第11話 孔雀の奥様

「雪が降ってる!」

芙蓉は廊下の窓から外をみて驚いた。

『どうりで寒いと思った。』

夜明け前に目が覚めてしまい寝間着を羽織ってトイレに行ったところだった。

枇杷亭の廊下は、壁に等間隔に配置された燭台にロウソクが一晩中灯されている。

芙蓉の生家ではロウソクは貴重品だった。信じられない贅沢だ。


寝室の扉を静かに開けて閉める。

若様を起こさないようベッドにそっと潜り込んだ・・・

つもりだったが、腕が伸びてきて抱きしめられた。

「身体が冷たいな。」

頭上から声がするが、その声は優しい。

「申し訳ございません。起こしてしまいましたか?」

「隣からいなくなればな。」

芙蓉の寝間着が脱がされる。

「だめです。冷たいですよ。」

芙蓉の手足は短時間で冷え切っていた。


「ああ、すぐに温かくしてやる。」


抱きしめられたまま身体を回され、温かい素肌の下敷きになった。

「ん・・・」

冷えた首を温かい舌が滑り、思わず声が漏れる。

「もう・・・」

芙蓉は困ったように微笑むと両手で深紫の髪をなでた。

朝から若様の相手をするのももう慣れた。

若様の性欲が強いのは獣人だからなのか、若いからなのか?両方かな?

でも、どうして他に妾を作らないのだろう?

