エピソード1 高校生最後の日(前編)

 卒業式に遅刻した。高校生として登校する最後の日は、既に進学も決まって、単位どうこうもとっくにクリアしてるから、今さら寝坊に焦って学校に向かう必要もなくて、独りダラダラと歩いて裏門をくぐる。

 正門じゃなくて裏門なのは、徒歩だとこっちの方が下駄箱に近いから。三年間も通っていれば自然と身に付く近道だから。


 校舎に備え付けられたアナログ時計を見る。時刻は午前9時30分頃。

 式典前のホームルームを終えた頃合いだろうか? 胸に造花を付けたり、涙する誰かを揶揄ったり、二つ折りの携帯で写真でも撮ってる頃かもしれない。

 プログラムをちゃんと確認してなくて、正確なことはわからないけど、大体そのくらいかな。


 俺はそこにはいない……いや、敢えて遅刻をして、そういうを避けたのかもしれない。間に合おうと思えば全力疾走でも、親の車に乗せて貰ったりでもして間に合えたからだ。手段なんていくらでもあったんだ。

 けれどそうはしなかった。これは数日経ってから実感したことだけど、卒業式っていう記念日を、ダラダラと歩きながら三年間を振り返って、独り特別なモノにしようとしたからだと思う。だけど正直、独りで歩いてたときのことなんて、このあとの出来事に上書きされて、うろ覚えになってしまう。


 ——まだ普通の女子高生だった彼女と、思いがけず出逢ってしまったせいで。


「あっ、真城まきだ」

「……え? ああ……」


 そう言って、おもむろに振り返る。

 誰に言ったんだろうか、みたいな素振りで。

 照れ隠しを、照れ隠すように。


「なんで振り向くの。後ろには誰もないよ」

「いや、そんなかわいらしい名前のヤツは知らんから」

「良い苗字じゃん。すっとぼけなくても、毛嫌いすることもないのにな……っとまずは……来ると思ってたよ。遅かったね真城、おはよう」

「……う、うん」


 それは裏門から下駄箱に向かう途中の、ここの生徒くらいしか使わないであろうピロティ横の細い通路。この辺ならまだ誰もいないだろうなって油断したところに、同じクラスの美少女に遭遇する。

 同じクラスの女子に、心の中だけでも美少女なんて形容は大げさかもしれないけど、その子は……南井みなみい 紗和さわは、そんな表現でも妥当と思わされるくらいスラっとした美人で、柔らかな笑顔がとてもかわいくて眩しくて……こんな子が恋人になってくれたら最高だよなって要素を詰めに詰め込んだような女の子だ。


「どうした? お寝坊?」

「まあ……」

「ははっ、せっかくの卒業式なのに」

「……南井は、なにしてんの?」

「私? 私はね、お父さんたちが車を停めるところが分からないって連絡が来たから、それを教えて来た帰り」

「へぇ」

「……そのあとここで一休み」

「そう……」


 なんか南井と話すときって、いつも吃ってそうだ。

 三年間一緒のクラスだったのに、どうにも喉が痞える感覚が残る。


「あれ……まだ眠い?」

「いや、そんなことないけど。誰よりもぐっすりしたはずだし」

「ははははっ」

「そういう南井の方は? 朝早く来たんだろ?」

「うん。誰かと居た方が気が楽だったし。『サワンと話したい』って言ってくれる子もいたしね」

「そっか……南井は、そうなるか」


 南井のことだ。きっと友達とたくさん約束を交わしていたに違いない。ほんと人望が厚いからな……俺とは違って。


 南井は普段あだ名で呼ばれることが多くて、よく『サワー』とか『サワン』とか、その両方が混ざった呼ばれ方をしている。

 本人的には『サワン』派、だったかな? 『サワー』だとお酒になって、高校生には相応しくないっていう理由だった気がする。それと野球用語だけど、『サワン』を左腕と変換するとサウスポーって意味になって、南井の南を英語にしたサウスが入るのも評価点が高いらしい。


 まあどちらにせよ、俺は南井のことを苗字でしか呼べないんだけど。

 でも……こうして話せるのは、ちょっと嬉しかったりもする。


 だって顔はちっさいし、肩まで掛かる茶髪の毛は陽の光で照り返って煌めいてるしサラッサラだし、目はパチクリと大きいし切れ長だし、鼻はクッキリと高いし、手脚はスラリと細長い。あと、とにかくスカートを短くしないとみたいな、女子高生によくある制服の着崩しもしてなくて……それでもすげー似合っていて、何より常に姿勢が良くて、全体的に上品だ。


