始めてみようよ生徒会
信頼されてうれしいのは
—— 九月五日 十五時五十分 橘 柊和 ——
今日も一日はつつがなく過ぎていく。
午前の授業を受け、昼になったら護お手製の弁当を今日は珍しく一人な美咲といつもの場所で食べて、午後の授業は眠気が表に出ないよう気合で耐え続け、とうとう目をそらし続けていた放課後を迎える。
いやね、どうしたもんかなぁ。
約束すっぽかすわけにもいかないし、仕方ないから呼び出された生徒会室に向かって足は動いてるんだけど、頭はどうしようもない問題に対して苦しみ悶えている。……いや、まあ大げさに言ったけど。
「うぁ~。着ぅいちゃったよ~」
とうとう生徒会室にたどり着き、そこで懊悩してしまう。
こんな態度をとっておいてなんだけど正直に言えば、頼みを聞くこと自体はそこまで嫌なわけじゃない。
詩葉先輩は好感を持てる人だし、率直に言って友人といえる程度には深い関係だと私は思ってる。
おそらく彼女なら、たとえお断りしたとして、不機嫌になったり根に持ったりすることはない。
それでも私はできるだけ詩葉先輩の頼みを断りたくない。
ならなにが問題なのかといわれると、これから先、予想が当たっていればだけど、頼みを聞いて忙しくなりそうで、本当にそうなったら色々な都合に折り合いを丁度良くつけないといけない。それが面倒。
だからあんなにも生徒会室へ向かう足がだらついてたわけで。
なんて言っても、まあいい加減腹も据わってきたことだし、色々と割り切れても来たので生徒会室のドアに裏拳を軽く三回叩き込む。
はい! 切り替えて。
——コン、コン、コン。
「橘です。八重樫会長はいらっしゃいますか?」
中から誰かの動く音、そのまま音は近づいてきてドアが横にスライドし、きれいな顔立ちをした女子が顔をのぞかせる。
一部も隙を感じない立ち姿やこちらを覗く鋭い瞳、余裕ある泰然とした態度とそれが滲む表情、極めつけに一部生徒の間でファンまで存在するという優れた容姿まで、彼女を構成する悉くにに『凛とした』という表現が当てはまる女生徒。
つまり、生徒会長「八重樫詩葉」先輩だ。
「こんにちは、柊和ちゃん。わざわざ時間をとってもらって申し訳ない、さあ入って入って」
私の髪は長めのストレートにしている。目の前にいる詩葉先輩も髪を伸ばしているけど私よりサラサラでまっすぐで癖がない。……うらやましい。
「はい、失礼します」
そんな感情は顔に出さないようにして、招かれるまま生徒会室へ。
……中には詩葉先輩の姿しか見えない、確か役員はまだ一人いるはずだけど。
「お一人なんですか? 例の役員の子は?」
「この時間は柊和ちゃんと二人で話したいからいつもより遅れてくるように伝えてあるんだ、気にしなくて大丈夫。ああ、適当に座ってね」
まあ、私の予想通りの話なら確かに一対一の方が安心して話せる。
生徒会室には机が二つあった。
部屋の奥の方に、アンティークというべきかヴィンテージというべきか、かみ砕いて言えばちょっと趣を感じる一人用の机があり、その手前にアルファベットのUを横に広げたような形をした机が置かれている。
おそらく奥の机は生徒会長の席、手前は役員と来客用なんだろう。
私は手前にあった机の右側奥、詩葉先輩の側の席に向かう。
「それよりこっちから呼び出したくせに時間の都合を合わせてもらって悪かったね」
「いえ、全然。相変わらず忙しそうですね」
「まあ、私のせいで役員減らしちゃったし、その分増えた仕事をあの子に擦り付けるわけにもいかないし……。あ、全然座っていいからね」
詩葉先輩は追放した役員たちの分の仕事をすべて自分に回して、残った一年生の役員には書記の仕事以外、基本任せていないそうで。
ただその役員は、進んで自ら手伝いを志願してくれるそうだ。
…………いつもの私ならそろそろ、『そんな忙しい仕事、私は絶対遠慮したいですよ(笑)』なんて冗談めかして牽制してみるんだけど詩葉先輩からの頼みならそんなことはしない。
そもそもしてみたとこで詩葉先輩には軽くいなされそうだし。
