第2話 邂逅……霧との出会い

プロローグ


 桜子と麻美は幼なじみで苫小牧市でお隣どうしの牧場で育っていた。同じなのは牧場だと言う事だけで、牧場での主な飼育は全く異なっている。杉田桜子の牧場では乳牛をメインにした牛乳の販売と自家製のチーズを生産している。片や瀬戸麻美の牧場では馬の飼育から転じて競馬の競走馬の飼育や調教に舵を切っているのは、馬の未来が「肉」と言うのが嫌なだけとか。


 桜子と麻美の家は実に近かった。お隣だからと言えばそうなだが、実際には八百メートルは離れていて、それでも一番近かったというのはお国柄の特長だと言える。東京では軒と軒が五十センチだったりすれば? 歩いて渡れるというものだ。


 ある日突然に瀬戸家に小さな女の子が湧いて出るも、これに違和感を持たずに友達となった桜子は、お互いが一人娘という事もあってか直ぐに仲良くなっていた。



 ホルスタインvsサラブレッド……鷹揚な性格の桜子vsせっかちな麻美、この二人が喧嘩もなく過ごせたのはこの性格の不一致に他ならない。お互いで主張しお互いが譲歩するのはどうして?



 それから十四年が過ぎた北海道大学のキャンパスでは桜子と麻美が仲良く通っている。クラスメイトが少ない小学校時代からやや同級生が多くなる中学校を経て、大人数(おおにんずう)と言える高校生活を仲良く送ってきた。


 今は都会の人に酔うような札幌市のマンモス大学で、男漁りで目を廻していた女の子たちの気分が落ち着きだした初夏になる。


 逆に薄着になる女の子に気を向け出すのは仕方が無い野郎ども。



 牛の乳で育った桜子には馬種の判別が出来ないでいるのが可笑しいと、常々から笑っている麻美だが? その逆も然りだった。お互いが牧場を行き来していても麻美は速く走れる馬が全てであって、桜子にしてみれば大きなホルスタインのお乳で作り上げるチーズが全てであった。


 これで村おこしをするとか言う桜子はとても先見の明は良かった。麻美は競馬で都市を大きくしたいと高望みの抱負を語る。


「綺麗な女の騎手が誕生すれがお客がわんさかと見に来るからね。」

「でも麻美、貴女はどうして北大の芝生に座っているのかな?」

「フン、なにさ! 先に全国の大学を制覇するのよ。」


 今日は麻美の負けで幕が下りた。



 だからお互いの成育環境が大きく相違している関係からか、喧嘩は全く起きていない。


 麻美は父の元騎士の縁故でアパート住まいなのだが、面白い条件も付加されたアパートに住んでいて、その条件と言うのが札幌市の競馬場で、競馬が行われる時は馬術部の部員と同行して馬の世話に行くとか。それでもって何某かのバイト代も入るからと喜んでもいる。


 どうも、この馬術部と競馬場の関係は意外にも歴史があるとかないとか、共生の関係が築かれていた。その陰には無類の競馬愛好家学長がいた。


 もしも……桜子が男だったら麻美と今頃はもう同棲していたかもしれない。でもその逆は? どうなんだろう。



 桜子は生活費を稼ぐ為のバイト代欲しさに下宿兼寮母の仕事に就いている。大きな子共が阿部寛助教授で小さな女の子が阿部霧という十歳の養女だ。食事は桜子が作るにしても食材の費用は全部阿部助教授持ちだから、とても割の良い仕事にありついて喜んでいる。



 この桜子と阿部助教授を引き合わせたキューピットは麻美と縁が深い三浦助教授なのだが? どうも三浦助教授は最初からこの組み合わせを狙っていた節がある。事実、麻美と桜子が北大を受験すると知った時点で阿部助教授に打診を行っていたらしい。


 三浦助教授がだよ、桜子と阿部くんの相性がとても良いと踏んだみたいだった。勿論、娘の霧とも大丈夫と考えたらしい。オマケに麻美の競馬ときたら騎士に劣るとも越えるとも? 評価が良かった、競馬の女騎士に進ませたいのは学長の方だった。男と比して体重が軽い女性が騎士になれば……と、タヌキの皮を被る。


 麻美の競馬ときたら、十八歳になって馬券を買えるようになったから……騎士に劣るとも越えるとも?


