3-(2)晴れを待つ


 七月に入ると、夏合宿の話題が出始めた。三大流星群というものがある、と佐久間は言った。

「一月のぶん群。八月のペルセウス群。それから十二月の双子群」

 彼は指を折って数えてみせた。

「獅子群の大出現とは比べ物にならないけど、いちばんたくさん流星が見られる時だよ。本当の流星雨とは行かなくても、どれかを見れば、雰囲気はわかるんじゃないかな」

 流星観測人の西尾さんも言う。

「今年はペルセ群のピークが新月に近い、好条件や。晴れたら合宿中にグループ計数観測をするから、参加してみたらええよ」

 ペルセウス座流星群の極大に近い八月の二週目、盆の直前が今年の合宿期間だった。場所は山梨県の乙女高原だという。この高原は秩父山地の標高千七百メートルの位置にあり、行くには中央本線の塩山えんざん駅から車で山道を上っていかなくてはならない。

 合宿の初日、高尾駅に集合し、列車に乗って塩山に着くと、そこはフライパンで炒られるような炎暑だった。駅前で車に乗る順番を待ちながら耐えていると、声をかけられた。

「今日は元気そうだな」

 長身を傾け、川越たくは薄い色付きレンズの向こうでにっと笑った。ぼくは言った。

「元気ってほどじゃないけど、倒れはしないかな。こないだはありがとう」

「いや。やっぱり道産子にはきついんだなと思った」

 川越はめったに部室に来ないが、体育実技の授業で一緒だった。その最終日に暑さで気分が悪くなり、授業後に購買店の前でしゃがみ込んでいると、川越が見つけて学生会館まで肩を貸してくれたのだった。ロビーの長椅子に横になり、濡れタオルで頭や頸を冷やしながら、初めて彼と言葉らしい言葉を交わした。髪を肩に届くほど伸びるに任せた川越は二浪で、鹿児島出身だと言った。キャンパス内の寮に猫と暮らし、浅黒い肌にはいつ見てもひげがり残されている。

 タクシーの前方席に佐久間、後部座席に川越とぼく、それに岡田まさという一年生が乗った。彼とは何度か顔を合わせているが、まだ個人的に話したことはない。骨の太そうなごつい身体を部室の椅子に沈め、もっぱら人の話に耳を傾けている。大きな鼻と細い目が、どことなく哲学者めいた風貌だった。周りの話では、天文写真が得意で、高校の頃から何度か天文雑誌に作品が採用されているという。今回の合宿でも撮影する予定と見え、一眼レフと重そうな三脚を携えていた。

 前の席から振り返って、佐久間が言った。

「川越、ペルセ群の観測会、晴れたら参加してくれる? 経験あるって言ってたよな」

「おう。もちろん」

「川越の関心は流星?」

 ぼくは訊いた。

「どっちかっつうと彗星が好きなんだよ、俺は。しかし、世間は流星と彗星の区別のついてない奴が実に多い。どっちも尾っぽを引いて流れるもんだとだけ想像してる。この現状は何とかすべきだと思うな」

「どうしたらいいんだ?」

「両方見れば、すぐに違いがわかる」

「ハレー彗星が来た時、中学の理科の先生に見ろって勧められたけど、北海道じゃ低過ぎて見えなかったよ」

「いずれ、もっと立派なのが来るさ。いけせき彗星とか、ウェスト彗星みたいなのが」

 佐久間が笑って言った。

「大彗星と、獅子群の大出現と、どっちが先に遭遇できるだろうね」

 曲がりくねった山道を四十分ほどもかけて上り、車は宿舎の公営ロッジ前に到着した。外に出た瞬間、冷えた山の空気が身体を包んだ。思わず深く息を吸う。下界と比べ、気温は十度は低いだろうか。身体が隅々まで生き返る感じがする。辺りは霧に包まれ、その向こうに草木の色が沈んでいる。風に吹き流された細かい水滴が、髪や頬に点々と宿った。

 部屋に荷物を入れて間もなく夕食準備の声がかかり、外の炊事場に出た。森の湿気を含んだ空気に煙の臭いが混じる。炊事場に並ぶかまどに火がつけられ、上に羽釜が載っている。数人が火の勢いを増そうと団扇うちわであおいでいる。

「海広くん、こっち手伝って」

 かまどの前から声がかかった。原島なおみだ。須崎という姓が発音しづらいと宮地さんが言ったせいで、女子に名前で呼ばれることが増えている。炊事台から団扇を取り、原島さんの横にしゃがんで火をあおぎ始める。団扇を動かす彼女に訊いた。

「今日は時岡さんと一緒じゃないの」

「沙枝は来てない。家族旅行と重なったんだって」

「どこに行ってるの」

「今年はオーストリアって言ってた。毎年、どこか外国へ行くみたいよ」

 それが世界地図のどこにあるのか考えた。

「毎年海外なんて、そんなうち、本当にあるんだな」

「そうだよね。聞いて、びっくりしたさー」

 原島さんは北海道弁で言い、笑顔を見せた。ぼくも思わず微笑んだ。北海道の言葉で話すと、自分たちにしかわからない符丁を使っている感じがする。

 時岡さんがいないのを残念に思いながら火をあおいでいると、原島さんが訊いた。

「海広くんは帰省、どうするの」

「合宿が終わったら帰るよ。原島さんも帰る?」

「親がうるさいから帰るけど、早く戻ってきたいな。行きたいところがいっぱいあるし。東京って書店がすごいっしょ。神保町に初めて行った時、夢みたいって思ったもの。海広くんはどこか行きたいところ、ないの」

