第26話 玩具売り場
「あっ、これはどうかな。ほら、女の人がつけている髪飾り。模様が少しだけ違くない?」
「んー、どうかしらね。印刷の若干の濃淡の違いにも見えなくはないけど」
「ああ、言われてみたらそうだ。私の目がおかしかったや、ごめんごめん」
由美は目をこすりながら言う。
「いえ、謝らないで。これだけ凝視していたら、目もちかちかしてくるわ。本当なら休憩したいところなのだけど」
「今日までだもんね、締切」
すでに夜の零時はとっくに回っている。
母親が仕事の関係などで持って帰ってくるか届けられ、リビングに無造作に積まれている雑誌の束のうち、このまちがい探しを見つけたのは偶然のことであった。むしろそれらを捨てるために紐で縛ろうとしていたのだが、その表紙にアクターたちの写真と共に以前から興味のあった海外で大人気の舞台の特集されており、それをパラパラとめくって読んでいると後ろの方にその公演チケットが当たる懸賞がついていると分かったのだ。懸賞は公演チケットのみならず高級なお肉など豪華景品が大量に用意されているなど大盤振る舞いであり、由美にも声をかけてそれらを見せると、応募しない選択はないという結論にすぐに行き着いた。ただ応募するためには、雑誌ページに掲載されているクロスワードとまちがい探しを解気、その答えを書いたハガキを投函しないといけないとのことであった。
「今日も学校はあるし、昼休みや放課後にやる手もあるけれど、その間に見つけられる保証はないし、実際かなり苦戦しているもんね。しかもわざわざハガキを投函しないといけないとは」
「今どきっぽくはないわよね。懸賞だって今はネットの投稿フォームなりで応募できるものがほとんどでしょうし。ただ、これは掲載されているのが雑誌本誌だし、おそらく購読している人の年齢層的に若い人はあまりいないでしょうからアナログの方が好まれるのかもしれない。こういう豪華な懸賞というのは、購買の動機付けにさせようという意図よりも普段から購買してくださっている読者への感謝の気持ちみたいなところもあるでしょうし」
「この雑誌自体、結構なお値段するみたいだもんね」
由美はぱらりとめくって裏表紙を見たが、またすぐに元のページを開き直す。
そこには、女性と子どもが昼間の公園に居るイラストが二つ並べて掲載されており、その左右の絵の違いを見つけなくてはならない。
「とにかくあと一個よ。さっき砂場に作っているお城のしゃちほこの尻尾の筋の数が一本多いのを見つけて七個中六個までクリアしたわ。クロスワードも含めて夕方からご飯の時間を除いてかれこれもう六時間ぐらいやっているけど、あとちょっとよ」
「そう考えると難易度だいぶ高めだよね、この懸賞」
「やっぱり景品が豪華だから気合いが入っているのかしら」
「この間とはまた違う団体だけど、確かに良いもんだね、ミュージカルって。正直、行く前は話の内容も含めてあんまりよく知らなかったし、灯ちゃんたちが誘ってくれなかったら行かなかったと思うけど、あれからひとしきりネットで調べて各地での公演の様子やその感想、役者さんのインタビュー記事とかしばらく漁っちゃったもん」
「そうね。この劇団はたまに期間限定で昔の公演の配信していてそれを観たことはあったのだけど、とにかくパワフルで画面越しでも伝わってくるほどの大迫力だったから、ますます現地で観たくなってしまったのよね。でもチケットは一番安い席でも数万円単位だから、さすがに気軽に行こうとはならなかったのだけど」
「願ってもないチャンスが来てくれたわけだね」
「もちろん応募したからといって当たるとは限らないけれど、応募者の数を考えたら割と可能性はあるのではないかと思うのよね」
「このまちがいさがしもそうだし、クロスワードだって難しかったもんね。私の頭から絶対出てこないよ、ホメオスタシスなんて単語」