 麻美と桜子が北大を受験し合格した。この路線は確定されたもので、忖度した方が無類の? 好きな学長だった。


 私こと桜子と友人の麻美、それと私が面倒をみている阿部霧の三人。


 この三人と後で出てくる一人を合わせた四人が大きな事件に巻き込まれながら強く生きて行く。人狼の巫女の血が引き合わせたと言える過酷な運命が待っていた。他に巻き込まれる者が二人三人もいる。



 私=杉田桜子が主人公となる物語が今始まった。




 1937年3月15日 北海道・札幌市


*)祝……北大合格


「麻美~おまた~。」

「んも~遅いぞ。桜が散ったらどうするのよ。」

「え~桜の開花は五月……酷いな~も~私(さくらこ)は合格しているわよ。」


 私たち二人が仲良く合格発表に出かける。列車には他にも北大を受験した級友もいたけれども立ち話だけで済ませていた。丁度列車と列車の繋ぎ目で話していたから揺れる揺れる笑顔が沢山揺れていた。


「今日はやけに人が多いからここにしか乗れなかったのね。」

「そうよね、五月蝿くて嫌だよね。いいわね貴女たちは。」

「ふふ~ん、お上りさんなんだ!」


 列車の音が大きいので声は聞き取れないから、笑って誤魔化していたんだ。こやつらはリュックを背負っていてね、良く聞いてみたらよ、



「あ、東京へ遊びに行くんだ!」

「わ~いいな~、私たちはとんぼ返りして牧場でバイトよ。」

「へ~……家事手伝いがバイトになったんだ。」

「五月蝿い!」

「黙れ!」

「キャッ怖い!」x3


 この三人組は苫小牧市で裕福に育っていたサラリーマン家庭で、それがなぜ北大の農学部を受験したのかな。


「桜ちゃん、馬鹿だね~私たちは文学部よ?」

「あ……そうなんだ、役に立たない学問ね?」


 私の本音がついうっかりと漏れてしまった。


「悪かったわね、キャンパスですれ違わないように祈るわ!」

「お互い様よ、東京で日活デビューでもしてなさい。」


 それなりに可愛い娘だったからきっと路上でナンパされるだろうな? そんな私の心を読んでか麻美も追い打ちで、


「難破しなければいいわね。」

「いいわね~ハンサムな男を漁ってくるかな?」


 どうも女の子たちの会話が下品になるのはどうしてだろうか。東京へ遊び、もとい、修学旅行へ行ったのが悪いのか、色白で可愛いからね、どうもナンパされまくったらしいのね。


 私たちは次の駅まで行くので三人とは札幌駅で別れて、


「お互い合格してたらいいね!」x5


 そう言ってお互いを慰め合ったものの、この三人とはほんの僅かな時間を会話して分かれたが、その後に会う事は無かった。




 麻美が先にアパートの下見に行きたいと言うので、札幌駅を通り過ぎて次の駅「桑園駅」で降りた。駅前にあるから直ぐに分かると言う麻美に付いて行けば、う~ん確かに直ぐに着いたよ綺麗なマンションに!


 このマンションは立地がとてもいいのね、なぜならば「札幌競馬場と北大」の中間点に在るから。だいたいが北大と札幌競馬場が隣同士というのも、なんだか変に思えてきた。



「中に入らなくて良かったの?」

「いいのよ、今日は場所と外観さえ分かればいいのよね、嫌いでもここに住まうのが約束なんだから。」

「あ、そうか、そうよね、でも……いいな~見晴らしがいいよね。」

「大学のキャンパスが見えると言うからね……エッヘン!」

「麻美の胸は小さい、」

「チッパイ言うな!」

「胸を反らすからでしょう。」


 二人でアハハハと笑いながら、そこから改めて北海道大学へと向かった。


「綺麗なマンションでいいね!」

「そうね、家賃を稼ぐのが大変かな。」

「え?……どうして家賃の仕送りは無いの?」

「桜と同じよ、騎士さんのお手伝いをするのがその代償なんだよね、競馬場で時々働けってさ。」

「ふ~ん、私は家事のお手伝いだから私の方が楽かな。」

「入学式の時はお祝いをしてよね、行くからさ。」

「そうね、歓迎するわ。」


 麻美はマンションの自宅から私の下宿先に行く道順を思い浮かべたらしいのね、それで?


