第4話 侍女見習い?
「ん・・・」
ベッドの振動で芙蓉は目を覚ました。
隣で寝ていた若様が起き上がって芙蓉を見る。
「俺は本家に行ってくるから、芙蓉は留守番しててくれ。」
芙蓉の頭を優しくなでると、若様は寝間着を着て寝室を出て行った。
芙蓉は起き上がって下着と寝間着を探す。
カーテンの向こうから朝日が差し込んでおり、寝室の中がよく見える。
大人6人は眠れる大きなベッドだ。
ベッドの横にはサイドテーブルがあり、その上に水差しと、昨晩のアロマキャンドルが入ってた小さなガラスグラスが置いてある。グラスの底には溶けた紫のロウがついている。
アロマキャンドルは遊郭の晩と同じ香りだった。
若様の趣味だろうか?
芙蓉はベッドの端にあった下着と寝間着をとり、しわを伸ばして着ると静かに寝室の扉を開けて廊下を見る。
何となく誰にも見られない方がいいかと思った。
廊下に誰もいないことを確認して、忍び足で客間に戻る。
風呂場の前を通った時、使用中のようだったのでおそらく若様だろう。
部屋に戻るとまだカッコウは来ていないようだった。
芙蓉はほっとして、たたんでおいた昨日の着物に着替えようとして手を止めた。
『そういえば昨日羊が若様の匂いがどうとか言ってた。』
獣人は人の何倍も鼻がきくらしい・・・
若様が風呂場から出て行ったのを音で確認して、芙蓉は風呂場に入った。
石鹼で全身を、特に下半身を念入りに洗ってからシャワーで洗い流した。
髪を洗っている時間はさすがになかった。
着替えて客間に戻り、寝間着をたたんでいると扉がノックされた。
「はい。」
芙蓉が扉を開けるとニニが立っていた。
「おはよう!芙蓉ちゃん。はい、これ。」
ニニが笑顔で白いワンピースを渡す。
「それじゃ動きにくいだろうから着替えて。洗濯物はもらっていくね。」
芙蓉はワンピースに着替えた。尻尾用の穴は空いていない。
昨日、カッコウが着ていた服に似ているが、襟元と袖口に花の刺繡が入っている。
ワンピースは毛皮でできているようで一枚だけであたたかい。
丈が長いのでベルトで調節した。
「よさげね。午後に仕立て屋を呼んだから芙蓉ちゃん用の服を作ってもらおうね。」
ニニはそういうと芙蓉を食堂に連れて行った。
~枇杷亭 食堂~
「おはよう。延さん。朝食は何?」
「おはよう、ニニ。タマゴサンド、草のサラダにネズミのスープだ。」
「スープは具なしにしてね。」
ニニは振り返って芙蓉を見る。
「私はタマゴサンドだけで。」
芙蓉は青い顔で言った。
「ん?ネズミは嫌いか?ドブネズミじゃねえから臭くねえぞ。」
延はニニの皿を用意しながらそう言うが、
「ネズミは食べられなくて・・・」
「そうなのか?なら仕方ねえ。タマゴサンドを多めに盛ってやる。」
延は皿にタマゴサンドをのせると芙蓉に渡してくれた。
「ありがとうございます。」
芙蓉は皿を受け取り、ニニと席につくとサンドイッチの中身を恐る恐る確認した。
炒り卵とレタスがパンに挟んである・・・
一口食べると美味しかった。
芙蓉は安心して完食した。朝から卵が食べられるなんてなんという贅沢だろうか?
