エピソード7 真後ろの涙(後編)

 とにかく批判されてはないみたいだけど、俺は相変わらず俺……そりゃあそうだろうとしか思わないんだが、どういうこと?


「……昔もあったんだよね、似たようなこと」

「昔? それは、高校のとき?」

「うん。今でも憶えてる……あれはテスト中だったな。私が最後方の席で、真城がその前の席。3年間、ずっとそうだったよね」

「あ、ああ」


 そう、だった。

 ずっとそうだった。


「その……私。すごい後悔したことがあって、問題を全部解き終わって時計を見ながら、なんでそうしなかったんだろうって……そんなつもりなかったのに、涙がこみ上げて来たときがあったんだ。そのとき……前の席の真城が、いきなり振り返って来たことがあるんだけど……憶えてる?」

「……どう、だったかな」


 本当は、ちゃんと憶えている。驚いた顔をしながら、目元を赤くして、ほっぺに一雫が伝っていた南井の姿を。

 どうして泣いてるんだと、結局訊けずに目を逸らしたことを。

 あのとき、カンニングを疑われかねないと分かっていながら、南井の方に振り向いたのかは未だに謎だ。咽び声とかが聴こえたわけでもなかったのに……ほんと、自分でも分からない。


 でも、なんか言葉にはし難い違和感があった。

 例えテスト失格になっても、それ以上に大事な何かが後ろにある気がしたんだ。


「ははは……そうだよね。こんなの記憶に残ってるはずないか」

「わ、悪い」

「うんん。こっちこそごめん。だけど……あの出来事は私にとって、かなり印象的だったんだ」

「印象的……」

「そう。誰にも見られるつもり、なかったから。というより……高校時代の私は、弱った姿を誰にも見せないようにしてたから」

 

 当時の南井は才色兼備。

 なんでも出来て、慕われていて……凛然としていた。

 付け入るスキなんて、一見すると無さそうだった。


「弱ったって……なんかその、あれだろ? テストの緊張とか、風邪なのに無理して受けに来たとかで、コンディション最悪だったとかそういうのだろ?」


 当時の俺は、そう結論付けていたはずだ。

 あんな惚れ惚れする涙、とても揶揄えなかったから。


「……そうじゃないんだ。私のは、そうじゃない」

「え……」

「きっと今も、ね——」


 南井がまたギュッと、トートバッグを強く抱き締める。

 さっきから気になったけど、どうしていつまでも抱き締めたままなんだろう? 肩に掛けたり、ベンチに置いたりする方が遥かに楽なのに……南井は、ずっと大事そうにしてる。あとで訊いたりは……いや、私物の中身を訊くのは礼儀知らずだよな……。


「——真城はさ」

「なんだっ!?」

「……私ビックリさせるようなことした?」

「いいやしてない。してないぞ。どーでもいいこと言おうとして、野暮だなって引っ込めただけだ。続けてくれ」

「そう……じゃあ真城はさ、よく気が付くよね」

「気が付くって?」

「さっきのテストのこともそうだけど、今も。察し良いんだね」

「ああ……どうなんだろうな。察しが良い方じゃないと思うけど」

「たまたまって、こと?」

「う、うん……」


 しまった。返答間違ったかな。

 南井のことだから分かるって、言うべきだったのかな。

 いやそれは気持ち悪いか……実際気持ち悪いんだけど。


 でも。察しが良くないっていうのは、あながち嘘じゃない。

 親からアレ取ってと言われても、アレってなに? って返すくらいには良くない。

 でも南井って普段が完璧というか、すごい鉄壁で、一見するとスキが無さそうだからこそ、ちょっとした綻びが逆に目立つ。あと……視界の端っこでも、あわよくば入れときたいみたいな、最低最悪な下心のせいだとも思う。


「そうなんだ。でも……そうだとしても、私が同じ理由で参ってるときに限って、真城にバレるのは……なんでだろうね?」

「同じ……?」

「うん。過ぎ去ってしまった高校生の私の後悔と……いまさらその後悔を取り戻そうとする私。そして……また怖気ついて、何も出来ずに座り続けてる私……ほんと変わらないな」


 南井は和やかに、愛想良くそう言った。

 ……いや違う。痩せ我慢を、俺に見せないようにしてるんだ。


 南井の身体が、僅かに震えている。

 力んでいるのが伝わって来る。

 怖気ついてるっていうのが、本当なんだって分かる。

 そしてまた、トートバッグをギュッとしてる。強く強く、抱き締めてる。

 南井が弱っているときは、ほんとうによく目立つ。

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