第17話 紫竜

「あいつはどんだけ鈍いのよ!」

翌日、竜湖が枇杷亭の執務室に突撃してきた。 「俺じゃなくて父上に文句を言ってください。」

龍希はため息をついた。

「これからあんたたちで結婚報告に行ってきなさい!はい、これ。」

そう言って竜湖はリュウカを龍希の机に置いた。

「は?」

龍希は驚いた。


「龍栄が返すって。あんた腹違いの兄に嫌がらせしてたのね。やるじゃない!」


竜湖がニヤリと笑う。

「いや、違・・・あの時は良かれと思って。

というかなんで龍栄殿は?」

龍希は訳が分からない。

「あの子があんたの喧嘩を買うわけないでしょ!今日だって、直接突き返せって言ったのに芙蓉ちゃんを口実に逃げたのよ。」

竜湖は鼻で笑う。


「はあ?なんで龍栄殿にばらすんですか!」


龍希は立ち上がって竜湖を睨み付けた。

「違うわよ。12月にあんたから雌の匂いがして気づいたって言っていたわよ。」

「は?そんな馬鹿な?」


本家に行く前、入念に風呂に入って芙蓉の匂いが残っていないことを確認したのだ。


「ふーん。あの子、鼻はあんたより上みたいね。そんなことよりとっとと芙蓉ちゃんに渡してらっしゃい!どこにいるの?」

「い、いや、ちょっと待ってくださいよ。芙蓉は最近体調が悪いんです。まだ休ませてます。」

「はあ?あんた毎晩、無理させ過ぎなんじゃない?」

「昨日は何もしてませんよ。余計なお世話です!」



二人が執務室で言い争いしている頃、芙蓉は寝室で目を覚ました。

時計をみて驚く。ほぼ丸一日寝ていたようだ。

それに、

『いつの間に寝室に?』


芙蓉はお風呂に入り、着替えて食堂に向かった。

空腹と水分不足のせいか酷く頭が痛い。

それに気持ち悪い。胸がむかむかするとはこのことだろう。


「あ!芙蓉ちゃん。おはよう」

ニニと食堂の前で会った。

ニニとナナは以前と同じように接してくれる。

芙蓉は気が楽だった。


「びっくりするくらい寝てた。」

「そろそろ冬眠?」

ニニがニヤリと笑う。

「そうかも。」

芙蓉もつられて笑った。

「なら寝る前にしっかり食べなきゃ。若様が昨日、本家からお魚をもらってきたの。」

ニニが芙蓉の手を引いて食堂に入った。


「延さん。芙蓉ちゃん起きた!お魚見せてあげて。」

ニニは猿のコックに呼びかける。

「鯛は大丈夫でしたよね?」

延は生魚を木の板に乗せてカウンターに置いた。

この猿もすっかりよそよそしくなってしまった。


空腹の芙蓉は魚をよく見ようと顔を近づけたのだが、海の魚特有の生臭い匂いがした瞬間、芙蓉は口を手で押さえた。

「う・・・」

強烈な吐き気を感じて近くの流し台に走る。

ジャーと勢いよく水を流しながら吐いた。

ごほごほと咳き込み、さらに気持ち悪くなって吐く。

ニニが慌てて駆け寄ってきて、芙蓉の背中をさすった。


「ちょ・・・大丈夫?どうしたの?」


芙蓉は返事をする余裕がない。

猛烈に気持ちが悪い、息苦しくて涙が出てきた。



「芙蓉?どうした?」

延に呼ばれて龍希が竜湖と食堂に駆けつけると、芙蓉は流し台前の床に跪いて真っ青な顔をしていた。


「シュシュかシュンを呼んで来い!」


龍希は疾風に命じると芙蓉に駆け寄った。

「何があったの?」

竜湖の質問に延とニニが経緯を説明している。

その間に、芙蓉は少し落ち着き、椅子に座って白湯を飲み始めた。

龍希は真っ青になって芙蓉の側に立っていることしかできない。

「シュシュたちが来るまで私がついてるわ。芙蓉ちゃんの部屋に行きましょう。

龍希、あんたは風呂に入ってきなさい。」

「はあ?こんな時に何を?」

「シュシュたちに匂いでばれたら面倒でしょう。

族長より先に知らせる訳にはいかないわ。

私は芙蓉ちゃんに何もしないわよ。信用してよ。」

竜湖は龍希を睨む。

「う・・・いや、でも・・・」

「芙蓉ちゃん。龍希の前で吐きたくないでしょ?」

「・・・若様。私は大丈夫ですので。」


芙蓉の言葉に龍希が折れた。

竜湖と芙蓉を桔梗の部屋まで送ると龍希は風呂場に向かった。



~桔梗の部屋~

「なんでリュウカの部屋使わないの?」

芙蓉には竜湖の質問の意味が分からない。


リュウカの部屋ってどこ?

