エピソード12 後悔とオーディション(3)

 鈍い俺にだって、南井の気持ちがなんとなく分かる。

 どこからどう見ても、気丈に振る舞っているだけだと。


「だから。真城に渡したそれは………………臆病だった高校時代の私の、何もしなかった後悔を取り戻すため。そのための、応募用紙……いまさらっていうのは、もう遅いっていうのは、私もちゃんとわかってるよ」

「……そうか」


 ふと、南井のプロフィールに目を落とす。

 こんなにも軽い封筒と、一見華やかな全体写真。

 確かに素材は軽いけれど、しばらく見ているうちに、込められた南井の気持ちが、ズシンと重くのしかかって来たような感じがした。


「……一応ね、大学生のときにもう一回チャンスはあったんだ。年齢的にも【MOG】に入るラストチャンスだった。だったんだけど……その期間中、私は病院のベッドの上に居て、また見送るしかなかった」

「……はあ? え、病院って、南井入院したのか!?」

「……うん」


 嘘だろ……入院。

 大学生ってことは20……いやまだ10代か?

 なんで、どうして。何があったんだよ南井。

 まさか後悔を取り戻すってのも……いや。


 体調が悪そうだって言っても、あくまで昔より陰を潜めていたみたいな意味合いであって、今の南井に重篤な感じはまるでない。でも……南井の身にもしものことがあったらって考えたら……俺が俺で居られそうにない。


「それはなにか? その……訊いていいのかアレだけど、入院したのって……だから後悔……ああいや、今のは——」

「——手術が必要になるレベルにまでなってて、受けただけ。後悔してるのはそうだけど、病気だから、人生の悔いを無くそうみたいな意味じゃないからね?」

「そ、そうなのか。俺はてっきり……余命宣告とか、されてるのかもって」

「いやいや、そこまでじゃないよ。真城が危惧してるような重たい病気じゃない。安心して」

「ああ。いやでも……手術が必要な時点で、軽くもないわけだろ?」

「まあ……ね。内容はちょっと……他の人に言いたくないんだけど、入院期間はそんなに長くなかったし、今はこうして、元気とだけ」

「そ、そうか。今は元気なら、良かったけど」


 ほんと、そこはマジで良かった。

 南井がこうして生きていてくれるのなら、それだけでいい。


「……そう、今はね」

「……なんか含みがあるけど、ほんとに大丈夫か?」

「ははは……正直なことを言うと、病気の後……術後にしばらく塞ぎ込んでた時期があるんだ。患部がどうのこうのじゃなくて、手術がきっかけで、精神的に参っちゃったって言うべきかな。先生が言うには、侵襲っていうらしい」

「しんしゅう?」


 聞き慣れない言葉だ。

 どう言う意味なんだろうか。

 この感じ、前向きな意味合いでは無さそうだけど。


「簡単に言えば、鬱状態。手術の麻酔のあとだと、ちょっと悲観しやすくなるんだって。そのせいじゃないかって」

「そんな……」


 南井が鬱……あの南井が?

 南井ほどの人でも、そんなふうになってしまうのか。

 見た目はもちろん、運動でも勉強でもなんでも出来て、人徳だってあった。

 もう、成功が約束されたような人だ。

 精神的に病んでしまうのとは、無縁の存在だと思ってた。なのに——


「いやあ、あのときは困ったなー……みたいにはなってるから。真城が心配することは、本当にもうないよ」

「そうはいっても……」

「……というかね。ある程度克服出来たからこそ、そのプロフィールを作れた……高校生のときの後悔を取り戻そうとしたんだよ。今も塞ぎ込んでたらさ……こんな無謀なモノ、作らないって」

「無謀……」


 その言葉に引っ掛かりを覚える。

 だけどなんて返せばいいか浮かばなくて、また口を閉ざしてしまう。


「私……真城もだけど、もう25歳。すぐに26歳にもなるよね?」

「……ああ、そうだな」


 俺も南井も早生まれだ。

 お互いに2月生まれで、誕生日を迎えるのは年を越してからになる。


「アイドルはね……特に女の人の募集って、大抵20歳前後までなんだ。【MOG】も20歳までっていう規定になってた。だから25歳でもOKのところを色々探してみたんだけど……直近だともう、そこしかなかった。他にもあるにはあったけど、他にも条件があったりしてさ。あと、今年度中に26歳になる人も、対象外が多いみたい」

