第16話 リュウカ
「あー」
若様は両手で顔を覆い、ソファーに寝そべって唸っている。
芙蓉は黙って膝枕していた。
昨日、来客が帰った後から若様はずっとこんな調子だ。
今日も仕事が手につかないらしく、芙蓉は朝から執務室に呼ばれていた。
リュウコと名乗った明るい紫の髪をした女性はおそらく若様の伯母なのだろう。
『リュウキは若様の名前だよね?髪色以外は人族の中年女性そっくりだったし父方だろうな。』
ようやく芙蓉は若様の名前を知った。
まあ妾が主の名前を呼ぶことなんてないけど。
それにしても、 若様は妾を囲っていることがばれて唸っているのだろうか?
人間の商人に側室や妾が居ることは珍しくない。
一夫多妻の獣人もたくさんいる。 むしろ一夫一妻の種族の方が珍しいけど・・・
と、カカと疾風がやってきた。
カカは若様のだらしない姿を見て呆れている。
『若様を叱ってください』
芙蓉はばあやに期待の眼差しを向けるが、ばあやは
「どうされました?」
と尋ねただけだった。
「鶯亭の妻が流産したそうだ。龍栄殿は半年は子作りできないらしい。」
若様は両手で顔を覆ったまま答える。
「またですか!?」
疾風が叫ぶ。
芙蓉だけ事情が分からない。
「龍栄様は族長のご長男、鶯亭は龍栄様の御屋敷のことでございます。龍栄様の前の奥様は2回死産され、今の奥様は今回が2回目の流産です。」
ばあやが説明してくれた。
「あ。そうなのですね。」
芙蓉はばあやに軽く頭を下げる。
『これ・・・私も聞いていい話なのかしら?』
そう思うが膝枕している芙蓉は動けない。
「最悪だ。もう10年以上だぞ。
なんで?龍栄殿はあんなに熱心なのに・・・
妻まで変えたのに・・・」
若様はぶつぶつ呟いているが、また芙蓉には分からない。
「シリュウ一族にはもう10年以上子どもが生まれておりません。龍栄様は成獣となってすぐにご結婚され、再婚もされましたが、まだお子様は一人もいないのです。」
カカがまた教えてくれた。
「え!?」
芙蓉は驚いた。
『10年以上?さすがにまずいんじゃない?』
芙蓉は呆れて若様を見る。 どう考えても離婚して妾を囲っている場合ではない。それも獣人の子どもを産めない芙蓉なら尚更だ。
しかし、芙蓉がそんな説教をするわけにはいかない。立場をわきまえなければ。
「リュウエイ様には側室はいらっしゃらないのですか?」
芙蓉は思わず尋ねた。
するとなぜか使用人たちの顔が一瞬で険しくなる。
「シリュウに側室はおりません。たとえ特例で複数の妻をめとっても妻に序列はございません。龍栄様の妻は一人です。」
カカがいつもよりも低い声で答える。
「失礼しました。人族では側室は珍しくないので・・・」
芙蓉は慌てた。
どうやらカカたちの地雷を踏んだらしい。
若様が前に側室腹と言っていたからてっきり・・・
いやそう言ったのは元妻だったか?
ああ、そうか。
芙蓉は理解した。
若様の父がその特例で、何らかの理由で複数の妻を娶り、妻同士は対等ということにしたのだ。
それが詭弁だとしても、嫁いだ身としては婚家の方針に従わなければならない。
元妻はそれができなかったから離縁することになったのだろう。
「人族の風習を知らず、ばあやこそ失礼いたしました。」
カカはいつもの声に戻っていた。
疾風の表情も穏やかになっているので、どうやら芙蓉は許してもらえたようだ。
『怖かった~』
獣人の地雷なんて分からないが、命拾いした。
「あの・・・若様?」
芙蓉は膝の上の若様を見る。
「ん?」
「リュウエイ様にご兄弟はいらっしゃらないのですか?」
「・・・姉が居たよ。嫁いだ翌年に亡くなられた。」
「そうですか。」
芙蓉の予想は外れた。
『族長の長男以上の特権を与えられた若様のお父上はもしかして?と思ったけど・・・』
「なあ芙蓉。」
「はい?」
「・・・龍栄殿の前妻は子が産まれなくて離婚したんじゃないらしい。実家に戻った際に里心が出たからだって。」
若様が芙蓉の目を見上げながら言うが、
なんでこんなことをわざわざ芙蓉に伝えるのだろう?