「恒常性維持、生物が環境の変化などに関わらず己の体温などを一定に保とうとする能力のことを指すらしいけど、高校の生物の授業でも習うのかしら。他にも調べないとまず出てこないような言葉ばかりだったわね」
私は前のページのクロスワードを振り返るように見返すが、やはりすぐにまた戻す。
「何にしても、とにかく最後の一つを見つけてハガキを出さないことには当たるものも当たらない。しかし、眠いわね」
私もまた目をしばたたかせる。
「そうなんだよね。昨日は数学と英語で小テストが二つもあったから、前の晩も勉強してたもんね」
「数学はともかく、英語のテストの範囲の広さはどうにかして欲しかったわ」
「それ。もうちょっと範囲広げたら中間テストの範囲とほとんど変わらないぐらいになるよね」
「でも由美は英語は得意だからまだ良いわよね。やっぱりご両親の影響なのかしら。中学のときも、観光客の外国人の方に道案内できていたもんね。私は背中に隠れているだけだった」
「そんなこともあったような気はするけど、別に得意ってほどじゃないよ。点数だって灯ちゃんとそんなに変わらないでしょ。それにお母さんはともかく、お父さんは仕事で使う単語はもちろん覚えているけど、あとはちょっとした日常会話ができるぐらいだって言っているよ。道案内とかああいうのは、そのシチュエーションごとに使われるフレーズや単語の発音を最低限覚えておくんだって教えてくれたね。それで、そういうのは学校の英語の試験だとあんまり役に立たないんだよね。なんなら、その単語が言えてもスペルはあやふやだったりするし。もしかしたらリスニングはちょっと慣れているかもしれないけど、ペーパー試験だとそれも活かせないでしょ。なんというかむしろ損している気分になるよ」
そんな風に二人で愚痴を言っている間にも夜は更けていくし、眠気は増していく。
「コーヒーでも淹れようかしら」
「いや、それならもう寝た方が良いと思うな。灯ちゃんの不健康は見逃せないよ。でも、ちょっとだけ気分転換は必要かもね」
「そうね、この間のことじゃないけど、あんまり根を詰めて探すよりも一旦目を離したら、あっさり解決できるかもしれないし」
そう言って、私はまちがいさがしの絵を見えないように、雑誌のページを適当にめくってみる。
「そういえば、チケットの他にも色々な景品があるよね」
「そうね。さっきも言ったけど、食べ物では焼肉用のお肉や高級メロン、老舗和菓子屋さんの詰め合わせも良さそうだし、こっちには炊飯器や掃除機なんかの家電もあるわ。うちのコードレスの掃除機、古くて充電もすぐ無くなってしまうようになってきたから新しいのが欲しいのよね」
「応募ハガキには第三希望まで書けるみたいだから、それにしておけば良いじゃない」
「でもそれだと、由美に何の恩恵もないじゃない。チケットは二枚組だから良いけど」
「恩恵なんてありまくりでしょ。今も灯ちゃんの家に泊まっているわけだし、そもそも灯ちゃんの喜ぶことが私にとって」
「そう言うとは思っていたけど、それとこれとは別の話よ。こうやって夜遅くまで一緒に頑張っているのだから、互いにふさわしいだけの報酬を手にしないといけないわ」
「そういうところはきちっとしているよね、灯ちゃん」
由美はそれから景品の一覧をさらっと眺めていく。そして特にこだわりのない様子で言う。
「まあこの中だとやっぱり食べ物になるのかなあ。そうしたら皆で仲良く食べられるし、私のお腹にもちゃんとおさまるよ」
「そうね」
由美は私と一緒にいることを除けば、あまり自分の希望を口にすることはない。私の勘違いでなければ、それは決して我慢しているわけではなく、それ以外のことに無頓着であったり、多少の好みはあってもおそらく本人の中で優先順位はそれほど高くない。だから結果として、私に合わせた行動をとってくれる。本人が好きでそうしているのであれば不満などないし、以前にも本人に直接確認したのでそれはそれで良いのだが、たまには私が由美に合わせることがあっても良い気はする。しかしそれも由美としては、私をたまにからかったりすることで十分に満足しているのだろうか。それ以外のこととなると、たとえば二人とも好きで夢中になれるものがあれば。
