第2話

「……帰ってこないのは何人です? それと、いつからです?」

 困った様に頭を掻きながら尋ねるロニーに、アイクは心苦しそうに答えた。

「三人だ。一昨日から帰ってこない」

「……分かりました。最善は尽くしますけど、ダメだったら諦めて貰えませんか?」

「……分かった。すまん……」

 アイクが心苦しそうに頷いたその時、後ろから静かに誰かがやって来て囁いた。

「ロニーさん、オレも行きます。弟が奴らに捕まってるかも知れないんです」

 振り向いたロニーの前に屈んでいたのは、弓とナイフ、鉈を持ち、簡素な皮鎧を纏う十七歳位の男性だった。真剣な眼差しでロニーを見つめている。

 出発前の紹介では、彼は確か猟師でノーマンという名前だったと思う。

「オレは、偵察で何度もあの洞穴に入ってますから、中はよく知ってます。それに五年ほど猟師やってますから、獲物に気付かれない様に行動するのも少しは出来るつもりです。お願いします! オレも連れて行って下さい!」

 真剣な顔で頭を下げるノーマンを見て、アイクが口を開いた。

「ロニーさん、コイツは若いが腕は良い。それにロニーさんはここは初めてだろう。道案内がいた方が良くないか? 中に仲間がいたら、コイツがいた方が話も早いし」

 ロニーは即答せず、ノーマンを見て思案を巡らせた。彼は、自警団の他の連中と違いここまで怯えた様な様子がなかった。それに、ここに来る道中、落ちている枝を踏んだりして余計な物音を立てていなかった気がする。

 洞穴の案内としては、猪人オークが中を改造したかも知れないのでアテにしすぎるのは危険だが、捕虜がいれば彼がいた方が話は早いし、戦闘は自分がやれば良い。

「……分かりました。命の保証は出来ないけど、それでも良ければお願いします。でも、相手は動物じゃなく悪知恵の働く怪物だから、指示には必ず従ってくれるかい?」

「分かりました! 有難うございます!」

「じゃあ、他の自警団の皆さんは、僕達の準備が整うまで周辺の警戒をお願いします」

 ロニーの言葉にアイクが深く頷き、後ろの自警団員達に小声で指示を出していく。

 その様子を見ながらロニーは背負っていた背嚢を降ろし、中からナイフほどの大きさの、皮紙で出来た札を二枚と、ペン、インク壷を取り出して、ノーマンに渡した。

「じゃあ、早速準備だ。ノーマンさん、まず、この札の裏面に自分の名前を書いて欲しい」

 ノーマンが、受け取った札を興味深げに裏返した。札の端にロニーの名前が書いてある。

「これは……何です?」

 ノーマンが興味深げに問いながら、札に名前を書いていく。

警備局ネストが使う特別な道具でね。それを服や鎧に貼って身につけると、一時間ほど姿が消えて他人から見えなくなる。猪人オーク程度の怪物にも効くんだ」

「ほぉ……でも前に来た連中は、そんなの使わなかったぞ?」

 準備の様子を、興味深げに見ていたアイクが尋ねた。

「これは昇進して、警備局ネストから認められるまで支給されない道具ですから。使用期限があるとは言え、こんなのが横流しされて悪用されたら困るでしょう?」

「なるほどな……確かに、前に来た連中は下っ端だった。確か九等級とか言ってたな」

 アイクが感心した様に頷く。

「その階級じゃ、警備局ネストが使う特殊な道具や仕組みは、ほぼ使えないですね。局員の階級は十段階ありますけど、僕も、まだ六等級ですから全てを使える訳じゃないです」

「……ロニーさん、これでいいですか?」

 話を聞きながら名前を書いていたノーマンが、名前を書き終えた札をロニーに渡した。ロニーは受け取った札を手早く確認してノーマンに一枚渡し、背嚢から糊を取り出した。

「ああ。これで良い。これで名前を書いた者同士は姿が見える。次に、札の角に黒い部分が一つあるだろう? ここを折ってから札を貼るんだ。札に傷が入ったら効果がなくなるから、鎧の内側に貼って欲しい」