というか芙蓉は部屋を選べるような立場じゃない。


「まあいいわ。体調不良の原因に心当たりある?」

「え!?いえ・・・」

芙蓉は困った。

貧血とは全く違う。

こんなに吐き気がするのは人生で初めてだ。


「う~ん、芙蓉ちゃんは卵生?」

「すみません。ランセイというのは?」

「ああ、卵うむ?」

「え!?いえ。」

芙蓉は首を横に振る。

「ふーん、じゃあ月の物来てる?」


竜湖の質問に芙蓉は困った顔になった。


「いいわよ。女同士なんだから遠慮はいらないわ。」

竜湖は人のいい笑みを浮かべるが、

「申し訳ありませんが、人族は人族の子しか産めないのです。ご期待されていることは・・・」

芙蓉は苦笑いするしかない。



「あなた紫竜しりゅうを知らないの?」


竜湖は驚いた。


龍希の妻は予想以上に無知なようだ・・・これは面倒だ。

少しだけ嫌な予感はしていたのだ。

紫竜一族の結婚は取引先との縁談なのに、龍希は取引先でもない人族の娘と勝手に再婚してしまった。

それが分かってから竜湖は慌てて人族のことを調べたのだが、人族は獣人の中でも異種交配を特に嫌う種族らしい。

竜湖としては龍希に早く子どもを作ってもらいたいので、新妻を見定めようと枇杷亭に押し掛けたのだが、龍希はすでに驚くほど執着していた。

それに妻の方からは龍希に対する悪意は感じなかったので、龍希が上手く口説きおとしたのかと期待していたのだが・・・

違ったらしい。


「紫竜はどんな獣人とも番うことができるの。神獣だもの。人族も例外じゃないわ。」



「は?」

芙蓉の顔が真っ青になり、目から涙があふれる。


11月を最後に月の物が止まっていた。

嫌な疑念が浮かぶたびに人族の常識にすがった。

芙蓉は獣人の子を孕めない。

だから若様は芙蓉を妾にしたのだ。

そう思っていたのに・・・


「え!?だってそんな・・・聞いてない。」


芙蓉は呆然としながら呟いた。


『龍希もえげつないこと・・・人族は同種交配の種族の中でも特に異種族を嫌うことで有名なのに。まあでも、』

「その反応は龍希の子なのね。」

竜湖はニヤリと笑う。

竜湖が大切なのは龍希と紫竜一族だ。


「龍希を恨めばいいわ。可哀想に。騙されて無理やり連れてこられたんだろうけど死ぬまで龍希に囲われる。紫竜の雄はそういう生き物だから。

どれだけ妻から嫌われようと罵られようと龍希も離れられないのよ。」


「・・・。弱弱しい人族が竜の子なんて産めるわけないです。」


芙蓉は顔をゆがめて呟く。

人外の子が自分の胎から出てくるところなんて想像したくもない。

また吐きそうだ。


「大丈夫よ。生まれる時はあなたの種族の姿だから。」

「え!?本当ですか?」

芙蓉は勢いよくきき返した。

「え、ええ。最初に気にするのそれ?

もっと龍希への恨みつらみとか人族への未練とか色々あるでしょ?」

竜湖は面食らった。


他の妻たちと反応があまりに違っている。


「それはどうでもいいです。よかった。外見だけも人の子で。」

芙蓉は落ち着きを取り戻していた。

「見かけによらず肝が据わってるわね。」

竜湖は呆気にとられていた。

「人族は異種族が嫌いなんじゃないの?」

「はい。だから私は戻ったら殺されます。それに人族の男よりは若様の方がまだましです。」


「うそ!?あいつはくそ面倒くさいわよ。」


「知ってます。でも私を殴らないし、怒鳴らないし、見殺しにもしないですから。」


「・・・あなた苦労してきたのね。でもそれは言わない方がいいわ。他の妻になめられるから。」

「承知しました。」

「物わかりがいい子は好きよ。じゃあ早速仕事。龍希に本家まで結婚と懐妊の報告に行かせなきゃ。あなたから言えば絶対に従うから。よろしくね。」

「はい。竜湖様。」

芙蓉は笑顔を作る。


この女性に逆らってはいけない。

女の勘がそう告げていた。



~紫竜本家~

「どうした?龍希」

族長は驚いていた。

アポもなく会いに来るなんてはじめてのことだ。


『それに昨日会ったばかりだというのに・・・

一体何があったんだ?』


龍希は何ともばつの悪い顔をしている。

久々に見た。これは・・・


悪さがばれたときの顔だ。


一緒にきた竜湖はニヤニヤしている。


「今度は何をした?」


族長は渋い顔で尋ねる。

昔から龍希の悪さには手を焼いてきたのだ。

最近では族長の承認なく離婚したものだから、竜湖と尻拭いをするのに苦労した。


「いえ・・・あの・・・再婚しました。」


「は?」

予想外の言葉に族長はぽかんとし、喜びを爆発させた。

「そうなのか!どこの娘だ?」

「取引先ではありません。人族です。」

「人族?一体どこで?

