第13話 雪光花

「セキコウカですか?初めて聞きました。」

芙蓉は枇杷亭の執務室でソファーに座っていた。

「じゃあ一緒に見に行こう。」

若様はソファーに寝そべり、芙蓉の膝に頭を乗せたまま微笑む。

「どんな字を書くのですか?」

一体何を見に行くのか芙蓉には想像もつかない。

「雪に光る花と書く。雪の間だけ咲く花だ。母上が好きだった。」

「まあ、それはぜひ見てみたいです。」

芙蓉は笑顔を作る。

「じゃあ疾風に宿を手配させよう。」

どうやら遠方にあるらしい。

まもなく疾風が執務室にやってきた。


「芙蓉と雪光花を見に行く。」

若様はソファーに寝そべったまま疾風に告げる。

「久々でございますね。大奥様とお泊りになった宿を手配いたします。」

疾風は笑顔になる。


「わ、若様。せめて座ってくださいませ。」


芙蓉は呆れながら膝の上の顔を見た。

芙蓉にも羞恥心はある。

執事の前で膝枕を続けるのは勘弁してほしい。


「んー?疾風は気にしないさ。」

若様はあくびをしながらのんきに答えるが、

『私が気にするんです!』

芙蓉は作り笑顔が崩れそうになるのを堪えた。

執事の前で若様に文句を言うわけにはいかない。


「芙蓉様の膝がお疲れになる前に起きてください。」

察しのいい執事が助け舟を出してくれた。

「ん?そうか」

若様はようやく起き上がった。



雪光花を見に出発したのは年が明けてから10日経った日だった。

今回は疾風に加えてタタも御者台に乗っている。


だけど、そんなことよりも芙蓉はぽかんと口をあけて馬車の窓から雲を見ていた。


芙蓉が馬車に乗るのは3度目だったが、これまでは疲れて寝ていたので空を飛んでいることを知らなかった。


『枇杷亭は随分高い場所・・・というか雲の上にあったの!?

