銀狼は月夜に駆ける

松木 一

序章 オーク討伐騒動記

第1話

 山の麓の村を出て、一時間は過ぎただろうか? 鬱蒼と茂る森の中、剣と鎖帷子で武装したロニーは、山を登る細い獣道を注意深く歩いていた。

 前には、粗末な斧と皮鎧に身を固めた痩せた中年男。後ろには、同じ様に粗末な武具をまとう十人程の男達が、先程から一言も喋らず、顔を緊張で強張らせながらついてくる。

 季節は間もなく夏。上を見上げると、森の枝葉の間から低く垂れ込めた空が見える。

 あいにくの空模様だが、昼前という時間のせいもあり酷く蒸し暑い。暑さで滲んだ顔の汗を拭ったロニーの前で、急に中年男が歩みを止めた。

 彼は、腰に下げた遠眼鏡を目に当てて、一.五パスレル(約四百五十メートル)程先の、山肌にぽっかりと空いた洞穴を注視している様だ。

 しばらく遠眼鏡を覗き込んでいた彼だが、突然、慌てたように遠眼鏡から目を離して道の下草に隠れた。

 それを見た周囲の男達も、怯えた様に慌てて草陰に身を隠していく。

「ロニーさん、アレだ」

 遠眼鏡を持つ中年男が、周囲に倣って、背の高い草の陰に隠れたロニーを手招きした。


 ロニーは今年で十九歳になる。中肉中背で淡い褐色の肌と、少し長めの銀色の髪を持つ温和そうな顔の男性だが、耳は狼のそれと同じ。

 ロニーは、血筋のどこかで狼男の血が入った、俗にリカントロプと呼ばれる種族だった。

 剣と盾を持ち、たすき掛けにしたナイフホルスターに投げナイフを差して武装しているが、鎖帷子の右袖から先だけ、精巧な銀色の籠手を身につけている様に見える。

 中年男達は、洞穴の何かを恐れてもロニーを恐れる様子は無い。昔はともかく、今は人里で暮らすリカントロプは、それほど珍しくないからだ。


 ロニーは、緊張で顔を強張らせる中年男の手招きに応じて、屈んだまま素早く近寄り、彼が差し出した遠眼鏡で洞穴を覗き込んだ。

 洞穴の前に一人の小太りの男の姿が見える。まだ、こちらには気付いていない様だ。

 随分くたびれたな簡素な皮鎧を纏い、棍棒を手にした男に見えたが、頭は人の頭では無く猪の頭が乗っている。

 奴は、俗に猪人オークと呼ばれる怪物。収穫の時期になると、農村に襲来して作物や家畜を掠って食う。奪える物が少なければ人まで掠って食う。

 今年も、秋蒔きの麦が実りの時期を迎えたので、それの強奪に来たのだろう。

 猪人オークの後ろにある洞穴が、奴の巣窟らしい。

「確かに猪人オークですね。アイクさん、奴らは、いつ頃からここに?」

 ロニーが遠眼鏡から目を離し、先導してきた男に小声で尋ねた。手入れの行き届いた武具を纏い、油断なく周囲に気を配るロニーに、周囲の男達のような怯えは無い。

 こんな状況も、猪人オークを見るのも殺すのも慣れている。

「気付いたのは先週の末だ。その半月前にはいなかった。あの洞穴は、今までも時折怪物が居着いて、あんたらヴァルチャー……あ、すまん。警備局けいびきょくを呼んだだろう? だから、また怪物とかが居着かないか時々様子を見に来てたんだ」

 アイクが口にしたヴァルチャーとは、ロニーの所属する組織、国立警備局こくりつけいびきょくを指す蔑称だった。


 国立警備局とは、このアガレア国が二十年程前に設立した、民間人の警備を担う国立組織で、正式にはアガレア国立警備局こくりつけいびきょくという。

 創立の切っ掛けは、国防や治安維持を担う騎士団が多忙な為、民間からの護衛の要望に応えるべく、腕に覚えのある者を集めたのが始まりで、今では騎士団の下部組織として怪物の討伐等も行っている。