「あっ、これ」
由美が決して大きいものではなかったが声をあげたので、私もその視線の先に目を向ける。
「あら、懐かしい。どこちゃウサギさんシリーズじゃない」
「どこちゃシリーズ?」
「あら、知らない? いつ何時いかなる場所でもお茶会を開く肝っ玉と優雅さを持ったウサギさんたち、それで通称どこちゃうさぎシリーズ。見ての通り、洋服を着て二足歩行のウサギのミニチュアね。子どもの頃、いえ、今も子どもだけれど、幼い頃に遊んだわね。うちにもあったわ。確かお母さんの知り合いの子にあげたから、もう家にはなかったはずだけど。その時には私も小学校の高学年とかでとっくに遊ばなくなっていたけれど、あげるときはちょっと寂しかった記憶があるわ」
「言われてみれば、名前は聞いたことあるなあ」
「サイズはそんなに大きくないけど、衣装も茶会をする場所に応じて変わっているのよね。これは夏の海辺、灼熱ビーチで熱々紅茶を召し上がれ、サマードレスバージョンと書いてあるけれど、初めて見たわね。なるほど、どうやら限定品みたいね」
「すごいね、ウサギさんは皆可愛いだけじゃなくて、一匹一匹の顔や表情が違うよ」
「そうそう。パッケージだけでも、海から飛び跳ねてきた魚に驚いたり、紅茶が熱すぎて舌を出していたり、スコーンの焼き具合の良さに得意げだったり、他にも耳に付けている装飾なんかもそれぞれの個性が垣間見えて面白いのよね。思えば、昔から二人で遊ぶときにいわゆるお人形さん遊びなんてのはあんまりしなかったわね。由美の持っていた外国の玩具とかぬいぐるみで遊んだりしたのは覚えているけれど」
「それにしても、これはちょっとすごくない? このティーセットとか砂浜の土台とか全部付いてくる上に、ここに居る二十体近くのウサギさんたち全員入っているってことだよね」
「いえ、さすがにそれはパッケージのイメージ画だけではないかしら。あれ、待ってちょうだい」
一度は否定したが、説明文を読み直す。
「これはもしかすると付いてくるかもしれないわね。私たちが幼い頃は、デラックスセットまでしかなかったはずだけど、これには驚異のウルトラメガデラックスセットと書いてあるわ。大きさも合わせて五十センチは下らないから、本当であれば置き場所に困りそうなぐらいよ」
「これ全部、家にやってくるんだ」
由美はパッケージの写真に映るウサギたちの細かな部分を凝視して、すっかり目を奪われている様子である。
「もしかして欲しくなっちゃったの」
「えっ、いや、そこまでじゃ」
由美は咄嗟に誤魔化そうとするが、目はまだウサギたちの方に向けられている。
私がおもむろに雑誌を引っ張ると、由美は「あっ」と思わず雑誌を押さえた。
私はニヤニヤしながら由美の顔を見る。
「もう、そんな意地悪な子に育てた覚えはないよ」
「下手に気を遣う方が悪いのよ」
私は続ける。
「良いじゃない。私も見ていたら懐かしい気持ちも相まって欲しくなってきたわ。このシリーズ、作りが良いこともあって普通に買ったらそれなりの値段がするから、子どもの時もこんなに沢山は買ってもらえなかったし、実際大人でも集めている人がいると聞いたことがあるわ」
「でも、元々はチケットのためだったんだし、気になったのは事実だけど、絶対に欲しいってほどではないし」
「じゃあ、明日の放課後に駅前のデパートで実物を見てみる? 多分売っているはずだし、ショーケースに飾ってあればサイズや質感も分かるわよ。ハガキは明日が消印有効だから、ちょっと慌ただしいけど郵便局まで直接出向けば間に合うはず」
「別にそこまでしなくてもいいよ」
「私も久しぶりに見てみたくなったから」
それは決して嘘偽りのない言葉であったが、この時はまだ由美の気持ちに応えてあげようと軽く考えていたのは紛れもない事実であった。
