するカゲクマ、心優しい木こり、踊りの力を信じる友達、思ったよりいいやつだった人々、一緒にいて胸が弾む人」
ヨロズハは矢継ぎ早に言う。オウドは潤んだ目で彼女を見つめる。
「王宮にいた頃には全く知らなかった!知らないことすら知らなかった……だからオウド……お前が本当に描きたいものだって、まだあるかもしれない。オウドが知らないだけかもしれない」
「……よ、ヨロズハ。でも、もう見通しもねぇよ。この村で描きたい最終目標は古代戦士の像しか……」
「探しに行こう。多分お前が知らないだけだ。
一緒に知らないことすら知らないモノ、見に行こう」
ヨロズハは手を差し出した。オウドはその手を見て、目を泳がせた。
「なんだ?怖いのか?」
「ち、ちげぇよ!……いいぜ、乗った!お前らと知らないことを知らないモノ見に行ってやるぜ!へへ」
オウドは涙を拭って、歯を見せた。
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