「プラネタリウムくらいかな。五島の他にもあるって聞いたから」

「わたしもサンシャインのプラネ、行ってみたいんだ。良かったら、一緒に行かない?」

「そうだね。また工藤さんに企画してもらう?」

 彼女の団扇の動きが止む。

「そういう意味じゃなくて……」

 手を止めて言葉の続きを待った。どうしたのかと思い始めた時、

「おい、火、消えかかってるんとちゃうか」

 そばを通りかかった竹沢清志が、かまどの中を指差した。原島さんは立ち上がった。

「竹沢くん、交代」

 彼女は竹沢に団扇を押し付けてその場を離れた。呆気にとられてその背を見送る。

「何や、いきなり」

 竹沢は文句を言いながらも、人一倍猛烈に火をあおぎ始めた。

 ――まずいことを言ったかな。――そんな思いが頭をよぎったが、夕食準備の喧騒に紛れ、原島さんとのやり取りは忘れられていった。



 食堂を兼ねたラウンジのテーブルに料理を並べ始めた頃、雨が降り出した。後片づけが終わっても降りやむ気配はない。夜が更けるにつれて空気が冷えていく中、ラウンジのそこここにゲームや酒盛りの輪ができた。

「須崎、こっちに来んか」

 西尾さんが呼んだ。西尾さんと佐久間、高仲に加え、初めて会う年かさの男性がテーブルを囲んでいる。

「OBの大場さんや」

 挨拶すると、がっしりした体躯の男性は名刺をくれた。大手電気機器メーカーの名前の下に、研究開発部・材料技術部門、大場宏之とあった。

「大場さんは、天文部の生き字引なんだって」

 佐久間が言った。大場さんは否定するように手を振った。

「それは大げさ。天文部は四十年以上も歴史があるんだから。俺にわかるのはここ七、八年だけだよ」

「それでも十分長いやないですか」

 西尾さんが言った。

「今の形のプラネを作るようになって、十年かそこらでしょう。その初期からほとんど見ていて、合宿にも来てる先輩って、大場さんだけですもん」

 高仲が大場さんに尋ねた。

「去年の投影を見に行った時、日曜の午後三時くらいでしたが、その日はそれが最初の投影だったと聞きました。これは、普通なんですか」

「動力部分に不調があった日だね。去年はそれでも、まずまず成功した方じゃないかな。毎年、ほとんどの部分を新しく作っているから、出来は年によって本当にいろいろだし、俺が知る限り、トラブルがなかった年なんか一度もないよ。君らは、もうプラネでの役割は決まっているの」

 佐久間が答えた。

「流星投影機をやろうと思ってます。西尾さんが去年やったと聞いてるので」

「そうか。次期の流観人だもんな。君は?」

「星間飛行投影機を考えてます」

 高仲も即答した。続いて大場さんに視線を向けられ、言葉に詰まった。

「ぼくは……。まだよくわからないんです。プラネタリウムって、五島は見に行ったんですけど、ほかにイメージがなくて」

「五島では、何が印象に残った?」

「空間の広がりですかね。ちゃんと遠い星と近い星があるように見えて、天の川もすごかったです」

「そしたら、銀河投影機はどう。恒星投影機は二年生の担当だけど、銀河、つまり天の川は一年生の担当だから」

「はい。考えてみます」

 ぼくは答えた。西尾さんがうなずいた。

「銀河はプラネでも本物でも、いつ見ても感動するわなあ……。今回の合宿、晴れて欲しいな。乙女高原の天の川は、それはきれいなんや」

 そろそろ酒が回ったらしく、ラウンジでは大きな話し声や笑い声が響いている。上級生ばかりの酒盛りの輪に、川越が混じって機嫌よくしゃべっている。カードゲームのグループは同じゲームを延々と繰り返しているようだ。西尾さんに訊いた。

「晴れを待ってると暇ですね。合宿って、いつもこんな感じですか」

「こんなもんやね。個人で星を見るなら、晴れた夜を選んで出かければええけど、合宿は四十人とか五十人とかいるやろ。事前に日程を決めないわけにいかんから」

 大場さんがぼくに尋ねた。

「君は、星は大学に入ってからの趣味?」

「そうです」

「天文の趣味はね、かなりの部分、待つことで成り立ってるんだよ。晴れを待つ。季節が変わるのを待つ。月の条件が良くなるのを待つ。狙ってる天文現象の日が来るのを待つ」

 大場さんは指を折って数えてみせた。

「待つことばかりだけど、だからこそその時がめぐってきた時は感動するんだよ」

「暇過ぎて酔っぱらうのも、避けて通れない道ということですよね」

 西尾さんが落ちを付け、

「そういうわけだ」

 と大場さんは笑い出した。

「まずはペルセ群だな。俺の予想じゃ、晴れるのは良くて明後日かな。プラネの話をする時間はたっぷりありそうだな」

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