やっぱり若様は鳥の獣人なんだろうか?』


芙蓉は隣にいる若様の顔をまじまじと見る。

珍しく椅子に寄りかかって寝ている。

最近何やら忙しそうで寝室に来る時間も遅い。


『お疲れならたまには一人でゆっくり寝ればいいのに。』


相変わらず毎晩芙蓉を寝室に呼んで相手をさせるのだ。

芙蓉はため息をつくと窓の外に視線を戻した。



「若様、芙蓉様。お疲れ様でございました。」

疾風が馬車の扉を開く。

2度の休憩を経て宿に着いたのは夕日が沈むころだった。

若様に続いて建物に入るが、出迎える宿の者はいない。

首をかしげる芙蓉にタタが後ろから説明してくれた。

「ここは宿の離れでございます。お二人の他に客はおりません。宿の者もできる限り姿を現しませんが、部屋のベルを鳴らせば参ります。」


『そんな宿があるんだ。まるで密談用の店みたい。』


芙蓉は納得した。

疾風とタタは荷物を部屋に運ぶと下がっていた。離れの隣にある従者用の部屋に泊まるらしい。

芙蓉も夜まではそちらに居た方がいいんじゃないかと思うが、若様は芙蓉の肩を抱いたまま離してくれそうにない。

離れといっても建物はかなり広く豪華だった。

部屋が3つもあり、どの部屋も大きな窓からは雪に覆われた中庭が見える。


「え!?露天風呂?」


奥にある木製の引き戸を開けた芙蓉は驚きのあまり声をあげた。

竹垣に囲まれた豪華な露天風呂があった。

どうやらこの離れ専用のようだ。

「一緒に入るか。」

若様が芙蓉の肩を抱く。

これは疑問形ではなく命令だ。

紅葉狩りの後から、時々、お風呂のお供もさせられるようになったのだ。



『これを雪見風呂っていうのかな?顔は冷たいのに身体は温かくて気持ちいい。』


芙蓉の頬が緩む。

「芙蓉は風呂が好きだなあ。」

隣で湯につかっている若様も上機嫌だ。

「若様もお好きですよね?」

「ああ、でも母上は湯がだめでな。ここに来ても風呂にはいつも父上と二人で入ってた。」

芙蓉は写真の孔雀の獣人を思い出した。

「御父上の話ははじめて聞きました。」

「そうだっけ?」

若様は少し驚いた顔をする。


『なんの獣人か聞きたいような。知りたくないような・・・』


芙蓉は何度も悩んで結局きくことができないでいる。

「母上は父上が嫌いだったからなあ。」

「え?」

芙蓉は声が裏返ってしまった。


「シリュウの妻は大体みんな夫が嫌いだよ。」


若様は物悲しげに微笑む。

こんな表情は初めて見た。


『シリュウ?そんな動物は聞いたことないから、若様の苗字かな?商品の名前と一緒だし。』


芙蓉は質問したかったが、今はそんな雰囲気ではない。

それに若様の離婚の話題はタブーだ。

芙蓉はかける言葉が見つからない。

が、無言が続くのもなんとも気まずい。

芙蓉が身体を傾けて若様に寄りかかると、若様は無言で右手を芙蓉の腰に回す。

右手が芙蓉の脇腹をなでて乳房まであがってくる。

「若様。部屋に戻りましょう。」

芙蓉は呆れて左手で若様の右手をつかんだ。


『だから女に嫌われるのよ!屋外で何するの!?』


芙蓉に睨まれて若様は素直に手を離した。

芙蓉にだって羞恥心はあるのだ。



翌朝、芙蓉はあくびを噛み殺しながら若様に手を引かれて雪の積もった林の中を歩いていた。


『眠い・・・昔、町のおばちゃんたちが言ってたとおりだった。なんで男は場所が変わっただけであんなに元気になるのかしら?』


芙蓉は不思議で仕方ない。

ふと、甘い匂いが漂ってきた。

匂いはどんどん強くなる。


「いい香り」


芙蓉はうっとりとなって匂いのもとを探す。

林を抜けて開けた場所に出た。

「わあ!」

芙蓉は歓声を上げた。

雪の上に薄黄色のかわいらしい花が咲いている。

匂いはこの花たちからだ。

初めて見る。おそらくこれが目当ての雪光花なのだろう。 芙蓉の眠気は吹き飛んだ。



「くさい・・・」

龍希は芙蓉からは見えないように顔をしかめた。

獣人の何倍も鼻が利く自分にこの花の匂いは強すぎる。かつて母も芙蓉のように喜んでいたが、父も匂いにやられて真っ青な顔をしていた。

なのに母が死ぬまで父は毎冬この場所に家族旅行に来た。

母を喜ばせるためだけに。

母が死んでからは二度とここに来る気はなかった が・・・


『俺もまた来年もここに来るんだろうなあ。』


大喜びしている芙蓉を見ながら龍希はため息をついた。

父と同じようにはなりたくないと思っていたのに、今の龍希にとって最愛の芙蓉を喜ばせることが最優先事項だ。


次の瞬間、龍希の身体がピクリと震えた。

複数の獣人が近づいてくる足音が聞こえる。

だが、花の強烈な匂いのせいで獣人の匂いが分からない。

龍希は舌打ちした。

向こうもこちらの匂いに気づいていないのだろう。そうでなければ獣人が龍希に近づいてくるはずがない。


「芙蓉。そこを動くな。」


龍希は獣人が来る方を睨みながら、背後の芙蓉に低い声で命じる。

「え?」

しゃがみこんで花の匂いを嗅いでいた芙蓉が驚いて立ち上がった。

「あ・・・」

芙蓉は恐怖で身をすくめた。

体長4メートルを超えるゴリラの獣人がドスドスと近づいてきた。

身体の横幅は龍希の2倍以上ある。

その数歩後ろには雌ゴリラの獣人4匹が続く。雄ゴリラの妻たちのようだ。


「なんで人族がこんなところに居るんだ?」


雄ゴリラが不愉快そうな顔で龍希たちを睨む。

「もしかしてつがい?」

「まさか!?まだ雛でしょ」

「知らないの?人族って私たちの子どもより小さいのよ。」

ゴリラ妻たちがクスクスと笑う。

「ねえ、ゴウラン様。私、あの雌がほしいわ。息子のおもちゃにちょうどよさそう。」

妻の一人が意地の悪い笑みを浮かべて芙蓉を指差した。

「仕方ないな。どうせすぐ壊すのに。」


雄ゴリラの獣人はにやりと笑うと芙蓉に近づいていく。

龍希は無言でゴリラの獣人に立ちふさがった。


「あん?」

ゴリラの獣人が丸太よりも太い腕を伸ばして龍希の頭をつかもうとした瞬間、ゴリラの左腕が切り裂かれ身体から離れて宙を舞う。

深紫に輝く龍希の鱗を見てゴリラは目を見開いた。

「あ・・・」

それが最後の言葉だった。

ゴリラの獣人は胸を長い爪で深くえぐられ、首を落とされて絶命した。



巨大なゴリラが若様の頭に腕を伸ばしたところで芙蓉は思わず目を瞑り顔をそむけた。

どさっと何かが倒れる音がして血の匂いが漂ってくる。

芙蓉は恐怖で動けない。


足音が近づいて・・・いや遠ざかっていく。


「・・・?」

芙蓉がそっと目を開けると、ゴリラの首と胴体が地面に転がっていた。

「え?」


何がおこったの?

てっきり若様が・・・

あれ?若様はどこ?