「だからって普通五人分の仕事を引き受けられませんよ……」
「ん~、まあ、普通はそうかもね」
言ってしかし、詩葉先輩は計るような視線を私に向ける。
「でも、柊和ちゃんなら私と同じようにできるよね?」
詩葉先輩は随分と私を高く買ってくれるなあ。
皆の絶対的生徒会長である八重樫詩葉様の真似なんて私なんぞ……。
「私、ずいぶんとも買い被られてます?」
「とんでもない、私はいたずらにお世辞を言ったりしないよ」
詩葉先輩は心外だとでも言わんばかりに肩をすくめている。
「というか、私が見込んだ柊和ちゃんなら今日の呼び出しの内容も察しがついてるんじゃないかな?」
「……まあ、もしかして、程度には」
「十分だよ。よかったら、柊和ちゃんの予想を聞かせてくれる?」
ああ、恥をかいてもいいから、今から話すこの予想は全くの見当違いであってほしい。なんか『引退してようやく暇になるし、どこか遊びに行きたいんだけど、よかったら一緒にどうかな?』みたいなお誘いなら全然喜んでお受けするんだけどなぁ。
……違っても、今度私から誘ってみるか。
うだうだと悩みはしたものの、結局私は観念して、おそらく当たっているだろうその予想を口にすることにした。
「わかりました。……そうですね、そろそろ生徒会選挙がありますね」
「そうだね」
詩葉先輩の表情を見る限り、ひとまずスタートにはご満足いただけているようだ。
「後期の生徒会長を決める必要があります。が、如何せん現在の生徒会は活躍しすぎました。これまでは生徒からさほど関心を持たれなかった生徒会が、今ではみんなの期待の星です。さぞハードルも高くなったことでしょう」
「そうみたいだね。例年と違って募集期限間近になっても立候補者が現れなくなっちゃって、先生側も心当たりの生徒にあたってみたけど皆に断られたらしくて」
そう言って詩葉先輩は私の目をじっと見つめる。
「それで私のほうに誰か心当たりはいないかって言われちゃってね?」
詩葉先輩は私にキーとなる情報を与えてくれている。
ここまで来たら遊びのお誘い説に期待できる確率は限りなく低い。
私の方からどこに遊びに誘うかは、今度考えておくことにしよう。
……とにかくもう腹は括ってある、決定的なそれを口にすることにさほどためらいはなかった。
「次期生徒会長の推薦……いえ、依頼でしょうか。詩葉先輩の後をついで、生徒会長になるよう頼まれたりするのかな、とは考えてました」
「うん! 大正解! やっぱり柊和ちゃんには簡単すぎたよね」
詩葉先輩は私に、花丸をくれそうな笑みをむけていた。
……簡単な推理ごっこが終わったら、詩葉先輩は「少し待ってね」と言ってお茶とカステラを用意してくれた。
「うちの生徒会は経費以外にも多少の予算が出されるんだよね。だから粗茶と茶菓子くらいは適当な理由をでっち上げれば経費で落ちるってやつだよ」
さりげなくメリットを教えてくれる。
……例えば、ようかんとかきんつばも食べれちゃうのかな。
へぇ? 悪くないじゃん……。
「う~ん! やっぱりこのカステラは絶品だね!」
「んっ……! 本当に美味しい……!」
詩葉先輩は孤高のイメージを周りに持たれているとは言ったけど、打ち解けてみれば周知されたイメージとかなりギャップのある人だ。
そういう点で言えば私も似たようなものだけど、私の場合人との間に壁を作る感じで、この人はどっちかっていうと基本他人に興味がないから周りが先輩を知る機会がないだけで、意図してギャップが生じているわけじゃない。
あれ? あの和菓子屋の紙袋、つい最近見たような……。
「これ、駅前の右田屋の和菓子ですか?」
「へえ、お目が高いね。そうだよ、あそこの和菓子は格別だからね」
護が今朝用意してくれていた栗ようかんと同じ店だ。
でも、このカステラとか和菓子のわりに結構いいお値段するのに、予算ってそんなにもらえるんだ……。これは……。
「ああ、今回は相手が柊和ちゃんで大事なお話だったから特別。個人的なお小遣いで今朝の登校の時に用意したの」
……本当に察しが良い人だ。そんなに顔に出てたかな?