子を産めない妾の自分には全く関係ない話なのに。
芙蓉は若様と盛大にすれ違っていることにまだ気づいていなかった。
「里心が出るのは結婚生活に不満があるからでは?流産以外に不和の理由があったのですか?」
芙蓉がそう言うと、若様はショックをうけた顔をして黙り込んだ。
どうやら今度は若様の地雷を踏みぬいたらしい。
「あ、申し訳ございません。人族の離婚理由のトップは不妊ですので・・・」
芙蓉は慌てて弁解する。
「騙された・・・。」
若様がつぶやいた。
「え?」
芙蓉は首を傾げる。
「いや、伯母のことだ。」
若様は悔しそうな顔をするとようやく起きあがって座った。
「竜湖様には何と?」
カカが若様に尋ねる。
「リュウカが見つかるまでってことで口止め料を支払った。」
使用人たちは呆れた顔になるが、芙蓉はまた意味が分からない。首を傾げてカカを見たが、カカは黙って下を向いてしまった。
「芙蓉、部屋に戻ってくれ。」
「・・・はい。」
芙蓉は若様の命に従って部屋を出た。
どうやらここから先の話は聞いてはいけないらしい。
~桔梗の部屋~
「はあ。」
芙蓉は桔梗の部屋で一人ため息をついた。
若様があんな内密の話に芙蓉を同席させた理由がわかった。
「若様の再婚が決まったら、私は殺されるのね。」
人の考え方では側室と妾は別だが、一夫一妻の種族にとっては同じなのかもしれない。
まあ例え別でも、若様の後妻からすれば芙蓉は目障り以外の何者でもないだろう。
若様は芙蓉に優しいし、ゴリラに襲われた時には助けてくれた。それでも、後妻が望めば芙蓉を消すに違いない。
仕方のないことだ。しょせん芙蓉はその程度の存在なのだから。
それに芙蓉には逃げる手段も行くところもない・・・ 普段よりも一層自分が惨めで芙蓉は泣いてしまった。
~リュウレイ山~
1月のある日、龍希はリュウレイ山にいた。
竜湖の手前、リュウカを探すふりはしなければ。
それにいずれは芙蓉に渡すために必要になるのだ。
リュウカはシリュウ石の山を雷で砕いた際に、ごくまれにとれる高濃度のシリュウ石だ。薔薇の花に似た形をしている。
シリュウの雄はリュウカを自力で採取して初めて成獣として認められる。婚姻の際、リュウカを妻に贈るのがルールだ。
龍希は18歳の時に見つけた。一生に一つしか見つけられないこともあれば、龍希の父のように複数見つけるものもいる。運だ。
だが、リュウカは然るべき時に必ず現れる。
年寄り連中はそんな迷信を信じている。そして龍希も最近まで信じていた。
18歳の時、龍希が見つけたリュウカは2つだった。
しかし、もうどちらも龍希の手元にはない。1つは前妻のもとに、もう1つは鶯亭にあるはずだ。
龍希が成獣になった翌年、龍栄が白鳥と離婚し、すぐに再婚の話が出た。前妻は離婚時にリュウカを返却したらしいが、龍栄はリュウカの使い回しは嫌だ、新しいリュウカを見つけるまで再婚はしないと珍しくワガママを言ったので、龍希は困っていた。
龍栄の再婚が進まないせいで龍海たちが毎日のように龍希の元に縁談を持ってきたからだ。
だから悪だくみをした。
龍希はわざと龍栄と同じ日にリュウレイ山に行って、近くで作業し、龍栄がシリュウ石の山を壊したところに自分のリュウカを1つこっそり投げ込んだ。
そのリュウカを見つけた龍栄は・・・なぜか泣いていた。
それから間もなく龍栄は白猫族の妻と再婚した。当時、龍希はこのためにリュウカを2つも見つけたのだと思った。
だが
「龍栄も再婚が嫌だったのかな?」
