エピソード11 アイドルになるために(9)
つまり南井は……なんらかの理由で、そのオーディションに応募しなかった。いや出来なかったのかもしれない。
「……だけど、私は結局応募しなかった。やりたいという気持ちがあって、みんなも良いんじゃないかと言ってくれてる。これ以上のお膳立てはなかったと思う」
「……こういうの、お世辞でも、なかなか応援とかされないものだろうしな」
「そう。なのに……私の中にあったのは、やりたいという気持ちよりも、もしダメだったときどうしよう、期待を裏切ったらどうしよう、そもそもどういう審査があるのか分からなくて不安、東京に行くための金銭面、そしてなにより……ここで応募したら親や学校に迷惑を掛けるかもしれない。もう……踏み留まる理由ばかり浮かんでた」
オーディションについて、俺はよく知らない。
どういったことをするのかも、まるで解らない。
でも……怖いんだろうなと、想像することは出来る。
だって、今までの人生がガラッと変わるかもしれないほどの、でっかい挑戦だ。
受験や就職面接……いや、それよりも怖い。
だって。しがない一般人にとって、茨の道かどうかも分からない道を切り開くようなものだ。
そりゃあ、慎重にもなる。
周りの声援が、逆にプレッシャーにもなる。
しかも確実に合格出来る保証だって無い。
頑張って踏み出して……結果何にも得られないときもある。
辛くて辛くて、どうにかなってしまいそうになるだろう。
自分自身が否定された気分は……この世に居ていいのかと疑ってしまうくらい、しんどい。
こんなの……はっきりいって、高校生じゃ酷だと思う。
大人になっても、きっと幾つになっても慣れるもんじゃない……事情は違うけど、今の俺も似たようなものだから。
やりたい気持ちだけじゃ進められないハイリスク。
当時の南井も、そんな葛藤があったんだろうか。
「……それでもね。それでも、私はまだオーディションを受けてみようって気持ちを、なんとか保ってたの。どうしていいのか分からなくて、怖くてしょうがなかったけど、私の憧れに近付けるチャンス……まだなんとか、動き出せるって言い聞かせられてた……」
オーディションなんて未知数だ。
何を審査されるのかも、不明瞭なんだから。
それでもまだ、気持ちを切らさなかったのか。
思い付きなんかじゃない……本気だったんだな、南井。
そこは……うんん、そこだけでもすごいと思う。
俺ならおそらく、速攻で諦めていただろうから。
「だけどあっけなく、その気持ちが切れた」
「……どうして」
「シンプルな一言があったんだ。私にオーディションに出てみたらって、言ってくれた子と一緒に居た子がさ、『あっ、そういえばその日って大事なテストと被るね。無理だねー』……って」
「……っ!」
「その子は多分、何気なく言ったんだと思う。でもその一言が、親とか先生とか、同級生の友達とかへの迷惑を覚悟してたのに……私には無理だって。テストがあるんじゃ仕方ないって……オーディションを見送るための、最後の言い訳になった。だから無理だねっていうダメ押しに、そうだねって取り繕うしかなかったよ……はは……」
眉を顰めたまま、南井が苦笑する。
かつての自身の気持ちに配慮を示すように。
きっと、テストだけが理由じゃないんだろう。
これまでの迷惑とか、お金とか、ダメだったときの喪失感とかが南井の中で積み重なっていて、それでも堪えていた気持ちが、とうとう許容し切れなくなってしまっただけ。
「……そうか」
なんという些細で、残酷な一言だろう。
誰も悪くない。何も悪くない。責められない。
けれど、その無意識の発言が、誰かの決意を、決心を挫くことがある。
「そう返したとき、すごく安堵したんだ。これで誰にも迷惑は掛からない。落ちたときに謝らなくて済むって。ただ……私の本心を隠すだけだって」
「南井……それは……」
「……うん。それからはしばらくなんともなかったんだけどね。でもあの日、ちょうどテスト中だった。時間は刻々と進んで行って、ついにオーディションの開始時刻になったとき………………私、こんなところで何してるんだろうって。もしオーディションに行っていたら……私の大好きな私になれたんじゃないのかって」
「………………うん」
「そう考えてるとだんだん、胸とお腹が痛くなって、頭と目元が重くなった。オーディションに行ってもきっと、似たような感じになってたんだろうなって思う。でも私……何もしてないのに、あんなに苦しくなるとは思ってなかった。でもそのときにはっきりと分かった……私はここまで悔やむくらい、アイドルに憧れていたんだって。なりたかったんだって……だからもう、抑えられなくなった」
不安定な声で、南井が吐露する。
本心ってのは、なんでこうなんだ。
過ぎ去ってしまって、自分の本当にやりたいことに気付く。
振り返ってももう、どうしようもなくなりそうになったあとに。
「真城と目が合ったのは、ちょうどそのときだね。いやあ……私もビックリしたよ。まさか泣くなんて思ってもみなかったし、振り返られるとは思ってなかった………………オーディションよりも優先したテストだって、もう何点取ったかも憶えてない。誰にも迷惑を掛けない選択をしたはずなのにな……何もしなかった後悔って、あるんだね」
南井はまた、にこやかな顔を作りながらそう言う。
だけど身体は変わらず震えてるし、声がちょっとか細いし、拳が強く握られている。それと、今も泣いていることに、きっと気が付いていない。
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