「それじゃあ、懸賞の希望順はひとまず保留にしておくことにするとして、最後の一個を見つけないとね」
「もう一丁、頑張りますか」
二人とも新たなモチベーションが生まれて眠気も覚めたところで、再びまちがいさがしに挑むことにする。
無事に最後の一つを見つけて葉書を書き終えたのは、午前二時も過ぎた頃。それからきっちり寝坊しながらもどうにか登校し、何度も舟を漕ぎながらどうにか授業を乗り越え、放課後すぐに由美と合流するとデパートの玩具売り場に向かった。子ども向けの玩具売り場に足を踏み入れたのは久しぶりのことであり、少なからず気恥ずかしさもあったが、それもお目当てのものを見つけると吹き飛んだ。
「かわいいー。うわー、こっちにもまだあるよ」
由美がいつになくテンションの上がった様子ではしゃいでいる。
「期待して来たとはいえ、実際に売り場のショーケースにスペースがあるとは思ってなかったわ。商品だって取り扱っていてもせいぜい二種類ぐらいだと」
「公式サイトを見た感じ、今でも不定期だけど新作が発売されているみたいだよ」
「なるほど。でも、ここにも懸賞にあったほどの大きなものはなさそうね」
「そう、それについてなんだけど、どうも限定品で非売品のものみたいなんだよね。あのサイズのものは基本的に期間内に申し込むと届く、いわゆる受注生産ってやつでたまに販売されるやつだったり、もしくは別の商品とのコラボぐらいでしか手に入らないんだって」
「なんとなく分かった気がするわ。要するにこういった普通の量販店の玩具売り場では扱っていないものなのね。ウルトラメガは伊達ではないと」
「だねえ。こっちの森の洋館セットやヘリポートセットもかわいいし楽しくて欲しくなってくるけど、あのパッケージの写真を見るだけでも分かるあのスケールでのわちゃわちゃ感はさすがウルトラメガだね。めがめが」
「なら決まりね」
私は制服のポケットからハガキを取り出す。
というのが、ひと月ほど前の出来事であったが、それからというもの、私たちの頭の中にはいつだって浜辺で賑やかにお茶会をしているウサギたちの姿があった。ショッピングモールへ買い物に出掛けたときなどは、決して長い時間ではないが、ほんの少しだけ玩具売り場に足を伸ばしては、どこちゃシリーズが置いてあるかそれとなしに探していた。
「でも、買わないんだ」
放課後、まだ帰り支度もせずに私の席の周りでダラダラしている薫が呑気な様子で言う。
「バイトもろくにしていないだけに、お小遣いで買うのには限度があるもの。一番お手頃なセットでも数千円するから、そう簡単には手を出せないし、こういうのは一個買うと気づいたら増えるというから、のめり込みすぎて金欠に悩まされないようにという思いもあるわね。ただ、改めて考えてみても、あのセットが欲しいのよね。売り場で見かける他のものではやっぱり替えが効かないのよ」
「でも、棚は買ったんだよね」
丁度私の席に着いた由美が言う。
「えっ、まだ届いてもないのに飾るためにってことで? 集める気満々じゃん」
「買ったというか、本や雑誌が収まっていなかったのを片付けてもまだスペースが足りなそうだったから買い足しただけよ」
そのように言い訳をするが、買い足す前には入念に幅や高さを測り、埃などが積もらないように飾っておくための透明なショーケースもアテをつけていた。
「もし、当選していたとしたら今日ぐらいに届くと思うのよね。当選者雑誌に掲載されているみたいだけど、どうやら賞品はその月の雑誌が発売される頃には届いていることが多いらしいわ。以前お母さんが懸賞に応募したときはそうだったと話していたわ」
「へえ、サプライズだね」
「意図しているのかどうかは分からないけど。それで、当選者の発表があるはずの号の発売日がもう明後日に迫っているのよ。だから当選しているのであれば、今日にも来るんじゃないかと」
「だから、急いでいるんだ」
私は喋っている間にも、さっさと鞄に教科書やノートを詰め込んでいた。