というか、私費でご用意してもらったとは、申し訳ない気もする。とはいってもここで財布を出すのも却って失礼だろう、素直に厚意に甘えよう。
「わざわざありがとうございます。私も好きなんですよ、右田屋の和菓子。今朝もここの栗ようかん食べましたよ」
「すごい偶然だね! 私の気分がカステラでよかったよ。危うくかぶるところだった」
詩葉先輩はそう言ってカステラを一口大に切ってから口に運んで、自分用の湯飲みに入ったほうじ茶を啜る。
「それにしても、私は電車通学だから楽だけど、柊和ちゃんの家は駅前とは逆の方向だったろう。わざわざ駅前に足を運ぶほど好きとは、やっぱりなかなか話せるようだね」
少し表情が明るくなっている。そんなに和菓子好きだったんだ。
「いえ。あ、いや、和菓子は確かにすごく好きなんですけど、ようかんを用意してくれたのは護なんです。スーパーで買い物のついでに、と」
「護君、例の弟さんだね? 姉の好物をわざわざ用意しておくなんて、本当に仲がいいね君たちは」
美咲ほどじゃないにせよ、詩葉先輩にも私の家の事情はある程度話している。
誰にでもペラペラ話すことではないので、それを話せるこの人は私にとって信頼できて好感の持てる人物、ということだ。それにこの人の場合、知り合うきっかけが護に関係することだったのも大きい。
「まあ、ほかの家庭と比べると確かに多少仲の良いほうであるといえばあるのかもしれません」
「いや、随分と良いほうじゃないかな、私は一人っ子だから世間の姉弟の距離感をあまり知らないけど、私のイメージにある君たちは一般のうちにまず入らないと思うよ」
「んー、環境がそうさせてるのかもしれませんね」
「いや、どうかなぁ……。私のイメージでは環境だけじゃなく柊和ちゃん自身と、話に聞く護君も結構おかしい気がするけど」
詩葉先輩がこそっとつぶやく。
「え?」
「おっと、橘家の姉弟のお話は楽しすぎていけないね、この調子じゃあの子が来る時間になっちゃうよ」
あの子、とは役員の一年生のことだろうけど、そんなことより今聞き捨てならない発言が……。
「それでね、随分と遠回りしてしまったけど、生徒会長の件。正直、私は後任に誰が就こうと問題はないんだ、けどさっきも言った通り先生に誰か立候補者を推薦するようにお願いされちゃって」
しまった、もう本題に戻ってしまった。
こうなっては「ちょっと待った」とはいきづらい。しくじった。
詩葉先輩から見た時、私はともかく護までおかしいというのは、少し気になる話だったんだけど。
「とりあえず考えたんだけど、条件に当てはまるのが柊和ちゃんしか思い当たらないんだよね。まあ私、交友関係はすごく少ないんだけど、柊和ちゃんみたいな面白い人が他にいるなら、もっと前から気になってたと思うし、やっぱり探しても見つからなくて」
面と向かってそんな風に評価されるとすごくむず痒い。
「そもそも、教師がだれも柊和ちゃんに声をかけなかったのが不思議なくらいだよ」
首を傾げる詩葉先輩だけど、私には心当たりがあった。
「それは多分、私の家庭環境に理解のある先生がいるからですね」
「ああ、配慮してたんだね」
あの先生にはなんだかんだ世話になっている。
「それにずっと帰宅部で委員会すら参加したことなくて実績も経験もゼロですから。……私じゃ役者不足じゃないですか?」
詩葉先輩は首を振る。
「そんなことないよ、成績優秀で品行方正、運動神経も抜群、周りからの信頼も厚い。隙のない優等生、柊和ちゃんを知る生徒たちのほとんどはそのように君を評価するだろうね。まあ、君とある程度打ち解けた相手なら、また別の感想も期待できるだろうけどね」
私は詩葉先輩と違ってある程度周りに見せる自分を意識している。
できるだけ丁寧で礼儀正しく。とはいっても、別に本来の自分の性格にコンプレックスがあるわけでも、周りによく見られたいという欲求が強いわけでもない。
そういった姿勢は他者を刺激しなくて無難だ。
火傷のことでも、他人の反応を人一倍意識した方がよかった私は自然とそうふるまうようになっただけなんだけど。
「柊和ちゃんは私みたく変な目立ち方をしてないだけでちゃんと広く認められてるんだよ、まあ、言うまでもなく自覚してるだろうけどね」
「詩葉先輩に面と向かってそう評価されるのはなんだかむず痒いんです」
「私は事実を話しているだけだよ、今回の場合、事実じゃなければこの呼び出しもなかったわけだしね」