「桜、あんたの家は何処なの?」

「あ!……、」


 チーン!


「聞いてないの?」

「うん、まだ知らない。」

「も~馬鹿ね~。」

「教授に会ったら尋ねるからいいのよ、先が楽しみだな~。」



 北大の敷地に入ったら、小さいながらも「祝、合格!」と立て看が置いてあったから嬉しくなった。誰が立て看をと考えなくても分かる、それは大きく「来たれ! 新人作家を望む!by小説家になろう」とも書いてあったから。



 今の時期は緑が少ない北大のキャンパスを歩いて行くと、私たち新入生を歓迎しているような感じのする茶色い芝生は綺麗にされている。合格すれば私たちもこの綺麗な芝生に座って学問の論議をするから楽しみだね。


 長く歩いて農学部へと向かう途中の総合博物館前で私たちの不安が大きくなる。だって1999年(平成11年)に完成した建物だからよ? 当時は図書館しか無くてね……。


 幻想的なエルムの森を通り過ぎてのクラーク会館前を歩いていたら?(ここは1970年に開館)


「ね~農学部はまだ先なの?」

「もうすぐだよ、この先の林を抜ければ直ぐさ。」


 前から歩いてくるバカップルの不気味な言葉がすれ違いざまに聞こえてきた。でも女の子はこの春に大学生になるような衣装は着ていない、どちらかと言えば派手な……夜のお仕事みたいな? そう考えたら夜のお仕事を終えて合格発表へ来たのかもしれないね。問題はそこではない、あ~私は……嫌なことに気がついた。


 これって……もしや……私たちは、


「通り過ぎたの?」

「道に迷っただけだよ、あの二人に付いて行こうか。」

「だね。」


 先行く二人の内一人、女性は段々と声が大きくなってきた。


「何回道を間違えたら気が済むのよ、」

「む~……。」

「ね~、」

「イタタタ……ゴメン、ごめんって。」

「アホ凧(カイト)が!」


 凧をどうしてカイトと言うのが、この時は分からなかった。


 何のことはない、目の前の二人も道に迷っていたと分かった。道に迷えば心も迷うのは当然か? 合格したという自信は何処へやら……段々と地に落ちていくから、とうとうそれが口に出た。



「ね~桜、私は合格できたかな。」

「大丈夫よ麻美、寄付が多かったのでしょう?」

「わ~酷い言い方、去年はサラブレッドを死なせたからその賠償金で私への予算は削られました!」

「へ~麻美は良く馬から落ちるから……脱落組か~残念。」

「馬鹿言わないで! 桜はどうなのよ、」

「私は~……落ちてない方に一票よ、だって牛の背に乗らないからね。それにバイトも決まっているから、そう言えば麻美のアパートも決まっていたんだよね? マンション。」


「あ、……ならば合格だよ、」

「アハハハ……。」x2


 二人の受験番号は共に掲示されていた。電話ボックスの空きを待って長い順番を二人で交代しながら待ち続けて自宅へ電話を掛けるも?


「誰も……でんわ!」x2

「三浦助教授にお会いした時に電話を借りておけば良かった。」


 私は阿部助教授の家の地図を書いて貰っていたし、初顔合わせの自己紹介も済ませておいた。阿部助教授の目つきが少し気になったものの、別れる時には満面の笑顔で見送りして頂いた。


 札幌駅へ戻って帰路に就いた。


「今度北海道大学へ来る時はトラックだからね。」

「うんお引っ越し、楽しみね。」


 帰路、それは二度と乗車しない列車に揺られながらの、とても楽しい短い旅だった。次に乗る列車は大きな大地を走る「悠久の列車」へと線路が運命が決まっていたから。




 1936年4月7日 北海道・札幌


*)霧と桜子の邂逅


 物語は霧が生まれる前から始まる。


 霧の父である阿部寛は北大で助教授をしていて専攻はドイツ語と民俗学。民俗学は父の平蔵の影響を受けたからであって父親譲りの知識は相当なものであってか、特にロシアやモンゴルに掛けてはと言う条件が付いているのはね。