「はい」

「うおっ! 姿が消えた……」

 糊を受け取ったノーマンが、札を貼った皮鎧を身に纏うと、アイクが小さく声を上げた。

 後ろからも小さく驚きや感心する様な声が上がったが、ロニーは気にせず言葉を続けた。

「ノーマンさん、姿が消えたのは分かったと思うけど、この札も万能じゃない。姿が見えなくても音でバレる事はあるし、状況によっては足跡も残る。今回は猪人オークだから大丈夫だけど、姿消しが効かない怪物も多いんだ。絶対に油断しないで欲しい」

「分かりました」

 ノーマンの、堅苦しい返事を聞いたロニーは鎖帷子を脱いで背嚢にしまい、代わりに厚手の皮鎧を取り出した。鎖帷子は動く度に金属同士が当たる小さな音がするため、潜入には不向きなのだ。

 アイクが、再び驚きの声を上げる。

「ロニーさん、珍しい物を持ってるな。鎧なんて背嚢に入らないだろうに、簡単に入っちまった。それにその腕は、どうしたんです?」

「ああ、これは魔法の袋ですから、口にさえ入れば背嚢の大きさの何倍かまで入るんです」

 ロニーは、そう言いながら皮鎧に札を貼っていく。

「それと、色々あって右肩から先は義手で……魔法の品ですから自在に動かせますけど、これの支払いが苦しくて」

「なるほど……髪も銀色で腕も銀色。それで警備局で銀狼ぎんろうのロニーって紹介されたのか……」

「まぁ、そういう事です」

 小さく愛想笑いを浮かべたロニーは、金属製の義手の反射する光が、洞穴前の猪人オークに気付かれない様に注意しながら皮鎧を身につけていった。銀色の金属で出来た義手が、人間の手の様になめらかに動くのをアイク達が驚いた様に見ている。

 肘から先には、魔法陣の紋様や、まじないが刻まれているが、アイクがそれを気にする様子は無い。只の模様と思っているのだろう。

「うぉっ!」

 アイクが再び驚きの声を上げたが、姿が消えたのだろうと思ってロニーは気にもとめず、背嚢から、剣の握り程の太さの金属棒を取り出して立ち上がった。

「それは……何です?」

 ノーマンも立ち上がりながら、興味深げに金属棒を見ている。

「これも警備局ネストから支給される道具で、スタンロッドって言うんだ。これで触ると猪人オーク位ならすぐ気絶させるから、道中の猪人オークはこれで気絶させてから倒す。悲鳴や物音はなるべく出したくないからね。これは、使い方を間違えると危ないから僕が使うよ……じゃ、行こうか」

 ロニーは、スタンロッドの鞘を腰に下げた。

「じゃあアイクさん、行ってきます。二時間経っても戻らなかったら、多分、失敗ですから警備局ネストにそれを伝えて下さい。代わりの者が来ますから」

「あ、ああ」

 狼狽えた様に声の方を見たアイクと自警団を残し、ロニーはノーマンを連れて足音に注意しながら洞穴へ慎重に近づく。洞穴まで約五十パスル(約十五メートル)まで近づいたが、洞穴の前の猪人オークがロニー達に気付いた様子は無い。単独での歩哨に慣れていないのか、不安げにキョロキョロと周囲や洞穴の中を見回している。

 ロニーは、さらに慎重に距離を詰め、約二十パスル(約六メートル)まで近寄った所で駆け出した。猪人オークが足音に気付いた様だが、彼に出来たのは其処までだった。

 ロニーが猪人オークの肌に素早くスタンロッドを叩き付けると、怪物は悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちた。スタンロッドを鞘に仕舞い、剣を抜いて気絶した猪人オークに叩き込み、一分も経たずに決着が着いた。

 ロニーは後ろを振り返り、手招きでノーマンを呼んだ。

「ここからは敵地。声や音は出しちゃダメだから、用がある時は僕の腕を叩いて合図して」

 ロニーの鋭い囁きに、ノーマンは黙って頷く。

 ロニーは、剣の血糊を振り飛ばしてからスタンロッドに持ち替え、背嚢の横に下げていた小さいランタンを手に取り、ノーマンを伴って洞穴へ入っていく。

 後ろでは、アイク達が、洞穴に入っていくロニー達を見守りながら無事を祈っていた。

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