あ、お前!もしや使用人に?」

「違います。結納金を支払って妻として連れてきました。」

「ん?じゃあなんで?

って、もう枇杷亭に居るのか?」

「はい。」

「いつの間に?また事後報告か?」

龍希は黙った。


どうやら悪さはこのことらしい。


族長はため息をついた。

「いつだ?」

「・・・10月です。」

「は?」

族長は一瞬呆けた後、今度は激怒した。


「何をしとるんだ!?お前は!」


怒りのあまり族長は雷を落とした。

紫竜本家上空に凄まじい雷鳴が響く。


「10月だと!?なんで隠してた?」

「1月に龍栄殿に子どもが産まれたら報告しようと・・・あとリュウカがなかったので」

「ならば1月に結婚すればよかろう?」


龍希は目を逸らして黙る。


「なんで10月に妻を連れて帰った?」

「・・・ご想像のとおりです。」

「自分の言葉で言え!」

「手を付けました。」


2度目の雷鳴が響いた。

先ほどよりも大きい。


「お前!それだけは絶対にダメだと言っただろう!紫竜の信頼を失墜させるつもりか?」


紫竜の雄は手を付けた雌を巣に連れて帰る習性がある。

雌からすれば誘拐だ。

誘拐婚の一族などと噂が立てば、ますます嫁が見つからなくなる。



どたどたと足音が聞こえ、真っ青な顔をした龍海りゅうかいら4~5人が走ってきた。

「お館様!龍希様!何事ですか?本家に雷を2回も落とされるなど!」

皆かなり狼狽えている。

「龍海、よかったわね。龍希が再婚したわよ。しかも妻は懐妊したわ。」

竜湖がにっこりと笑う。

「は?」

龍海は一瞬ぽかんとした後、龍希を見た。


「ま、まことですか!?龍希様?」


龍海は感動のあまり泣き出している。

「ならば・・・お館様の雷は何事ですか?」龍緑りゅうりょくが恐る恐る尋ねる。

「再婚の事後報告と婚前交渉に怒って一発ずつ。」

竜湖が答える。


「はあ!?ちょっ・・・龍希様」


さすがの龍海も顔を歪めた。

「ほら!もう抑えなさい。いまの一族にはこれ以上ない吉報なんだから。」

竜湖がなだめる。

「だから怒ってるんですよ!姉さん、なんで教えてくれなかったんですか?」

龍峰りゅうほうは竜湖を睨んだ。

「龍希がリュウカがなくて困ってるって言ったでしょ。なんで分かんないのよ?」

「あの時には知ってたんですか!?なのに龍希と一緒になって隠してたなんて!」

「だってあんたより龍希の方が怖いんだもん。あ!龍栄も共犯よ。」

竜湖はしれっと答える。


「龍栄殿は無関係です!」


龍希が叫ぶ。

「そうそう、妻の侍女にシュンをあげてください。あと、私のとこからも一人譲ります。」

竜湖の提案に、龍峰は一呼吸おいて族長の顔に戻った。

「シュンは医者だぞ。」

族長は眉をひそめる。

「これから超特急で人族の医療を勉強してもらうには妻の側が一番です。それに・・・龍希の妻は全然紫竜のことを知らないみたいだから。」

竜湖の言葉に族長は龍希を睨む。

「お待ちください!まさかシュンを専属医になさるおつもりですか?

その上、竜湖様の侍女まで!?

いくら何でも与えすぎです!龍栄様の奥様には本家の侍女1人だけでしたのに。」

龍賢りゅうけんが反対した。

「本家の侍女1人で結構です!」

龍希は慌てた。


『龍栄の妻以上のものを与えられようものなら龍栄派が黙っていない。面倒ごとはごめんだ。』


「龍栄、どう思う?」

族長が尋ねる。


龍栄はいつの間にかこの場に駆けつけていた。


「竜湖様のご意見に賛成します。龍希殿の奥様ですから。」

龍栄が嫌な笑みを浮かべて答えたので、龍希は思わず龍栄を睨みつけた。

龍栄派の龍賢たちは驚いた顔で龍栄を見ている。

「え!?いや、龍栄様!?いくらなんでも・・・」

「最優先すべきは懐妊中の奥様だ。ましてや龍希殿の奥様だぞ。私は全く気にしない。」

「ええ!?」


「はい!決まり。」

竜湖は両手をパンと叩く。

「さあ、龍海、龍賢。たっぷり龍希にお説教してあげて。族長、主要取引先に報告する準備をいたしましょう。」

竜湖は勝手に取り仕切る。


「はあ?俺はもう妻のところに帰りますよ!」


「逃がしませんよ!あなた様はなんでもう・・・」

龍海と龍賢が立ちふさがる。

「私の説教とどっちがいいの?」

竜湖がニヤリと笑う。

「う・・・」

龍希は観念してその場に座った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る