 学長の方からはロシア語も教えてくれないか、との打診があるが取り立てて給料が増えるでも無し、教授になれば考えるというくらいだった。


 ゼミで教えてもいるのには理由があって、それはとある先輩にロシア語を教えていたからだ。他は来る者拒まずの姿勢を貫いていて、それに今度の新入生にも教えてくれないか、と三浦助教授から頼まれてもいる。……私たちのことだ。


 ロシア語は三浦助教授も堪能なのは周知の事実だが、どうして教えないのかは偏にサークルの活動が影響していた。民俗学を取り上げたサークルの活動だったから。



 第二外国語のロシア語はゼミ以外ではサークルで掛け持ちされていた。謎のオカルト研究会がそうであって、教室が同じだから我の強いオカルト研究会の人員に押されてか、ロシア語を受ける学生は退場してしまう。サークルでは砕けたロシア語とラトビア語も教えてあって、ま~方言を教えているようなものね。



 ロシア語講座は看板だけになって、今ではオカルト研究会が通り名を冠することへとなってしまう。





 合格発表の時に三浦助教授が手引きをしてくれていたから、麻美を伴ってロシア語のサークル教室へ行くように言われていたから、阿部助教授とは既に顔合わせは済んでいた。


 それに麻美も居たから気後れもしなかったが、どうしてか私はしどろもどろな自己紹介を行ってしまって……顔を紅くしていた。それに気がついた麻美には大きな声で笑われて、もう一人の先輩には笑顔で迎え入れられて、それも……邂逅であった。



 いよいよ二人揃って引っ越しを済ませるから、


 前々日には荷物を載せるトラックを綺麗に掃除しておいた。競走馬を輸送するトラックだったからで、荷物の運搬は若い騎士見習いさんが手伝ってくれていた。


 洋服を入れた箱以外で私の一番大きい荷物は中身の薄いパイプタンスだった。荷物の多くは麻美の冷蔵庫・洗濯機・テレビに箪笥、それに炊事道具が重かったくらいだな。


 勿論、所帯じみた麻美を笑ってやったわよ、アハハハ……とね。


 阿部助教授のご自宅は西洋風の大きな建物で赤煉瓦の素敵な建物だった。道路からは一メートルほど高い敷地に、これまた道路からいきなり階段になっていて付近の建物とは趣が違って見えた。屋根は黒の瓦だったかな?


 住所は、北海道札幌市北区北14条西8丁目で北大を出て直ぐ近くだった。桑園駅の麻美のマンションとは本当に近くで苫小牧の牧場と同じ八百メートルくらいだ。後に知る霧ちゃんの小学校は麻美のマンションから足元に見える程に近かった。


 麻美のマンションは北海道札幌市中央区北9条西17丁目だ。




 私が阿部家へ越して来たとき霧ちゃんと顔を合わせるが、その前に玄関先でのやり取りを少し書いておきたい。



「こんにちは~……教授~……。」


 教授は待ってました、とばかりに直ぐにリビングから出てきて、


「やぁいらっしゃい、待っていたよ。荷物は俺が手伝うから玄関先に下ろしてくれ。」

「はい、お願いします。」


 道路に段ボール箱を解いて広げておき、慌ただしく私の荷物だけが下ろされていく。麻美は自分の荷物が誤って下ろされはしないかと気を張っている。


「桜、終わったからマンションに向かうね。」

「うん、今日はありがとう、とても助かったわよ。」

「お礼は……頼んだわよ。」

「勿論です、入学式の済んだ日にね!」

「お嬢様……。」

「はい行きましょうか。」


 お嬢様……と聞こえたので私は教授の顔を見た。首を傾げていたね、あれはどう見たってお嬢様には見えていない、馬の性格が移った阿婆擦れ女だろう。女性蔑視の言葉だから「素行が大きくて厚かましい」と言い換えようか。荒くれサラブレッドを乗りこなす女だから優しい性格では務まらないよね?


 厚かましいは直ぐに素が出てくるからね……!