若様は雌ゴリラの獣人たちに向かって歩いていた。着物の袖から出ている右手は人間のものではない。

手は深紫に輝く鱗に覆われ、長く鋭い爪が伸びている。

雌ゴリラたちは皆、涙を流して命乞いしているが、若様は容赦なく右腕で獣人たちを屠っていく。

芙蓉は最後の獣人が血飛沫をあげて倒れると同時に気絶してしまった。



「ん・・・」

芙蓉が目を開くと木の天井が見えた。

「芙蓉様!」

これはカッコウの声だ。

「タタさん?」

芙蓉は上体を起こした。


ここは・・・宿の離れの部屋だ。


「ああ、よかった。」

タタはほっとした表情で水の入ったコップを芙蓉に差し出したので、 芙蓉はありがたく飲んだ。

「若様は?」

部屋にはタタしかいない。

「お風呂です。ゴリラの血と死臭を落としてくると。」

「あ・・・」

芙蓉は先ほどの出来事を思い出して真っ青になった。


若様は一体何の獣人なの?


芙蓉がタタに尋ねようとした時、部屋の扉が開いた。

「芙蓉!」

着替えをすませた若様が入ってくると両膝をついて芙蓉を抱きしめた。

右手は人間そっくりの手に戻っている。

「怖い思いをさせてすまなかったな。」


なぜ若様が謝るのだろう?


タタは静かに扉を閉めて部屋を出て行った。

「若様、お怪我はございませんか?」

芙蓉は一番気になったことをきいた。

「は?ああ、もちろん。」

若様はキョトンとして答える。

「怖かった・・・」

芙蓉の両目から涙があふれた。

てっきり若様がゴリラに殺されたのだと思った。


芙蓉は若様の胸に顔をうずめて泣いた。



芙蓉は泣き疲れて眠ってしまったようだ。

次に目を覚ました時には日が暮れていた。

またタタがそばに居て、若様は芙蓉を心配してもう一泊することにしたと教えてくれた。

芙蓉はお風呂に入って身体を温め、食事をとってようやく落ち着いた。

「もう大丈夫です。ありがとうございました。」

芙蓉はお風呂まで付き添ってかいがいしく世話をしてくれたタタにお礼を言う。

若様の世話をするためについてきた侍女なのに、若様に申し訳ない。


「顔色が戻られましたね。無礼なゴリラのことなどお忘れください。さあ、若様のところに参りましょう。」

タタは優しく微笑むと、芙蓉を隣の部屋に案内した。



若様は窓辺のソファーに座ってキセルをふかしていた。芙蓉を見ると向かいの席を指差す。

芙蓉が座ると、タタは若様に白い陶器でできた箱を渡した。


「芙蓉、プレゼントだ。」


若様はそう言ってその箱を芙蓉に手渡した。

芙蓉はきょとんとしてその箱を見る。宝石入れのようだ。蓋には昼間見た雪光花の絵が描かれている。

芙蓉は少し迷って蓋を開けた。

中には、バレッタと指輪が1つずつ入っている。

どちらも真珠と黄色の鉱石でできた雪光花そっくりの花飾りがついている。


「サイズを調整致しますね。」


タタがそう言って近づいてきた。

「お手を失礼します。」

タタは芙蓉の左手を取ると薬指に指輪をはめる。

「・・・」


このカッコウは分かってやっているのだろうか?


いや、獣人が人の風習を知っているはずがない。偶然だろう。芙蓉はそう思うことにした。

「つけ心地はいかがですか?」

タタが芙蓉を見る。

「あ、ちょうどいいです。」

小さな指輪は芙蓉の薬指にぴったりはまっている。


タタはにこりと芙蓉に笑いかけると一礼して部屋を出て行った。

「ありがとうございます。」

芙蓉は若様に頭を下げる。

「ああ。」

そう言って若様は手招きするので、芙蓉は立ちあがって若様の横に座った。

後頭部に手を回され、キスされそうになったところで若様が動きを止めた。

気まずそうに目を背けて手を離す。


「どうされました?」


芙蓉は驚いた。

「あ、いや・・・今夜はシリュウ香がないんだ。すまん。」

若様はなぜか謝る。

「ないとお困りになるのですか?」

「ないと芙蓉が嫌だろ?」

「え?私は別に。」


あの匂いは好きだが、なくても芙蓉は別に困らない。

なのに若様はぽかんとして芙蓉を見ている。


『え?そんなに驚くこと?』


芙蓉は訳が分からない。

若様はなにやら悩んでいるようだが、芙蓉は困った。

命の恩だけでも重いのにプレゼントまでもらってしまった。

今まで以上に愛想よくふるまって夜はしっかりサービスしなければと芙蓉は決意したばかりだった。

自分は妾だ。

施しを受ける立場ではない。

ましてや指輪のプレゼントなんて、若様が人だったら芙蓉はバカな勘違いをしてしまったかもしれない。



「今夜は可愛がってくださらないのですか?」

芙蓉は両手を若様の首に回して、耳元でささやいた。

すぐに芙蓉の背中に両手が回され、ソファーに押し倒されて唇が重ねられる。


『なんだったのだろう?今の茶番は?』


芙蓉はすぐに考えるのをやめた。

獣人の考えなど分かるはずもない。


芙蓉は知らなかった。

シリュウ香は元々、夜伽を嫌がるシリュウの妻を無理矢理その気にさせるために開発されたものであることを・・・


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る