「それはわかってます。それに詩葉先輩がテキトーに仕事を終わらせるためにお世辞で相手を持ち上げるような人じゃないのも知ってます」
そういうと詩葉先輩は一瞬ぽけっとしてから、その目が珍しく優しそうな形に細められた。
「柊和ちゃんに信頼されるのはすごくうれしいよ。ありがとう」
勿体ないな、と思う。
詩葉先輩は自分が興味を持った人にしか積極的にかかわろうとしないけど、こんな優しそうな顔もする人なんだと皆も知れたなら、孤高だなんて誤解だとすぐにわかるのに。
そんな先輩は優しそうな表情のまま話を続ける。
「もちろん、生徒会長たるものかならずや柊和ちゃんのようにたくさんを備えていなければならないという考えは行き過ぎだけど、備えている人の方が適した役割であることは間違いないんだよ」
照れ隠しに「買い被り」と私は言うけど、詩葉先輩は自身が再三いうように、あまりお世辞を言うタイプじゃなく、その上、人より優れた審美眼を持った人であることもわかっている。
まあ、本当に必要な時は必要に応じて大抵のことは利用できる強かさを持った人ではあるけど、私を高く買ってくれているのは今までの先輩との時間が真実であると教えてくれる。
そう信頼されてうれしいのは先輩だけじゃない。
「柊和ちゃんの環境では色々都合があるだろうから、もちろん無理にとは言わないよ。ただ、私の生徒会がおかしかっただけで、もともとそこまでタイトなスケジュールを要する仕事でもないんだ。柊和ちゃんには家庭環境の面で考慮すべき都合もあるだろうし、もしどうしても首が回らなくなりそうなら私も手を貸すと約束する。卒業するまでの間はだけどね」
「え? でも、詩葉先輩はもう受験で忙しいんじゃ……」
当然の疑問を訪ねれば、先輩は愉快そうに笑う。
「ハハ! 受験勉強なら今のところ苦労も心配もまったくないから気にする必要はないよ! 困ったらいつでも頼ってくれて大丈夫!」
その顔はいっそ、定期テストが終わった直後に『赤点取ったわぁ!』とにこにこ笑っていたA君に負けないくらい、底抜けに明るい表情だった。でも詩葉先輩のことだから、本当に余裕ありまくりなんだろうなぁと確信できる。
「まあ、私の経験から考えると、ところどころ忙しそうな時期はあっても、柊和ちゃんをして対処できなそうなケースは考えづらいかな」
それに、と詩葉先輩は付け加える。
「柊和ちゃんはいい役員を集められると思うから大丈夫だよ」
自分は失敗してしまったけど。
——と、言外に言っているようだ。
「詩葉先輩」と「失敗」ほど結びつかない言葉もない、私は先輩にそんなイメージを持っている。けど、それでもほとんどの役員をクビにしたあの件は、結果問題なく収まっていても、先輩にとっては失敗なんだろう。
「それで。どうかな、生徒会長。頼めそうかな」
「そうですね……」
答えを求められる。
チラと見れば時計の針は四時四十分を指している。
先輩の話ではそろそろもう一人の役員が来る時間らしい。確かにもう確かめたい事は九割九分聞けた、答えもほぼ決まっているけど、返事はまだできないのだ。
あ、しまった。予想できてたんだから先に聞いておけばよかったな。
「ちなみに返事って今すぐしないといけませんでしたか?」
「いや。……ああ」
質問をして、それだけで先輩は私の意図を読んでくれる。
「護君にも確認したいなら大丈夫だよ。これは先に伝えるべきだったけど、一応の締
め切りは明後日までなんだ。これを過ぎると色々調整の必要が出てきてしまうけど、まあ面倒なだけで深刻な問題じゃないから」
「それなら、返事は明日でも大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。……そうだね、明日も同じ時間に来てもらえるかな?」
「はい、わかりました。……忙しいのに何度も時間をとってもらってすみません」
元々忙しい人だ。今なんてなおのこと詩葉先輩の時間は貴重になっているはず。
しかし詩葉先輩の声はずっと優しいものだった。
「気にする必要はないよ、私にとって柊和ちゃんと話すこと自体息抜きみたいなものだから、むしろ楽しいし。それに先生からの頼みと言ってもできればの話で、義理はあっても責任があるわけじゃなし、そこまで悩む必要のない問題さ」
そういって詩葉先輩はそのきれいな顔に笑みを湛えてから。
「私はただ、私の後なら柊和ちゃんがいいなって、そんな風に思っただけだからね」
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