2-(3)時空を超える
「――本当にただの代用品なら、なぜ野尻抱影や、いろんな専門家が熱心に協力したのか、疑問じゃないか」
高仲が言い、皆に順に視線を送った。
「あれはある意味、本物の星空以上のものだよ。もう一つの、別の天球なんだ」
「どういう意味で」
ぼくは訊いた。
「自然の空に対しては、人間は無力だろ。天体現象はもちろん、頭の上のお天気だってコントロールできないよね。でも、プラネタリウムなら、自然には存在しない世界を創り出すことだってできる。どんな世界を創るかは、関わる人間の力次第だと考えると、
竹沢の額には縦じわが寄った。
「高仲は自信家なんやなあ。なんぼ面白い妄想をしたかて、それを学生の工作技術で現実にできるんか。そんなの俺、よう追及せんわ」
「竹沢くんは工作、好きじゃないの」
工藤さんが訊いた。
「こう見えても理論派やからな」
言いながら、竹沢は懐中時計を取り出して目をやった。それを高仲が指差した。
「そういうものが好きだったら、きっとプラネ作りも関心が持てるよ。天球だって時計のようなものだからさ」
「ほんまかいな」
竹沢は手のひらの懐中時計を見つめた。
「須崎くんは、どう思ったの」
だしぬけに、時岡さんが話を振ってきた。
「渉、いつもそういう理屈を言うんだもの。聞き飽きちゃった。須崎くん、まだ何も感想を言ってないでしょう」
「ぼくは――」
すぐには言葉が出てこない。原島さんが助け船を出してくれた。
「北海道で見たプラネタリウムより、ずいぶん良かったんじゃない、ねえ」
それはそうだ。でも、言葉になることを求めて頭に渦巻いている思考は、もっと別のものだ。ぼくは言った。
「うん、良かったと思うよ。でも、もし自分で好きなように動かせるなら、時計を先に進めて、未来を見てみたいかな……」
「なるほどねえ」
工藤さんがうなずいた。
「プラネなら、未来の天文現象を先取りすることだってできるものね」
「たとえば何や、皆既日食か?」
竹沢が訊いた。控えめに口にしてみる。
「たとえば……。獅子座の流星群、とか」
「ああ、レオニズね」
原島さんが明るい声を上げた。
「それはね、野尻抱影がすごく見たかったやつなんだよね。抱影はレオニズっていう言葉の響きに引かれて、星に興味を持つようになったんだって」
ぼくは訊いた。
「その人は、見たの。その、レオニズを」
「ううん……。見てないはず、だよね? 沙枝ちゃん」
原島さんに確かめられて、時岡さんがうなずく。
「大出現は見てないと思う。『レオニズ見えざりし記』って文章を書いてるから、駄目だったんでしょう」
「それは、出ると予想したのに出なかったのかな」
ぼくの疑問に、高仲が答えた。
「流星群のピークは短いんだよ。日本が夜の時にピークが来ないと、
工藤さんが人差し指を立てて、そこ、と言った。
「プラネタリウムは時間だけでなく、空間も超えられるからね。技術が進めば、いずれ海外に遠征しなくても、限りなく本物に近い体験ができる時代になると思う」
「俺はそんなの、信じひんでえ」
竹沢は腕組みして言った。
「夜の風も空気も、外の匂いもない星空やろ。本物は絶対、超えられへん」
喫茶店を出た後、女性たちはケーキを食べにいくと言って去った。彼女たちと別れて渋谷駅に向かう道々、竹沢は呆れてみせた。
「ジュース飲んだばっかりやないか。よう行くなあ」
高仲が言った。
「ケーキは口実だろ。大方、女だけで俺らの上げ下げでもするんだろうよ」
「高仲は、自分だけは絶対、下げられない自信があるんやろ」
三人で井の頭線のホームへ行き、電車を待つ。高仲が訊いた。
「須崎、こないだの火曜日に、陸上トラックで走ってなかった?」
「走ってたよ。見たの」
「沙枝が、須崎らしい人を見たって言ってたんだ。陸上部の練習?」
「いや、ランニング同好会。試しに通ってみてるんだけど、週に一度しかトラックの割り当てがないんだ。マラソンに出るのを目標にしてる人で、交流する場ってことらしい」
竹沢が訊いてきた。
「何、須崎はマラソン、走るんか」
「フルマラソンは経験ないよ。地元で、釧路湿原マラソンっていうのを毎年やってて、そこで十キロを走ったのが最長。高校の部活では中長距離を走ってた」
「確かに、長距離ランナーっぽい身体つきやな。俺はこの体形やさかい、走るマラソンは一生縁がないやろけど、メシエマラソンなら経験あるで」
「メシエマラソン?」
到着した吉祥寺行に乗り込む。
「メシエ天体を、一晩でできる限りようけ見るってやつや」
メシエ天体とは何かわからない、と言うと、高仲が説明してくれた。
「メシエっていう天文学者が番号をつけた天体。星雲、星団、銀河が入ってる。アンドロメダ銀河がM31とか、アルファベットのMに数字がつく呼び名があるだろ。あれだよ」
「そうそう」
竹沢がうなずいた。
「去年の春、日本で初めて行われたって天文雑誌で見たんや。それでこの春休みに、地元の仲間とやってみた。日没から夜明けまで空を見続けて、へとへとや。けど、充実感はあるで。ものすごく条件のええ星空があったら、またやってみたいと思うてるんや」
竹沢の降りる駅で彼を見送った後、隣で吊り革を握る高仲に尋ねた。
「時岡さんと、よく話すんだ?」
「まあね」
どう訊けば二人の関係がわかるか迷う。
「えっと……。親友、なの?」
高仲はおかしそうに笑った。
「そういうの、男と女の間で可能だと思う?」
答えられない。
「沙枝はね、俺のこと、昔からライバルだと思ってるんだよ。勉強も星も。だから、あんなふうに文句言いながら、天文部も入ってきたわけ」
「――高仲は?」
ぼくの降りる駅が近づき、電車のスピードが遅くなる。
「俺は、沙枝のお目付け役ってところかな。あいつ、見張ってないと危なっかしいところがあるから」
言葉の意味を測りかねて、高仲の端正な横顔を見つめた。停止した車両が揺れ、ドアが開く。振り向きながら出口に足を向けるぼくに、
「またな」
と彼は手を振った。
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