エピソード10 後悔とオーディション(1)

 空に赤みは差し込んでいない。

 ベンチのある場所に、薄い影が落ちただけだ。

 ゆっくりと聴く猶予は幾らでもある。

 だって他でもない、南井のことなんだから。


「どこから話そうか……えっとね。まず私、もともと好きだったんだよね。歌うのも好き、踊るのも好き……それになにより、たくさんの人が目を輝かせてる姿を観るのが好き。あくまで、観る方ね」

「憧れ……みたいな好きか?」

「そうだね。だから私……ここら辺はあまり言ったことないんだけど、小学生の高学年くらいから、地元に来たライブとか、よく観に行ってたんだ」

「意外だな」

「でしょ。その中でも【MOGモグ】っていうアイドルグループに所属してる、北見きたみ 莉瀬りせって子をずっと応援してて、交流会にも参加してた」

「北見……」

「うん。彼女は【MOG】の記念すべき1期生で、当時の最年少メンバーで……私たちと同い年なんだ。だからってわけだけじゃないんだけど、初めて観たときに、ああこの子だって思った。まだ端っ子で目立ってなかった頃だけどさ、他の子とは違う意外性を感じて……しかも可愛くていいなって」

「へー……」


 南井ほどのルックススタイルを誇るヤツに、可愛いと言わしめるのか。【MOGモグ】という女性アイドルグループは、なんとなくテレビを点けて、大型音楽番組を覗けば、大抵歌唱リストに入ってるくらいの人気グループだ。それこそ俺みたいに、さほど興味はなくても、名前くらいは知ってるレベルには。


 ただメンバーまで詳しいわけじゃない。

 北見きたみ 莉瀬りせ……名前の漢字はなんとなく浮かんで来るけど、正直顔までは思い出せそうにない。

 南井よりも可愛い女の子が居ようものなら、流石に憶えていそうなのに。


「それから私が高校生になって、その頃には【MOG】がブレイクして、クラスの子たちとの話にもちょこちょこ出てたんだ。だから【MOG】の話題が出たときにさ、実はライブとか行ったことあって、北見 莉瀬列に並んだんだ……みたいなことをそれとなく言ったの」

「うん」


 高校時代の南井の話。

 もしかしたら、俺も近くに居たかもしれない話題だ。


「そしたらさ………………『サワン、【MOG】好きなんだ? あっ確か、【MOG】って今度、新メンバーオーディションやるよね。好きなら応募してみなよ。サワンほどのルックスなら合格どころか、その北見 莉瀬の隣に立つことだって夢じゃないよっ!』って。実はそのときまで、私がステージ側に居る姿を想像したことなかったんだ。あくまで観るものである……っていう考え方だったから」

「ファン心理、みたいなもんか」

「はは、そうだね——」


 確かに高校生の南井なら、アイドルグループの中に混ざっても全く遜色はなかったはずだ。事実、高校でアイドル的人気も誇っていたんだ。そんな南井がアイドル好きと知れば、友人から勧められることくらいあるし、ある意味で妥当といえば妥当だろう。


「——でもそう言われたとき、ファン心理から離れて違う立場……ステージに立つ私を思い描いた。そのときにさ………………やってみたい、って思ったんだ。あの憧れていた光景を、私が創り出せるかもしれないって……ドキドキしたのを憶えてる。もしかしたら、本当に、北見 莉瀬の隣に立てるのかもなって」


 南井が胸に手を当てている。

 当時の感情を思い出してるんだろうか。

 それにしても。周りからの後押しもあって、南井本人もやりたがっていたのか。全然知らなかったな……。


 そう……南井と3年間クラスが一緒だった俺が、噂レベルでもそのことを知らなかった。

 きっと南井ほど学校内で美少女だと言われ続けていたヤツが、芸能界でも屈指の人気のグループである【MOG】の新メンバーオーディションに参加するとなれば、まだSNSが普及してないときとはいえ、大いに騒がれていたはずだ。


 そうじゃなくても。少なくとも、クラス全員で応援しようみたいな、南井猛プッシュのウェーブに巻き込まれていたに違いない。

 だけど実際は、そんな事態になった様子はなかった。

 南井は校内一の美少女のまま、一般的でしかない高校を、ただ卒業したんだから。

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