 私と麻美にしか分からない言葉のはず、なのに首を傾げていた阿部助教授は直ぐにニコッと笑っていたのよね、出汁にされていたとか私には少しも気がついていなかったのね。


「それで教授、霧ちゃんは?」

「そうだね、先に紹介しようか。」

「はい。」


 教授は二階に向かって大きく叫んでいて、可愛い天使は二階から降りてくる。



「霧~居るなら出ておいで~霧~。」

「はーい、お父さん。なぁに?」

「さくらちゃん入ってくれ、娘を紹介するよ。」

「教授、お邪魔いたします。」

「娘の霧だ、まだ九歳だと思う。正確な誕生日は不明だが、八月二十一日に誕生したんだろうと思っている。」

「霧ちゃん……こんにちは。私は桜子、さくらこです。よろしくね。」


「お姉ちゃんは、だあれ?」


 霧は父の後ろに隠れてしまい顔だけを見せている。人見知りでは無いはずと父の教授からは聞いていたがな~はて?


「はぁい、お姉ちゃんはここに下宿する、お父さんの学生さんなの。分かる?」

「うん、分かる。でも、お姉ちゃんは、だあれ?」


 霧は「お姉ちゃんは、だあれ?」と繰り返している。教授はもちろんの事、桜子にもその意味が全く解らなかった。


「う~ん~お姉ちゃんは……そうね~……メイドさんだよ。」

「メイドさん? お手伝いさんとは違う。お姉ちゃんは、だあれ?」


 私は満面の笑顔を作って可愛い声で言ったが、霧は同じ質問を繰り返した。


「さくらちゃん、もういいよ。」


 根負けした教授は霧に向き直ってから、


「なぁあ、霧。お母さんの代りだよ? 分かるかな?」


 えぇ……私は初耳ですよ、いきなり霧ちゃんのお母さんに格上げしないで下さいよ。私には一目惚れの好きな人が出来たのですから教授、勘弁して下さい。



「ううん、お母さんは死んでしまっているから居ないよ。お姉ちゃんは、だあれ?」

「あれ~、お姉ちゃんは困っちゃったな~。どう言えばいいかな~、」


「バ~カ!」

「んまぁ~!」


 霧は奥へ走って行った。


「はははごめんよ、何か癇に障ったかな? 少し変だな。」

「教授、霧ちゃんは時期に懐きますよ。私の第六感がそう申しています。」

「はいはい是非ともお願いします。先にさくらちゃんの部屋に案内するね。二階のとても広い部屋ですよ。あ、霧の真正面になるな。」


「とても広い部屋でいいんですか?」





「さ、上がって。きっと驚くから」

「はい、ありがとうございます。」


 私は階段を小気味好く上って行く。だって実家には二階が無かったから珍しいし憧れもあったからよ。そう言った意味では自室が二階の麻美の部屋では良く窓から外を眺めていた。


「桜のお気に入りだよね、その窓は。」

「そうよ~憧れよ。」


 霧は自分の部屋のドア越しに私を見ていたから、私は隣の部屋だから「よろしくね!」と言葉をかける。霧は何も言わずに部屋のドアをあからさまに閉めてしまった、可愛いかも!


「もう根性比べする必要ありでしょうか。教授、どうですか?」

「それはいいが、しかし負けるのはさくらちゃんだからね!」

「ほえ~~。」


 私ははしたなく拍子抜けの奇声を発した。


「さ、ここだよ。この部屋はね、妻の部屋になる予定だったんだ。」



 案内された部屋は確かに広かった……箪笥や鏡台などが置かれてあって、ベッドはダブルで他にも使われていない家具もあった。これは……奥様の持ち物だと直ぐに理解できてしまう。


「教授……矢張りやもめだったのですね。」


 教授の部屋は書斎だそうで意味する処は……「掃除をさぼりたい」この一言だった。「部屋を使わなければ掃除の必要は無い」と言うからにして性格が直ぐに分かってしまった。


(わ~いきなりに奥さまの部屋を充てがわれてしまったわ。)