「……大して、変わらないだろ」

「うんん、変わる。一つ違うだけで、焦りが強くなってくる。なんか昔聞いた……女の人は寿命は長いけど、女でいられる寿命は短い、みたいなの……実感させられちゃったかな」

「そういうものか……」

「そういうものなの。とにかく、そこが私の後悔をやり直せるかもしれないチャンス……これがダメなら、流石に年齢的にもラストかも……はは」


 南井は困ったときにも笑う。

 きっと南井自身だけじゃなくて、相手の気持ちを和らげるための笑みだ。

 ほんとズルい……どうしようもなく、こんなときでも、惹きつけられてしまう。


 もう一度。封筒の中の、南井のプロフィールを見る。

 大学を無事に卒業している。

 趣味に料理と書いている。

 自己PRに、『私の憧れを叶えるため』……か。


 これって多分、さっき話してくれた内容的に、夢を叶えるとか……それだけじゃないんだろうな。この憧れは今の南井じゃなくて、高校生の頃の南井による思い。つまりは、過去の自分を忘れ物を取りに帰る……ってところか。


 ついでに写真の方も、また見る。

 季節を先取りした装いの南井の笑顔の写真だ。

 ほんと、なんでこんなに綺麗なんだろうな、南井は。

 もう芸能の世界にも、この美しさに勝るヤツなんて、果たして居るものなのかな。


「経緯はこんな感じかな?」

「ん? ああ……長話ってわりに、意外とコンパクトにまとまってたな」

「要点だけだからね。それでも結構長かったと思うよ……で、聴いてみてどうだった、真城」

「どうって……」

「私のやろうとしてること、笑ってくれるかな?」


 まだ、南井が自虐を繰り返す。

 笑ってくれ? なんでそんなこと言うんだ。

 南井のほんとに欲しいセリフはきっと、ケラケラと笑われることじゃない。そうだろ。


「……笑って欲しいなら、笑う」

「……そう」

「でも……」

「ん?」

「なんか上手く言えないけど……俺が言えることはそうだな——」


 気の利いたことを頭に浮かべようとした。

 否定するんじゃなくて、肯定的に捉えられる、誰もがホッとする魔法の言葉を。

 だが生憎、俺がそんな器用じゃないことを、俺自身が知っている。


 せめて南井の欲しいセリフはなんだろうか? アイドルになるために、どんな言葉が欲しかったのかな。

 そんなことを巡らせたまま……ふと、南井の決心が挫かれたエピソードを思い出す。

 そうだ……あのとき南井は、こんな風に後押しされたかったんじゃないかな。そうだったら、いいな——

 


「——南井、アイドル好きなんだ? オーディションあるんだ? なら受けてみたらいいんじゃないか?」

「……っ!」


 それは俺の言葉でないかもしれない。

 でも南井のためを思うなら、これが最適解なのかもしれない。むしろそうであって欲しい。

 ここにはもう、俺一人しか居ないから。

 無意識に水を刺すつもりはないから。


「南井ほどのルックスがあれば、怖気つくのはもったいない。北見 莉瀬ってヤツも、同い年でやれてんだろ? なら無謀なんかじゃない」

「真城……」

「笑ってくれ? 南井をバカにするような笑いならしないさ。それ、南井の容姿を俺なんかが嘲笑うのと同義だからな? そんなこと出来るかよ。バカを言うな。俺が恥ずかしくて皆々様に笑われるっての……自分の顔、鏡で見返してみろってな」


 昔。南井をアイドルへと導こうとした人の言葉を借りつつ、遠回しに笑えないと、受けるべきだと、そもそも無謀ですらないという意味を込めた。無論肯定的な意見だ。


 あとこれは言わないが……よほどなことがない限り、南井を取らない芸能事務所なんかないだろ。取らなかったら、その事務所は見る目がない。絶対にない。もう俺の贔屓なんかじゃない。

 客観的に見ても、南井の存在感は高校生のときから別格なんだ。特別なんだ。そして今も、当時以上に綺麗な女の人になっているんだから。

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