第3話 執事の勘違い

「ん・・・?」


振動を感じて、芙蓉は目を覚ました。

馬車が止まったようだ。


「起きたか。歩けるか?」


若様に優しく問われ、芙蓉は慌ててうなずく。

いつの間に眠ってしまったのだろう?


若様に続いて馬車を降りると、すでに日は沈んでいた。ランプを持った疾風が居なければ、地面が見えないほど暗い。


『馬車に乗ったのは昼前だったのに・・・何時間眠っていたんだろう?

ここはどこ?』


芙蓉はあたりを見回すが、真っ暗で何も見えない。

なのに若様は暗闇の中を明りも持たずに歩いていく。 やっぱり人じゃない。

ランプを持った疾風のあとを芙蓉はついていく。



5分ほど歩いただろうか。

目の前に明りの灯った石造りの豪邸が現れた。

金属でできた玄関の扉が開く。


「お帰りなさいませ。」


白いワンピースをきた着たカッコウの獣人が深々と頭を下げて出迎える。

服装から雌のようだが、疾風より頭1つ分小さいものの、それでも2メートルはある獣人だ。

鋭いクチバシが怖い。



「タタ、芙蓉の部屋を用意しろ。」


若様はカッコウにそれだけ命じて、靴を脱ぐと屋敷の奥に入っていった。


「ふよう?」


タタは首をかしげながら疾風を見る。

「人族の雛ですよ。若様が拾ってこられたのです。」

疾風は芙蓉の方を見ながら紹介する。


『雛って。獣人からすれば小さな人間はみな子ども同然なのだろうか?

失礼な話だ。』


芙蓉は内心ムッとしながらも、

「芙蓉です。」

と軽く頭をさげる。

獣人の言うことを否定して殴られてはたまらない。


「あらあら。可愛いお嬢ちゃん。私は侍女頭のタタ。カッコウ族よ。」

タタは笑顔で自己紹介する。

「若様はまた人族街で飲み歩いていたの?」

「ええ、それも朝までですよ。全くお館様に知られたら私たちが怒られるというのに・・・」

疾風とタタはため息をつく。

「お疲れ様。芙蓉ちゃんのことは私に任せて。着替えてらっしゃいな。」

「助かります。」

疾風は自室に向かった。


疲れたが、まだ仕事が残っている。

疾風は室内用の執事服に着替える。

若様が拾ったのが雛でよかった。

芙蓉が成獣だったら仕事が途方もなく増えていたところだ。

疾風は安堵のため息をついた。


疾風はこれまで人族に会ったことがなく、知識もなかった。

2メートル近い雌の獣人しか知らないこのヒョウは、瘦せこけて身長160センチほどしかない芙蓉の見た目から雛だと勘違いしていた。

芙蓉が成人(成獣)だと知っていれば、疾風たち使用人は総力を挙げて若様から芙蓉を逃がしたのだが・・・疾風が自身の勘違いに気づくのは手遅れになった後だった。



「空き部屋は掃除してないから、今夜はここに泊まって。」

タタに案内されたのは客間だった。

「は、はい。」

芙蓉は初めて見るカッコウの獣人に怯えていた。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。若様は使用人を大切にされる方だから。こんなに痩せて。あなたもきっと辛い思いをして来たのね。」

タタは優しく芙蓉に微笑みかける。

「ここでちょっと待っていてね。ナナを呼んでくるから。」

そう言って、タタは客間を出て行った。


数分後、客間の扉をノックする音が聞こえ、白いシャツに緑のスカートをはいた羊の獣人が入ってきた。

「あんたが芙蓉?」

「は、はい。」

「私はナナ。タタに言われて迎えに来たわ。ついてきて」

それだけ言って、ナナは部屋を出ていく。

芙蓉はついていくしかない。

ろうそくで照らされた廊下を歩いていくと、ナナは扉が開いている部屋に入っていった。

芙蓉が恐る恐るその部屋を覗くとそこは食堂のような場所だった。

厨房にはコック帽をかぶりエプロンを着た猿の獣人が何やら料理を作っているようだ。


えんさん。新人。人族の雛らしいよ。」

ナナが猿のコックに話しかける。

「人族?」

延が眉間にしわを寄せて芙蓉を見る。

「俺は延。ここのコックだ。人族が何を食えるのか知らんから教えてくれ。」

「今夜は何があるの?」ナナが延に尋ねる。

「お前らには草粥だ。人族の主食も草か?」

芙蓉は首を横に振る。

「じゃあ肉か?鶏肉は食えるか?」

「火が通っていれば」

芙蓉はなんとか声を絞り出した。

「火が通るってなに?」

ナナが首をかしげる。

「焼けってことだよ。俺も生肉は好きじゃない。」

延が答える。

「米と卵は食えるか?」

延の質問に芙蓉はまたうなずく。

「じゃあ親子丼を作ってやろう。ナナと座って待ってろ。ニニももう来るのか?」


「うん。」

ナナはそう返事すると、4人掛けのテーブルに移動する。

「芙蓉、おいでよ。」

ナナに呼ばれて、芙蓉はナナの向かいの椅子に座った。

「ここが食堂。延さんに言えば何でも作ってくれるわ。しっかり食べて大きくなりなさい。」

ナナはそう言って芙蓉のやせ細った腕を見ている。


『子どもと誤解されてる。

勇気を出して雛じゃないというべきだろうか?』

芙蓉が悩んでいると背後から声が聞こえた。


「ナナ、お待たせ!