「まぁ!うれしい。私は奥様待遇ですの?」

「ま、そうだね。新しい奥様! これからよろしく。」

「はい、旦那様!」


「がしゃ~~~ん!」


 霧の部屋から物がぶつかる大きな音がして、教授はびっくりして今から私のものとなる部屋を飛び出そうとした。でも私は冷静に教授を引き留めたの。


「あ! 教授、大丈夫ですよ。これは霧ちゃんの挨拶ですわ。」


 教授は心配そうにして桜子に尋ねる。


「本当でしょうか、このような事は今まで無かったものですから。」


 教授は少しオロオロしているのが他人行儀の物言いから分かった。


 私は女だから心の中ではね直ぐに決心が付いたのよ。


「女の戦いの合図だわ、戦争よ! 負けないわよ!」




 私の次の主戦場は台所に変り、ここが小さな敵を迎え撃つ戦場になるから。私は棚や食器棚のドアというドアを開け放って道具類を確認していく。可愛い子を迎え撃つお皿を考え、今晩からの献立も並行して考えていた。


「さくらちゃん、冷蔵庫は閉めてもいいと思うが? そんなにマジマジと見られては恥ずかしいよ。」

「あ、済みません。実家とそう変わりはありませんから。」

「そ、そうか良かったよ。買い物に付き合うから。」

「では行きましょうか。」

「そうしようか。」


 私と教授は台所から出て玄関へ……、


「今晩は肉料理で頼むよ。」

「はい……ビールを飲んでもよろしいでしょうか?」

「勿論だよ、多めに頼むとしようか。」


 完全に忘れていたね、霧ちゃんの熱い歓迎を受けて荷物の搬入を忘れていた。玄関下にある段ボール箱が五箱……軽いものだったかな? とパイプタンスだな。


 ものの五分で荷物を二階に上げた私は教授の案内でスーパーへと向かった。この教授、魚売り場にしか足を向けていなかったよね? 今日は惣菜の弁当で済ませる気はないんだなと私は悟ってしまう。


「う~ん今日はプリンも買っておくかな。」


 にこりとするお父さん顔が出来ていた……。


 重い荷物を四本の腕で運んで帰り私は今も奮闘している。もう辺りは暗くなった時間になって……、


 私は階段の下まで来て叫んだ。


「霧ちゃ~ん……教授~ご飯の用意が出来ました~。」


 直ぐに安部教授は自室から出て来るも、霧は出てこなかった。


「やっぱりだわ。もう戦闘は始まったのね。負けないわ、戦争だわ!」

「おいおいさくらちゃん……、」


「すみません教授。お腹が空いているでしょうが、しばらくお待ちください。」

「ははは……いいよ。いつまででも待つから、しっかりとお願いするよ。」

「はい、引きずって来ます事をお許しください。」


 私はエプロンのままで二階の霧の部屋へ行く。できるだけ穏やかに、


「コンコンコン。」


 部屋をノックするも当然返事は無い。


「ま、こんなもんでしょう。」


 私はそう思って腹いっぱいに空気を吸ってから吐き出すのね、


「ごら~霧(ぎり)~! 出て来い~晩飯だぞ~、出て来~~~い!」


 ぎゃしゃ~ん。


「おうおう、とてもいい返事だ。さくらは怒ったぞ~突撃開始~!」

「ぱっぱぱかぱっぱぱかぱかぱ~」


 突撃ラッパの? バターン。


 私は勢いよく霧の部屋のドアを開けたら奥に小さい霧が立っていてね、


 ぎゅーん、びゅーん……と人形や絵本が次々に飛んで来た。


「キャー……はは~もうお姉ちゃんの負け! お姉ちゃんは霧ちゃんに負けたわ! もう降参するわ~。」

「なによ、うそ言わないで。降参なんてするはずはな~~~~い。」


 霧は大声で応戦してくるから私は構わずに霧に突進して、痛くはない足蹴りを数発を受けながらも霧を捕まえた。


「霧ちゃん捕ま~~えた、もう離さないからね。ご飯を食べに行こうね。」


 霧は私に抱きつかれた瞬間に無き母の面影を感じたのだった。


「お母さん……、」


 ただ向かいあっただけでは理解出来ない何かは……母への感情だった。幼い霧は母のぬくもりを知らずに育った。だからか同性である女としての感情も瞬時に爆発したのかも知れない。



