第12話 リュウレイ山
12月のある日、龍希は枇杷亭の執務室にある作業場でシリュウ香を作っていた。
シリュウ香はシリュウ族の雄にしか作れない。
龍希が小刀を左腕に当てると、血が指先を伝って器の中にあるシリュウ石のかけらに注がれる。
シュー
音をたててシリュウ石が溶け、少し粘り気のある紫色の液体になった。
龍希は緑の絆創膏を貼って止血すると、器に小さなガラスグラスをつけて中の液体を掬っていく。
20分ほどでグラスの中の液体が固まり、30個のシリュウ香ができた。
シリュウ香の香りは獣人の発情を促すらしく、需要は耐えない。
らしいというのはシリュウ一族には効力がないからだ。
扉をノックする音が聞こえる。
「疾風か・・・10分後に来い。」
扉越しに命じると、龍希は執務室のすべての窓を開けて換気する。
今入ってくると疾風はシリュウ香の強すぎる匂いで鼻血を出して気絶してしまう。
30分後、疾風は布で鼻と口を覆って入ってきた。
「シリュウ石の注文書です。」
疾風は紙の束を渡す。
龍希は眉をしかめた。
「多いぞ。」
「鶯亭の若様は動けないとのことです。」
「ん?ああ、そうか。」
龍希は納得した。
妊娠中の妻がいるのだ。龍栄は巣を離れられない。
「明日、リュウレイ山に取りに行く。
リュウレイ山にはシリュウしか入れないので、管理人の龍流が送迎をする。
「畏まりました。お帰りは明後日ですか?」
「日帰りに決まってるだろ!」
龍希は疾風を睨む。
「は、はい。」
疾風は部屋を出て行った。
『芙蓉が居るのに外泊なんてごめんだ。』
龍希は察しの悪い執事にイライラしながら、キセルに火をつけた。
翌日の朝、龍流が馬車で龍希を迎えに来た。
馬車には4頭の一角獣がつながれている。
空飛ぶ馬車に揺られること1時間、雲の上に突き出たリュウレイ山に入る。
「龍希様。お疲れ様でございます。」
龍流が馬車の扉を開ける。
「ああ、ご苦労様。」
龍希は馬車から降りると目の前の洞窟に入っていった。
洞窟の高さは10メートル以上あり、中に入っていくほど幅が広がっていく。洞窟内に日の光は入らないが、天井が淡い紫色に光っている。
龍希が最初の三叉路を右に進み、しばらく歩くと底の見えない大きな穴と天井からその穴に向かって落ちる大きな滝が現れた。
龍希は服を脱いで穴の手前においてあるカゴに服を入れると靴を脱いで穴に向かって一歩踏み出す。
ふわりと龍希の身体が宙に浮いた。
そのまま滝に向かって空中を歩いていく。
10分ほど滝行を行って身を清めると、また空中を歩いて戻る。
穴の前には龍流が待っており、真っ白な衣と袴を龍希に差し出した。
龍希はそれを着ると、地面を歩いて先ほどの三叉路に戻り、今度は左の道に入る。
10分ほど歩くと洞窟の最奥、先ほどの10倍以上はある巨大な穴が現れる。
穴の側面には無数の穴が開いており、そこから水が底へと流れ落ちている。
龍希は穴に向かって飛び降りた。
5メートルほど下がったところでキラキラと紫色に輝くシリュウ石の山の頂がいくつも見えた。
「さて。」
龍希はシリュウ石の山の一つに着地すると、右手に力を籠め手のひらを目の前の山に向ける。
龍希の赤黒い目が深紅の獣の目に変わる。
凄まじい音がして手のひらを向けた山に雷が落ち、山が砕けてシリュウ石のかけらがばらばらと転がった。
龍希は次々と雷を落として山を破壊していった。
12時間後、洞窟内にある管理人室の扉が開かれた。
「おお!龍希様。お疲れ様でございます。お部屋の用意はできております。ゆっくりお休みください。」
龍流は立ち上がって出迎えた。
「いや、帰るから送ってくれ。」
龍希様は棚に置かれた酒瓶の一つを取りながら答える。
「え!?もう日は暮れましたよ。一度もご休憩されていないのです。泊まっていかれては?」
「帰る。注文分の石は取って俺の倉庫に入れてきたから、配達しといてくれ。」
「あ、あの量を半日で!?」
龍流は驚いた。
「ああ。疲れたから早く帰りたい。どいつもこいつもさぼりやがって。」
龍希様は一気に飲み干すと2本目の酒瓶を手に取った。
龍流は苦笑いするしかない。
雄のシリュウはシリュウ石をこの山でとり、シリュウ香を作り、それを売って生計を立てている。
全てを一人でこなすのが理想だが、シリュウ石の採取はかなりの重労働なので、自力では必要量を調達できず対価を払って他のシリュウから買い取るものは少なくない。
一族の中でも力の強い龍希様は何だかんだ言いながらシリュウ石の注文を多く引き受けている。
『一族随一の破天荒と言われているが、一族思いの方なんだよなあ。』
だから龍流は年下の龍希様を尊敬している。
それに龍希様はシリュウ石の代金をしっかり設定しており、稼ぎは一族の中でもトップクラスだ。
商人としても抜け目がない。
「さすがですね。龍希様がいらっしゃれば我が一族は安泰です。」
龍希様が龍流を睨んだ。
龍希様は次期族長に推されていることを嫌がっているからだ。
これ以上言えば拳骨が飛んでくる。
「馬車の準備をしてまいります。昼食用にご用意していたものです。召し上がってください。」
隣のキッチンからサンドイッチをもってきてテーブルに置くと、龍流は走って馬車の用意をしに行った。
龍希様を枇杷亭に送り届けた時には夜も更けていた。
「ご苦労。遅くに悪かったな。受け取ってくれ。」
龍希様がそう言うと、ヒョウの執事が酒瓶2本が入った紙袋を龍流に差し出した。
深夜手当ということだろう。
この方は意外と律儀なのだ。
「恐れ入ります。」
龍流は龍希様に向かって一礼すると紙袋を受け取った。
龍希様が屋敷に入るのを見届けてから、龍流は御者台にあがる。
『龍希様はお忙しいのだろうか?離婚されたと聞いたのでまた泊まってくださると期待していたのに残念だ。』
龍流はため息をついた。
龍流は普段一人でリュウレイ山に住んでいる。
妻子とはずいぶん前に死別した。宿泊者がいる時は嬉しく、特に龍希様はカラスとの結婚前までは毎回泊まって、龍流と酒盛りをしてくれた。最近、カラスと離婚されたと聞いたので今日は久々に泊まりだろうと期待していたのだが。
『まあ仕方ない。龍希様に頂いた酒があると知ればリュウレイ山に来るものが増えよう。』
龍流の馬車が浮き上がり、枇杷亭から離れていった。
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