って誰その子?」


芙蓉が振り向くと、ナナとそっくりの羊の獣人が食堂に入ってきた。スカートが黄色でなければ、ナナと区別がつかない。

「ニニ、お疲れ。この子は芙蓉。人族の雛だって。」

ニニはナナの隣に座る。

「へーはじめまして。私はニニ。ナナとは双子なの。お仕事は洗濯。」

「芙蓉です。」

芙蓉は頭を下げる。

「人族って、若様また人族のふりして町で飲んだくれてたのかな?」

ニニが苦笑いする。

「みたいよ。」

ナナは表情を変えずに答える。


「ねえ、人族って若様の匂いが分からないって本当?」

ニニが芙蓉に尋ねてきた。


『匂い?何のことだろう?』


芙蓉は首を傾げた。

若様は獣臭くはなかったけど・・・



「できたぞ。」


延が盆にどんぶりを3つのせて持ってきた。

芙蓉の前には親子丼が、ナナとニニの前には草粥が置かれた。

「待ってましたーお腹ペコペコ。」

そう言ってニニはスプーンを持って食べ始めた。

芙蓉は恐る恐るスプーンで親子丼を口に運ぶ。

ちゃんと肉に火が通っていておいしい。ただ味付けは醤油じゃなくて塩だった。

芙蓉は夢中で完食した。



食事が終わり、ナナが丼を集めて延のところに持っていってくれた。

「ねえ、芙蓉ちゃんはお風呂入れる?」

ニニの質問に芙蓉はうなずいた。

「よかった。若様はお風呂に入らない使用人を嫌うの。だから私たちはあんまり水が好きじゃないけど我慢して毎日入ってるんだ。

もうすぐ若様のお風呂が終わるはずだから、そしたら案内してあげるね。」

芙蓉はまたうなずいた。


ここでも毎日お風呂に入れるならありがたい。


ナナが湯呑を3つ持って席に戻ってきた。

麦茶の匂いがする。

「芙蓉ちゃんはナナと一緒に掃除するの?」

ニニがナナに尋ねる。

「知らない。芙蓉の仕事はタタが決めるでしょ。」

ナナはお茶を飲みながら答える。


「ふーん。芙蓉ちゃんはここに来る前は何していたの?」

「えっと・・・薬屋で働いていました。」


芙蓉は小さな声で答えた。若様の命令に逆らうわけにはいかない。


「薬屋?お医者さんなの?」

ニニは驚いている。

「いいえ、簡単な薬を調合して売るだけです。」

「売るって、商人だったの?」

「いいえ、商人は父と兄で、私はただの店番でした。」

「ふーん。もしかして芙蓉ちゃんも親が死んで帰る家がなくなったの?私たちみたいに」


「え!?はい・・・」


芙蓉はドキリとした。

父親が急死しなければ売られることはなかった・・・

はずだ。たぶん。

「そっかー。私たちと同じだね。ここはいいよ。住み込みで死ぬまで働けるから。」

ニニは笑顔でそう言うが、芙蓉は返事に困った。


きっと芙蓉はすぐに若様に飽きられるに違いない。



「食事は終わったかい?」

タタが食堂にやってきた。

「うん。私とニニはもう休んでいい?」

ナナがタタに尋ねる。

「いいよ。芙蓉ちゃんは私とおいで。お風呂に案内するよ。」

タタがそういうと、ナナとニニは食堂を出て行った。

芙蓉はタタについて廊下に出る。


お風呂は芙蓉の泊まる客間の斜め向かいだった。


「お風呂に入ったら今日はもう寝な。明日の朝起こしに来るからね。」

そう言ってタタは、タオルと寝間着を芙蓉に渡して去っていった。



~浴室~

石でできた風呂だった。天井は高く4メートル近くある。

壁の穴からお湯が浴槽に注がれている。


芙蓉は髪と身体を丁寧に洗った後、浴槽のお湯につかった。


お風呂は二度目だが、身体はきれいにしておくべきだろう。


芙蓉は風呂からあがり、脱衣所のドライヤーで髪を乾かして客間に戻った。

客間の化粧台に座って髪をくしで梳いていると部屋の扉がノックされる。


「はい。」


芙蓉は立ちあがって扉を開ける。

そこにいたのは若様だった。


「おいで、芙蓉」


若様は笑顔でそう言うと左手を伸ばして芙蓉の肩を抱く。

「はい。」

芙蓉は作り笑顔を浮かべて若様の寝室についていった。

芙蓉の仕事はこれからだ。


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