 霧は私の温もりを感じたに違いなかったと考えた。でもそれは間違いで、私の身体を通して霧の……家族の香りが、母の匂いが霧に伝わった。


 麻美……だった。



「そうだな~……、」

「うん、お母さんなの?」

「違うよ! さくらはね、霧ちゃんのお友達よ! お友達は欲しくはないのかな?」

「ううん……いっぱい欲しい。だって、だって、霧はいつも独りだもの。」

「そっか~霧ちゃんは独りなんだ。これからはず~っとお姉ちゃんが友達だからね!」


 嬉しくなった霧は少しだけ涙を見せた。でも私は流れるほどの涙を霧に見せた。


「あれ?……可笑しいな、」


 私には理解出来ない涙が流れ出していた。それは己にも分からなかった人狼の真祖が芽生えた時。



「お姉ちゃん、泣いているの?」

「そうだよ、霧ちゃんがお姉ちゃんを好きになってくれたんだもの、とてもうれしいわ。今日はお赤飯なのよ。」

「どうして?」


 仲良く手を繋いで台所に降りて来たら、お父さん顔が綻ぶのが分かった。(もう飲んでいたのね?)




「もう忘れたのかな~今日は霧ちゃんのお誕生日よ!」


 私の心に浮かんだだけ、私は意味もなく言ってしまった、どうしてだろうか?


「うん、霧は……霧は、今日生まれたの?」


「霧! お誕生日おめでとう~。」


 父の寛もお祝いの言葉で出迎えた。


 今日を境にして霧は逞しく明るく育っていく、短い一生を終えるその日まで。


「で、さくらちゃん。霧の戸籍は、1927年8月20日だけれども、いいの?」

「はい、今日は新生の霧ちゃんの誕生日ですよ。お父さん。」


 女の戦いに終止符が打たれるから、お祝いの理由なんてどうでもいいのよ、そ、どうでもいいの。     

 その夜は疲れただろうね、夜明けに夢を見た記憶が感じられなかった。でも霧はどうだったのか訊けないでいた。


 私の入学式は明日だから今日はお休み、だから早くから起きてお弁当を作りながら朝食の用意も済ませる。


「いってらっしゃ~い!」


 と、二人を送り出せば……どっと疲れが出てくる。疲れを押して私は霧の部屋を掃除した。


「もう~可愛い天使はいっぱい投げ散らかしやがって、今朝は上手くお母さん役が出来たかな。」


 割れた物は無いから良かった、でも……こんな方々に飛んでいった小物は、霧ちゃんは好いてはいない気がしたと考えたら涙が出てきた。


 小さな机の袖に散らかった小物を入れようとして引き出しを開ける。そこには三浦助教授に抱かれた大きめの赤ん坊が写っていたの。色白で身体は痩せていた二歳の赤ん坊が……。


「あれ? これは麻美の写真だね、可愛いな~。でもこの景色は……麻美の牧場だけど……、」


 古い白黒写真でサイズは小さくて、何より手垢で汚れてもいた。


「何時の写真かな。」


 どうして麻美の写真がここにあるのかを深くは考えないで、私は気疲れも出ていた所為のあってか写真はそっと仕舞った。またこの写真の事を思い出す事もなかった。


「あの子は、きっと寂しかったんだね。夕食は何を作ろうかな~。」


 帰って来た霧からは私……大いなる洗礼を受けてしまった。


「お姉~ちゃん、どうして掃除したのよ。勝手に部屋に入らないで~バカバカバカ……、」

「わ~ごめんなさい霧ちゃん。もう許可なしで入り、絶対に入らないから許して~。」

「グシュン……いいもん、」

「うん許してね。」

「ありがとう……、」

「いいよ、またお掃除しておくから。」

「パパのお部屋だけでいい、」

「そうだね、うんそうする。」


 明日は麻美を招待しているから教授の部屋は後回しにして、客間とお座敷だけは綺麗にして置かなくてはならない。パハプスネイビー……私の好きな先輩も来るはずなんだからね、女の勘がそう告げているわ。


○────────○  ○────────○


 私としましては感想や意見は嫌っております。ですがカクヨムには受け付けない方法は無いみたいですね、皆様からの感想はご遠慮して頂けましたら幸いに存じます。鬼籍に入るまで……600章くらいは進めたいと意気込んではおります。また、返事を返す事は無いと思いますのでよろしくお願いします。

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