 だが、護衛や討伐等のキツく危険な仕事に志願する者は、成り上がりの夢を追う者か武者修行の騎士等を除くと、仕事が無くて食えない者や、借金取りから逃げている様な訳ありの者が目立つ。悪い事に、警備局に寄せられる依頼は、怪物に狙われた村の警備や行商人の護衛等の、庶民の目に触れやすい仕事が多い。

 訳ありの人間が、困り事を抱えた人の出す依頼に群がり、人々の前で倒した敵から金目の物を漁る様が繰り広げられ、いつしか警備局員は禿鷹ヴァルチャーと呼ばれ、警備局は禿鷹共の巣ヴァルチャーズネストと蔑まれるようになった。

 今では、組織に属する者までヴァルチャーだのネストだのと呼ぶ始末だ。


 警備局を蔑称で呼んだアイクは慌てて言い直したが、ロニーは気にする様子も無い。

「別に、ヴァルチャーで良いですよ。もう慣れてますから……それより、怪物が来て一月未満なら、洞穴を大きく拡げてはいないでしょうね。多分、中は前の討伐の時に作られた地図と、それほど変わらないかな……?」

「ワシも、そう思います」蔑称で呼んだ事を気にしなかった事に安堵したのだろう。表情を改めてアイクが続けた。「前に中をいじられたのは、気付くのが遅かった時ですからね。中にいる猪人オークの数も、前の時と同じく二十匹って所かと思うんですよ」

「じゃあ、早速、討伐に向かいます」ロニーは少し困惑したように尋ねた。「……あの、確認ですけど本当に皆さんも来られるんですか?」

「ええ……ワシら、去年今年と不作で余裕が無くて……だから、今回はロニーさんしか雇えなかったでしょう?」アイクが、すまなさそうに言う。「いくら何でも一人に奴らの討伐を頼むのは心苦しい。連れてきた連中は村の自警団です。少しは戦えますから手伝います」

 ロニーは、後ろで隠れている男達を見た。年季の入った粗末な皮鎧や、木や薪を切っていると思しき斧や鉈等を身に纏っているが、怪物を前に戦う前から怯えている者が目立つ。

 彼らの実力は不明だが、一緒に出向いても犠牲が増えるだけの様な気がする。

「……いや、一人で行きますよ。猪人オーク討伐なら慣れてますから。お気持ちだけで十分です」

 アイクが一瞬安堵したように見えたが、すぐに申し訳なさそうに口を開いた。

「そうか! だったら……だったら、すまないが一つ頼みがある」

「……何でしょう?」

 ロニーは、心苦しそうに言う彼を少し訝しく感じた。契約は、怪物を全て倒す事だけの筈だが何を頼む気だろう?

「実は……奴らを見張ってた仲間が帰ってこなくなったんだ。道に迷ったり獣に殺られる様な連中じゃない。多分、怪物共に捕まったと思う。頼む! 生きてたら助けてくれないか?」

「え?」

 ロニーは、唖然として思わず言葉に詰まった。

「ロニーさん、頼みます!」

「すみません。お願いします! もし、生きてたら助けてやって下さい!」

 後ろからも小さな声が聞こえた。振り向くと、自警団の皆が縋るようにロニーを見ている。

(……そんな大事な事は、もっと早く言ってよ……それなら対策も考えられたのに……)

 ロニーは心の中で頭を抱えた。依頼を出した時より状況が悪くなった心苦しさで、ここまで言い出せなかったのだろう。

 極力、敵に見つからない様に密かに討伐を進めるつもりだが、捕虜がいるなら、敵が侵入に気付けば捕虜を人質にする可能性がある。猪人オークは、その程度の知恵はある。

 警備局ネストから依頼を提示された時は、掠われた村人はいないと言う話だった。報酬は安いが行くのが自分だけなら、そう悪くない。楽で割の良い仕事だと思って依頼に飛びついたのだが、少々雲行きが怪しくなってきた。

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