「それはもちろん、一刻も早く受け取りたいからね。もし受け取れなかったら再配送になって、明日になってしまうかもしれない」
「熱意を感じられるね。まあ、頑張って」
言われるまでもなく、頑張って早く帰宅することにする。
「まずは郵便受けね」
私たちは二人して緊張した面持ちで郵便受けを開け、中を覗き込む。
「何もないわね」
内側に何も張り付いていないことまで確認してから、互いに顔を見合わせる。
「それじゃあ、家に入って待ってよう」
それからは本当に言った通り、待つばかりであった。数時間ほどが経って少し早めに夕食を済ませてからも、その後もリビングに居座り、試験が近いこともあって珍しく勉強していたのだが、さすがにそわそわして落ち着かなかった。
「もう八時近くよね」
「まあ仕方ないよ。みんながみんな当たるわけじゃないだろうし」
「でも、あの雑誌の購読者層は中高年の方がメインだと思うから、わざわざミニチュアのお人形のために応募する人は少なくてチャンスがあるんじゃないかと考えたのだけど」
「とはいえ、一名様だからね。それに、こういうのはどういう層の人が購読しているかというよりは、何らかで知った人がどのぐらいいるかどうかじゃない。その人の子どもやお孫さんが欲しがるかもしれないしさ」
「いつになく大人な意見ね」
「あまり前のめりになってもね」
「そうね。すでにガラスケースを置くスペースまで作った私のように先走ってはいけないわね」
「いや、灯ちゃんのことを言っているわけじゃないよ」
以前一つのことにのめり込みすぎるあまり日常生活に支障をきたした経験もあるだけに、財布の紐を緩めないなど一定の自制心を持っているつもりではあったが、それでも熱くなっていたことは否めない。
「こういうのはさ、当たればラッキーぐらいの気持ちでいいんだよ。夢を見せてくれた、それだけでいいじゃない。特に意味もなく玩具売り場をふらついたり、ホームページで出てくるうさぎさんたちの名前を覚えたりするのは楽しかったでしょ」
「そうね」
もちろん残念に思う気持ちはあったが、そのように諭されたら頷かないわけにはいかない。
しかしそこでインターホンの音が鳴り響く。
「まさか」
私はすぐに由美の顔を見るが、由美は冷静な様子であった。
「灯ちゃんの家族が帰ってきたんじゃないの」
「今日は皆遅くなると言っていたし、わざわざチャイムを鳴らさないはず。愛は鍵出すのをめんどくさがることもあるけど」
私は気持ちの隙を突かれたせいで、足をもつれさせて運動神経の無さを披露しながらも、どうにかインターホンにたどり着き、画面をのぞく。
「本当に配達員の方みたいだわ。しかもあの箱。第二希望にしたチケットだとしたら、あんな大きさの箱には入れてこないはずよ」
「落ち着いて、灯ちゃん。もしかしたら引越し業者の人が家を間違えて来ちゃっただけかもよ」
「どういう状況なのよ、それ」
そう言いながらもインターホンのボタンを押す。
「はい」
「お荷物です」
私たちはいよいよ顔を見合わせる。
「まさか、本当に当たるなんて」
私は夢見心地で配達員の方に「ありがとうございます」と何度もお礼を言って、少し怪訝な顔をされながらも荷物を受け取る。その白い箱はずっしりと重く、一人で持つのは少々苦労しそうなほどであったが、すでにアドレナリンが出ていたその時の私はリビングまで運び切ってしまう。
「大丈夫、灯ちゃん。息が上がっているよ」
「ええ、思ったよりも重かったけど全然平気よ。さすがはメガデラックス。中身にも期待できそうだわ」
私はすぐに戸棚からカッターを取り出してくる。
「さあ、開けるわよ」
「うん」
由美も頷き、私が開けるのをじっと見つめる。
私ははやる気持ちを抑えることもなく、蓋をとめていたテープを切って、いよいよ箱の中身とご対面するべく勢いよく開け放った。
「え?」