 勉強も運動も出来て、人当たりからしてお淑やかで、物腰柔らかで、声もハキハキとよく通る。大和撫子とか、立てば座れば歩けばなんとやらみたいなのも全部当て嵌まっていると思う。よく知らないけど、現役のティーンズモデルとかと匹敵するくらいのスタイルだ。これで実は隠れ巨乳なんじゃないか説が、色めく男どもの間でまことしやかに囁かれていたりいなかったり……とにかくこんな人、よくもこんな平々凡々な高校に通ってるなって感じだ。もう裏で悪態とか吐いて、陰湿なイジメでもしないと、人間としてのバランス取れないんじゃね? って思うけど、きっとそういうのも無い。聴いたこともない……ほんと欠点はどこなんだ。


 とまあ、ここまでが南井に対する感想。

 多分一生言わないが、自分でも呆れるくらい好意しかない。

 流石に屋上から未成年の気の迷い的に愛を叫んだり、主張したりは恥ずかしくてしないけど、気持ちだけなら絶対それ以上ある。

 なんかアレがアレしてアレになって、どうにかして両想いになれないものかと……なりそうにないのに、伝える勇気も無いのに、妄想ばっか膨らませては自滅していた。


 片想いするだけの高校生なんて、こんなものだ。

 そんな高校生活も、今日で終わりだけど。


「あ……えっと、卒業式は?」

「まだ始まってないよ、10時30分から。んーでもそろそろ体育館に集まって、椅子に座ってる頃かなー?」

「へぇ……って、いいのか。こんなところで棒立ちしてて」

「それは真城にも言えることだよ」

「そうだけど、俺の方は何分遅れようが一緒だから」

「……じゃあ私も何分遅れても同じかな」

「一休みじゃ済まなくなるぞ?」

「ふふ、確かに……でもまあ、そうしたい気分なんだ。ちょっと疲れてるし、うん」


 南井は校舎の壁と背中合わせにする。

 そしてゆったりと腕を伸ばし、休みたい気持ちを表す。

 それでも相変わらず背筋はまっすぐだなって思う。

 いつもと違うところなんて、胸のコサージュくらいだ。

 なぜか四つも付けられてるけど、そういうデザインなんだろうか? こういうの詳しくないから知らないけど。


「……南井もこんなあからさまに気疲れするんだな」

「するよ。どうしたものかと、迷ってばかり」

「それは例えば、告白されたときの返答とかに似てるのか?」

「あー……うん。それもあるかな……さっき断っちゃったけどね」

「もうされてたか……」


 美人と評判の南井に惹かれる男はもちろん俺だけじゃない。こういう行事になると南井への告白率が上がるのはもう、見慣れた光景というか、そうなるよなーって感じになりつつある。

 なのに少し、嫉妬もある。なにかの拍子で南井が誰かと付き合ってしまうのかとか、実はもうそうだったとか。逆に告白するヤツは度胸あるなとか、同じ好意でもなにが俺と違うんだとか……当事者にならないからこその嫉妬ばかりが、グルグルとみっともなく。


「うん。ありがたいことに」

「ありがたいのか? いつも断ってんのに」

「私のことを好きだって、言ってもらえるのは嬉しいから。ただ、付き合うのは違うというか………………もう卒業するから真城に言うとさ。私、誰の告白にも応えるつもりないんだ」

「ふーん……そう」

「あー………………なんかこう言うと感じ悪いね」

「いやいや。あっ、もしかして男が苦手とか?」

「うんん。そういうことじゃない。そういうことじゃないんだけど……流されて付き合うと、私を見失いそうな気がしたから……かな?」

「へー……恋愛に溺れる南井とか想像出来ないけど」

「ははは溺れるか……確かに私も想像出来ない」

「……そうだな。南井は手篭めにして溺れさす方だろうし」

「しないよ。真城の想像する私、悪女過ぎじゃない?」

「告白全断り宣言するヤツが何言ってるんだ」

「……ほら、やっぱり感じ悪く映るじゃん」

「別に、俺一人に感じ悪く見られても問題ないだろ?」

「………………どうかな。見られたくはないよ?」

「……こんな地味なヤツのイメージまで気にするのか。ほんと抜かりないな」

「ふふっ。別に地味ってわけでもないじゃん、真城は」


 きっとこういうところなんだろうな。

 南井が人気者で、好かれるのは。

 周りの人を基本悪く言わなくて、南井自身にだけ厳しいところ。

 大多数の人はその逆だもんな、俺も含めて。

 やっぱ最後には、自分可愛さが勝るものだから。


 というより、南井とこんな話したのっていつ以来だろうか。

 クラスで話すことなんか基本ないし。

 まさか遅刻したら二人っきりになれるとは、思わないじゃん。

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