いまさらになって気づいた。もう何もかも遅い。
龍栄が今の龍希と同じ理由で再婚を先延ばししたかったのか、別の理由があったのかはわからない。
自己嫌悪に陥って龍希はその場にしゃがみこんだ。
~シリュウ本家~
2月に入ってすぐ、龍希は父に呼ばれて本家に来た。
「参りました。」
龍希は一礼して応接室に入る。
龍希が椅子に座ったところで、父は机に紫の巾着袋を置いた。
「回収してきたぞ。」
「なんですか?」
龍希は何のことか分からず首を傾げる。
「竜湖に頼んだのではないのか?」
父は眉をひそめる。
どうやらまたあの伯母が勝手に何かしたらしい。
龍希はとりあえず巾着袋を開けた。
「え!?」
出てきたリュウカを見て驚いた。
「お前のだ。竜湖と回収してきた。」
「え?回収?なんで?」
「それはこちらの台詞だ。離婚する時に回収しておくものだぞ。」
父は呆れている。
「えっと、はい。すみません。お礼は明日すぐに・・・」
「もうもらった。竜湖がシリュウ香を5つも持っていたのだろう。」
「・・・」
龍希は無言になる。
あの伯母には一生適う気がしない。
「なあ龍希」
父は険しい顔で机をじっと見ている。
「龍栄は・・・相当参ってるようでな。」
「かける言葉もございません。」
龍希もうつむく。
龍栄を後継者に望む父の落胆は相当だろう。
「お前は・・・その・・・」
珍しく父は歯切れが悪い。
「いい加減再婚しろ、ですか?」
龍希から切り出す。
「あ、いや、違うんだ。もう変なお節介は焼くなと姉さんに怒られた。3時間も・・・」
龍希は嫌な予感がした。
「聞いたんですか?その理由を」
『芙蓉のことをばらしたな・・・』
龍希は竜湖を恨んだ。
「儂は息子たちのことを何もわかってないと。龍栄にも龍希にも変な妻を押し付けたと言われたよ。」
「え?」
龍希は驚いた。
『ばらしてないのか?』
「結婚も離婚も自分で決めたことです。父上に責任なんてないですよ。」
「兄弟で同じことを言っとる。」
父は悲しげに笑う。
そうだろうな。
異母兄もそういう男だ。
『しかし・・・芙蓉のことじゃないなら父上は何が言いたいんだ?』
「龍希が妻を連れてくるまで待てと姉さんは言うんだ。儂は・・・そうすることにした。だから儂には気を遣わないでくれ。話はそれだけだ。」
そう言って父は部屋を出て行った。
残された龍希は困った。
父はまた竜湖にお説教を受けるに違いない。
『察しが悪すぎないか?』
~枇杷亭~
帰宅した龍希は桔梗の扉を開けた。
「・・・」
芙蓉は椅子に座ったまま、机の上の読みかけの本に突っ伏して寝ている。
最近、芙蓉は元気がない。
それに一日中眠そうにしている。
リュウカも戻ってきたし、いつまでも芙蓉との再婚を隠しておく訳にはいかないのだけど・・・どうして芙蓉は何も文句を言わないのだろう?
数日前、龍栄の話をした時も驚くほど無反応だった。
まあ、妊娠のプレッシャーを感じるから龍希との結婚をやめたいと言われなかっただけマシだけど。
龍希はもう芙蓉のいない生活など考えられない。
のに、龍希は一度も言葉に出して芙蓉に伝えていなかった。
まさか芙蓉が妊娠のプレッシャーどころか自分が再婚相手だと全く気づいていないなんて、龍希は夢にも思っていなかった。
龍希は眠ったままの芙蓉をそっと抱き上げ、唇にキスすると寝室に運んだ。
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