第3話 赤い竜の熾烈な口内

「それでは早速、訊こうか。おぬしはどの様に歯の手入れをしておるのじゃ?」

「俺?」

 クリプスは訊かれたが、特に気を付けてやっていることはない。

「布で歯を拭くぐらい?」

「そうなのか。それでよいのか?」

「うーん……」

 ファイアレッドドラゴンの口は、それでは手遅れっぽいが。


「さっきから喋る時に気になってたのじゃが、おぬしは歯が綺麗じゃのう」

「そう?」

 さっきからファイアレッドドラゴンの目線がちょいちょい移動していると思ったが、歯を見ていたとは。すごく口が気になっているのだろう。


「わっしはどうじゃ? 見てくれぬか?」

 そういうと、ファイアレッドドラゴンは見やすいようにするためか、少し腰を落として顔をやや上に向け、目を閉じて口を大きく開けた。

 なんて無防備な姿だ。


 そのままの体勢だと、ファイアレッドラゴンが辛いかもしれない。

 とりあえずファイアレッドドラゴンの口を見てみる。


(――唇はぷるっとしてて、かわいらしい……)


 違う! そうじゃない。

 見るのは口の外じゃなくて中だ。


 まず目に入ったのが、鋭い歯だった。これは臭いブレスを吐く前に見えた。人間体の今は、それが小さくなったような形をしている。

 それにしても、改めて見ると色が汚い。歯はくすんだ色をしている。あの時は、そんなこと気にならなかった。

 食べられてもいいと思ったが、この口に食べられていたら、臭いまま死んだのだろうか。それはヤだな。


「……」

 無防備に開く女の子の口を見ていると、クリプスは段々と我慢が出来なくない気持ちが湧いてきた。

 この気持ちを、ファイアレッドドラゴンにぶちまけたい。


「――なあ、口に突っ込んでいい?」

なにをはにをじゃ

「指」

いいぞいいほ


 許可が出た。

 奥まで見たいという、この欲求は止められそうもない。


 クリプスはファイアレッドドラゴンの口に指を突っ込んだ。唾液でぬらぬらと濡れる指先で奥が見えるように口を広げ、息を止めて顔を近付ける。

 色は汚いが、歯が抜けている様子はない。歯並びも歯の形も綺麗だ。色と臭い以外は、問題がなさそうだ。

 美人さんの歯の色と臭いが問題って、それはどうなんだろう。


「んー……」


 よく考えたら、他人の歯をじっくり眺めるなんて、初めてかもしれない。いや、人生で初めてだ。その初めてが、女の子の歯とは。

 女の子の歯って、みんなこんな感じなのだろうか。いや、普通の人間の歯とは、ちょっと違うだろう。こんなに鋭くない……多分。

 他の女の子の歯も気になる。ちょっと新しい世界に目覚めたかもしれない。


 それにしても、このファイアレッドドラゴン。黙って口を開けて、おとなしい。ドラゴンって、意外と怖くないのではないだろうか。いや、今は女の子姿だから怖くないだけかもしれない。もし最初のドラゴン体だったら……まず今の体勢が無理じゃね?


 とはいえ、好き勝手にやってたら、どうなるか分からない。それにクリプスは息を止めているので、少しずつ苦しくなってきている。

 口の中の状態が分かったので覗くのをやめようとした時、正面の歯の根元の方に何かが付いているのが見えた。


(なんだろう……)


 親指の爪でこそぎ取ってみる。少し茶色く柔らかい物が爪に付着した。指で触ってみると、ねばねばした感じだ。


 ちょっと気になって嗅いでみると、

「ぅうぉえっっ!!」

 その強烈な臭さに酷い吐き気がした。急いで水浴び場に行って指を洗う。


どうしたほうひは? なにがあったかはひはあっはは?」

 目を閉じていたファイアレッドドラゴンは、何があったのか分からないのだろう。気になって訊いてくる。

「目ぇ、開けていいよ」

 ちょっと涙を浮かべていたクリプスが言うと、

「何があったんじゃ? わっしの歯に触ったようじゃが」

 心配そうにファイアレッドドラゴンが訊いてきた。


「いや、歯に付いていた謎の物体を取ったら、臭かった」

「それが臭いの原因か?」

「分からない。それに、歯も茶色いし」

「なんと!? わっしの歯は茶色いのか! おぬしの歯は白いのに」

 ファイアレッドドラゴンは驚いている。自分の歯を見たことがないのだろう。


「よし、わっしの歯をどうにかする旅に出よう。おぬしもついてくるがよい」

「俺も!?」

 今度はこっちが驚く番。水場で手を洗っていたクリプスは、思わず振り向いた。


「当たり前じゃろう。おぬしがわっしの歯の手入れをするんじゃからのう。それとも、さっき『分かった』と言ったのは嘘じゃったのか?」

 また睨まれる。この圧に耐えられるはずがない。


「……分かりました」

 クリプスは圧に負けて、ファイアレッドドラゴンに従う事にした。

 さっき水浴びの時にファイアレッドドラゴンを守っていたが、悪い気分では無かった。それに、レッドドラゴンと対峙して生き残ったことで、何か人生の流れが変わったかもしれない。