さすがに若様にはきけない。でしゃばりすぎた。


「芙蓉」

なんとも色っぽい声で芙蓉は我に返った。

「はい、下さいませ。」

芙蓉は仕事に集中することにした。



~枇杷亭 庭~

その日、雪は昼を過ぎても降り続いていた。

芙蓉は枇杷亭の庭にある屋根付きの四阿に居た。

若様は昼前に仕事だと出掛けていった。


四阿の屋根は雪で薄く覆われていたが、中にある石製の椅子は濡れていなかった。

芙蓉はその椅子に腰かけ、振り続く雪をぼんやりと見ていた。

若様から頂いたコートのおかけで凍えることはないけど、顔と耳は痛い。

だけど芙蓉は今日だけはその痛みを感じたくて外に出てきた。


故郷の厳しい冬を思い出すために。

芙蓉の故郷は地図の北側にある中規模の町にあった。

毎年11月の終わりから雪が降り始め、12~2月までほぼ毎日雪が降り積もっていた。

この時期は外から物資が入ってこないので、町の商人たちは連れ立って町の外に買い付けに行っていた。

昨年の12月、芙蓉の父は南に20キロほど離れた町にある薬草の取引先に向かって旅立った。薬草の仕入れとともに、その店の長男と芙蓉の縁談をまとめるためだった。

「1月中には帰る。」

そう言って近所の商人たちと旅立った父は2月になっても帰ってこなかった。

雪がすっかり解けた3月、父の名前が書かれた金属製の通行証だけが帰ってきた。 父たちは道中、強盗に襲われたらしく、雪が解けて死体が見つかったそうだ。

遺骨は現場近くの墓地に埋葬されたそうで、故郷の墓には父の通行証だけが入っている。

その墓にも芙蓉は二度と参ることはできない。


『雪の下で何ヶ月も・・・父はさぞ寒かったろう。』


芙蓉は故郷の方向を向いて両手を合わせ、目を閉じる。一筋の涙が頬を伝った。

黙祷を終えて目を開けて顔をあげる。

「ふう。」

白い息を吐いた。無意識に息を止めていたようだ。


「芙蓉様。」


背後から呼ばれ、芙蓉は驚いて振り返る。 鶴のばあやが四阿の中に立っていた。

「いつの間に?」

全く気づかなかった。

「若様には内緒にしてくださいませ。ばあやが折檻を受けます。」

鶴のばあやは無表情で告げる。

「ごめんなさい。すぐに戻ります。」

芙蓉は慌てて立ち上がった。

「何をされていたのですか?」

「亡くなった父に黙とうを・・・」

芙蓉は素直に白状した。

「もくとう?それはこんな雪の中でするものなのですか?」

「私の父の場合は。」

別に決まりはないのだが、芙蓉はそうしたかった。

「それで若様の外出中に外に?若様は人族の風習を否定されたりしませんよ。」

ばあやは少し怒っているようだ。

「ええ。でも一人で黙とうしたかったのです。」

芙蓉は目を伏せる。


「もくとうは、私にもできますか?」


意外な質問に芙蓉は驚いてばあやを見る。

「今日は大奥様の命日なのです。」

ばあやは目を細める。


『大奥様。若様の母親のことだろう。』


芙蓉はばあやに黙とうのやり方を教えた。

ばあやは西の方向を向いて黙とうをするが、芙蓉は驚いていた。

獣人が死者を弔うとは思ってもみなかった。


「芙蓉様。」

「は、はい。」

「昔話に少し付き合ってくださいませんか?ここではなく、あたたかい食堂の中で。」

「ええ、私でよければ」

二人は連れ立って建物に入った。



~枇杷亭 食堂~

「は?」

芙蓉はばあやが持ってきた写真を見てぽかんと口を開けた。

写真には赤紫の豪華なドレスを着た孔雀の獣人と、その獣人に抱っこされている人の子どもが写っていた。

いや人ではない。

髪の色と顔の感じからおそらく幼いころの若様だろう。


「この方が・・・大奥様ですか?」

「はい。美しい茶色の羽をお持ちでした。」

ばあやの目はうるんでいるが、芙蓉は開いた口が塞がらない。


『嘘でしょう!?若様は孔雀の獣人なの?

全然似てないけど。羽もないし。

いや待って!父親は違う種族の獣人なのかも・・・きっと若様は父親似なんだわ。』


芙蓉はそう思うことにした。

異種交配の獣人からは父母どちらかと同じ種族の子どもが出きると聞いたことがある。


あれ?

でも父親が写ってる写真は一枚もないな・・・

父親はなんの獣人なんだろう?


「もう10年になります。明日には大奥様の思い出の品を燃やさねばなりません。」

「え?」

芙蓉はまた驚いた。

「孔雀族の風習です。死後10年を過ぎるとすべての遺品を処分するのです。」

ばあやは目に涙をためて美しい彫刻が施された木の箱をなでる。

写真が入っていた箱だ。丁寧に手入れがされている。

この孔雀の獣人はよほど鶴の婆やに慕われていたようだ。


「美しい箱ですね。」

芙蓉はティッシュを渡しながら言った。

「大奥様の嫁入り道具でございます。とても大切にされておりました。」

ばあやはそう言うと箱の蓋を開けて中身を取り出し、丁寧にテーブルに並べた。


写真が5枚

金属でできた足環

100円玉サイズの紫色のウロコのようなもの

何かが入った黒の巾着袋


箱の中身はこれだけだった。

若様の母親にしてはあまりにも粗末な遺品だ。

それとも金目の物は若様が相続したのだろうか?



「巾着には何が入っているのですか?」

芙蓉は好奇心に負けて尋ねる。

「どうぞお開けください。」

ばあやは目を伏せる。

芙蓉が紐をほどいて真っ黒な巾着を開けると、濃い紫の鉱石でできた花のペンダントトップが出てきた。

昔カタログで見た紫水晶に似ている。


「綺麗」

芙蓉は思わずつぶやいた。

紫水晶の実物なんて初めて見た。


「お館様が贈られたリュウカでございます。」 「リュウカ?」

芙蓉は首を傾げる。

この花の名前だろうか?

初めて聞く言葉だ。


「いずれ若様がくださいますよ。」

ばあやの声はいつもより低い気がした。

「え!?いえ。」

芙蓉は慌てて首を横に振る。


色の濃い紫水晶は宝石と同じくらいの値段だと聞いたことがある。

どう考えても芙蓉がもらうものではない。

芙蓉は妾として若様のそばに置いてもらっているだけでも分不相応なのだ。

贈り物なんて畏れ多い。

のに、若様は最近やたらと高そうな着物や装飾品をプレゼントだと渡してくるので芙蓉は困っていた。


芙蓉はリュウカをそっと持ち上げ慎重に巾着袋に戻した。

傷つけないように集中していたので、ばあやが憐みの表情で芙蓉を見ていることに気づかなかった。


『大奥様もきっといらないと嫌がったのだろう。』


カカは大奥様が嫁入りした際に大奥様付の侍女になったので、お館様からリュウカをもらった場面は見ていない。

だが容易に想像できた。

嫁入り後、大奥様は視界に入れたくない、でもなくすわけにはいかないとリュウカを黒い巾着袋にしまい込んでいた。

お館様との外出の際にはいやいや首から下げていたが、大奥様には忌々しい首輪に見えていたに違いない。


カカの今の主は若様だ。

若様を第一に考え行動せねばならない。

それでもばあやは哀れな人族の娘に同情を禁じ得なかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る