すると開けた箱からはすーっと白い冷気が溢れてくる。いくらどこちゃシリーズが少なからずその奇抜さを売りにしているとはいえ、そんな演出をするとはさすがに思わない。ましてや灼熱ビーチでのお茶会セットともなれば、むしろそこに保冷剤を敷き詰めるのは真逆の行動に思える。
「まさか」
私はそこでようやく気付き、さらにその箱の中にあったいかにも高級そうな黒いお重の箱を開けた。
するとそこには、見覚えのある真っ赤なお肉が沢山入っていた。
どのくらいの時間、それを見つめていたか。実際のところはせいぜい数秒であろうが、その間は間違いなく我が家の時は止まっていた。
「ああ、そういうことね。応募する際に、第一希望はどこちゃうさぎ、第二希望にミュージカルのチケットときて、第三希望はなんでも良かったのだけど、とりあえず話にあがっていたお肉と野菜の詰め合わせにしておいたのよね。一ヶ月前のことだから、すっかり忘れていたわ。言われてみれば、この箱だって明らかに食品用のものだし、浮かれ過ぎていたわね」
私は早とちりに反省する。
「うさぎさん」
ずっと黙っていた由美の口から漏れ出るように聞こえてくる。
「私たちのうさぎさんたちが……」
由美の顔を見て、私はギョッとする。その目は涙目で、ほとんど半泣き状態であったからだ。
しかしそこですぐにその考えに至る。
これまでも幾度となく見てきているが、由美は感情が昂るときほど冷静であろうと努める。先ほども私が落ち込んだり、また一変して興奮したりと感情の起伏を示していた一方で、由美はずっと落ち着いた様子を見せていた。しかし、本来私よりもずっと目ざとく周囲をよく見ている由美であれば、荷物の箱のことであったりをすぐに気付かないはずがなく、つまり、そういうことをすっ飛んでしまうぐらいに内心では楽しみにしていたということに他ならない。
「ごめんなさいね、由美。私が浮かれていたあまり、余計な期待を持たせちゃって」
「いや、灯ちゃんは悪くないよ。悪くないんだけど」
うなだれている由美に対して、私は横からそっと抱きしめる。
「残念だったわよね。玩具売り場に何度も足を運んだり、ホームページを眺めたり、ずっと楽しみしていたものね」
私はよしよしと背中をさする中、由美は「キャベツ、コロッケ、メンチ、ステゴロ伯爵、抹茶先輩」などと覚えたウサギたちの名前を口にしていた。
それから少し経って、ようやく由美は立ち直ったようで顔をあげた。
「まあ、仕方ないね。きっと私たちよりも欲しがっていた子どもがいて、その子に当たって今頃喜んでいるんだと思うことにしておくよ」
「そうね。実際がどうであれ、そういう考え方は悪くないと思うわ。それにこの美味しそうなお肉が当たったのだから、あの日夜中まで頑張った甲斐もあったわ。人によってはこっちの方が嬉しいぐらいでしょう。やっぱり焼肉がいいかしらね。私、焼肉奉行になるわよ。あらよっとってね、いえ、今のは忘れてちょうだい」
私はまくった袖をすぐに元に戻す。そんな私を見て、由美は白い歯をこぼす。
「うさぎさんたちが来てくれなくたって、私には灯ちゃんがいるから良いや」
そんなわけで私たちは人形セットを手に入れることはできなかったが、成果物は手にできたのでおおよそハッピーな結末となったと言って良いだろう。
「ひとまず、このお肉は冷蔵庫にしまおうかしら。でも本当に鮮やかな色合いね、高級なお肉というのは見た目から上品さがあるのかしら」
「あっ」
そこで由美が声をあげた。
「どうかしたの」
「さっき灯ちゃんが玄関まで荷物を受け取りに行っていたときなんだけど、明日にでも飾れるようにって私の携帯から決めていたプラスチックのショーケースをポチっちゃったんだよね」
私たちは顔を見合わせていたが、やがて私の方から口を開く。
「いつか飾るのに相応しいと思える出会いがあることに期待しましょう。ときどきおもちゃ売り場に足を伸ばしたりしてね」
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