 ここで断ってソロ生活に戻るよりは、このファイアレッドドラゴンと旅をした方が面白いかもしれない。

 それに、断る勇気も無いし。


「その前に……ちょっと立て」

「え?」

 クリプスが立ってファイアレッドドラゴンの方を向くと、上から下まで隅々じっくり眺められた。


「わっしのお供にしては、装備が貧弱じゃのう。特にそのアーマー」

 クリプスが装備しているのは、ボロボロになったレザーアーマー。ずっと旅を共にしてきた、友と言える装備品だ。


「これでよくわっしと戦おうと思ったな」

「これは俺が旅人になった時から着ているからなぁ。ボロボロなのは仕方ない」

「愛着があるのか?」

「いや、装備を買い換えるお金がないだけさ」

 手っ取り早く稼げると旅人にはなったが、生活はカツカツだ。武器も防具もボロボロ。だからこそ、一発逆転を狙ってファイアレッドドラゴンに挑もうとした訳だが、その巨大な姿を見た瞬間、死ぬ覚悟が出来ていた。


 結果、死なずにこうやって生きていて、なぜかファイアレッドドラゴンの歯の手入れをする旅へ出ることになってしまったのだが。


「んー……」

 再びクリプスをジッと眺めるファイアレッドドラゴン。

「ふむ。それじゃ困るじゃろう。わっしについてこい」

「あ、ああ……」

 クリプスは仕方無くファイアレッドドラゴンに言われるまま、ついていくことにした。


    ★


 やってきたのは、さっきの大広間だった。

「そこで待っておれ」

 大広間の真ん中で待たされた。最初にファイアレッドドラゴンの声を聞いた場所である。

 そしてファイアレッドドラゴンは足を止めず、奥まで行く。最初にファイアレッドドラゴンが現れた方向だ。


 しばらくすると、奥からファイアレッドドラゴンが戻ってきた。手には鎧がある。

 落ち着いた赤である紅蓮色をしていて、表面は鱗のような物で覆われていた。


「これってまさか……」

「わっしの剥がれた鱗で作ったドラゴンアーマーじゃ。そのレザーアーマーより軽いと思うし、丈夫じゃぞ」

 ドラゴンアーマーと言えば、ドラゴンの鱗から作る伝説の防具。まずその素材を手に入れるのが大変で、恐ろしくレアで恐ろしく高値の防具だ。当然だが、現物を見たことなんてない。


「元々はわっしが人間体の時に装備しようと作ったんじゃがなぁ……」

「何がいけなかったの?」

「胸回りが窮屈すぎた。潰してもな」

「……」

 つい見ちゃったけど、確かに大きい。元が巨体だから、人間体でも巨体ってことなんだろう。いや、巨体と言うよりは、全体的にむちむちしている。嫌いではない。


 待て。と言うことは、これはファイアレッドドラゴン(女性体)使用済みのドラゴンアーマー……。

 クリプスはちょっとテンション上がる。


「ま、おぬしなら入るんじゃあないか? 着てみるがよい」

「あの……お代は……」

「いらんいらん。おぬしと旅に出たら、ここがしばらく留守になるからな。また人間共に荒らされるぐらいなら、おぬしが使った方がよい」

「ファイアレッドドラゴンは……そんなに外に出ないの?」

「大変じゃからのう。迷宮が狭いから人間体にならないと外に出られないし、変身魔法は魔力を大量消費するから、しばらくはドラゴン体にも戻れんしのう。人間体だと、ドラゴン体の時ほど強くはないからな。わっしの得意なブレスも使えんし」

「そうなんだ」

 ファイアレッドドラゴンは外に出る気満々で人間体に変わったということだ。もう歯の手入れをしないと、戻るとは言わないだろう。


「わっしのブレスを浴びて平気じゃったのは、おぬしが初めてじゃからな」

 実際は他にもいたのだが、その人は臭すぎる息で気絶して外に放り出されてから復活したのだろう。だから、ファイアレッドドラゴン自身はブレスを浴びて生きていた人がいることを知らない。


「おぬしとの出逢いは、運命的なものかもしれんの」

 そう言って笑顔を見せるファイアレッドドラゴン。

(かわいいな……)

 とクリプスは思ってしまう。


 だが、笑顔の時に見える歯は汚くて、現実に戻された。

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