「おはよう。」
ナナがレモン水が入ったグラスを3つ持ってきた。
「芙蓉はこれから部屋の掃除ね。私も手伝うわ。」
ナナに言われて芙蓉は頷いた。
「芙蓉ちゃんの部屋はどこになったの?」
ニニが尋ねる。
「桔梗の部屋だって。飲み終わったなら行くよ。」
ナナはそう言って立ち上がった。
「はい。」
芙蓉はおとなしくナナについていく。
客間の二つ隣の部屋が芙蓉の部屋になったらしい。
木の扉に桔梗の花が彫ってある。
『そういえば、若様の寝室の扉にはアヤメの花が彫ってあったな。』
芙蓉は思い出しながら、桔梗の扉を開けた。
水色の絨毯が敷かれ、シングルベッドと小さな机と椅子、化粧台とクローゼットのある部屋だった。
2つの窓には水色の無地のカーテンがかかっている。
生家にあった芙蓉の部屋の3倍以上の広さがある。
芙蓉は驚いた。
使用人の部屋が個室でしかもこんなに豪華なんて・・・若様は思った以上の大商人のようだ。
「はい、雑巾。さっさと掃除するよ。」
ナナと二人で部屋を掃除した。
掃除が終わると芙蓉の荷物を客間から桔梗の部屋に移動させた。
芙蓉が使った客間の掃除は後でナナがするという。
「私の仕事だから。それより昼食前に屋敷の中を案内するようタタに言われているの。」
そう言ってナナは芙蓉を廊下に連れ出した。
部屋の扉には異なる花の彫刻が彫ってあり、花がそのまま部屋の名前になっているそうだ。
玄関に近い方から使用人たちの部屋や物置、洗濯場があり、真ん中に食堂、風呂場、客間が3つ、応接間が2つあった。
「あの一番奥のアヤメの部屋が若様の寝室で、その右にある紫陽花の部屋が若様の執務室。間違っても入っちゃだめよ。」
「はい。」
芙蓉は答えながら心の中で苦笑いする。
「じゃあ案内は終わり。お昼食べに行くよ。」
「え、あの左の部屋は?」
見たこともない大輪の花が彫られた扉を指差して、芙蓉は尋ねた。
「ああ、あそこね。」
ナナは顔をゆがめた。
「奥様の部屋だったけど、今は空っぽ。」
ナナは吐き捨てるように言って、左の扉を開ける。
使用人の部屋より広く、若様の寝室よりは狭い。
薄紫の豪華な絨毯が敷かれているが、家具は何ひとつ置かれていなかった。
薄紫色のカーテンは全て閉められ、部屋は薄暗い。
ナナはぴしゃりと扉を閉めるとスタスタと食堂に向かうので、芙蓉は黙ってついていった。
どうやら若様の前妻の話題には触れてはいけないようだ。
食堂でニニと合流し3人で昼食を食べているとタタがやってきて芙蓉を小さい方の応接間に連れて行った。
~応接間~
応接間にはヤマアラシの獣人が2匹いた。
ニニが言っていた仕立て屋らしい。
テーブルの上に衣服や靴の箱がいくつも積まれている。
「うちの新人。人族の芙蓉よ。」
タタが紹介する。
「ほお!人族ですか!?初めて見ました。」
雄のヤマアラシが好奇の目を芙蓉に向ける。
「思った以上にお小さいですね。」
テーラーメジャーを持った雌のヤマアラシが目を細めて芙蓉を見る。
「いやー若様は面白いものを拾ってこられましたな。人族を飼おうとは。」
雄のヤマアラシが笑う。
「ビワ亭の使用人をペット扱いとはいい度胸ね。」
タタが雄のヤマアラシを睨んだ。怒っているような声だ。
「い、いえ!?そんなつもりでは!」
雄のヤマアラシは慌てて土下座する。
「弟子が申し訳ございません。私が芙蓉殿のお相手をするからお前は下がっていなさい。」
雌のヤマアラシが深々と頭をさげる。
『ビワ亭?この屋敷の名前だろうか?たぶん果物の枇杷のことかな?
部屋の名前は花だし、窓から見える庭にも木がたくさん植えてあったし。』
芙蓉はそんなことを考えながら、雌のヤマアラシが持ってきた服を次々と試着する。
日が沈むころ、ようやく仕立て屋たちは帰っていった。
『疲れた。』
芙蓉はため息をついた。
獣人用の服はどれも芙蓉には大きく、ヤマアラシたちはその場で仕立て直したので時間がかかった。
靴は足のサイズを測り、後日持ってくるという。
「さてと、もうすぐ若様がお帰りになる時間だわ。明日から芙蓉は侍女見習いとして、屋敷の中で私たちの手伝いをしてちょうだい。外には出ないでね。匂いがつくまで外は危険だから。」
タタはそう言うが、
「匂いですか?」
芙蓉は意味が分からず尋ねる。
「そう。匂いがつけば枇杷亭の者だと分かるから、よほどの馬鹿でない限り絡んでこないわ。
若様は一族の中でも匂いの強い方だから半年くらいここで暮らせば外に出られるようになるわよ。」
『若様の匂いが強い?逆でしょ。若様よりも使用人たちの方がよっぽど獣臭いわよ。』
芙蓉はそう思いながらも黙って頷いた。
『昼間は雑用で、夜は若様の相手か・・・』
芙蓉はまたため息をついた。
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