第25話 下駄箱②

「何、その恰好」

 学校を出る直前、お手洗いに一緒に行ったのだが、個室から出てきた赤沢さんは制服姿ではなく全身を覆うようなPコートにサングラス、さらに長い金髪のカツラまでつけている。また手に持っている鞄も学生鞄ではなかったが、元々私たちの学校は学校指定の鞄自体は販売されているが、必ずしもその鞄で登下校しないといけないという決まりはなく、各人の自由であった。

「もちろん身バレを防ぐためさ」

「わりと変質者でそんな人いそうだけど」

「私の美貌はこれぐらいしないと隠せそうにないからね」

「それって要するに知っている女の子にバレて刺されないようにするためよね」

「さすがに私でも刺されたことはないよ。一週間ほど軟禁されたことはあるけど」

「正直、その話は聞きたいような聞きたくないような微妙なところね」

「自分の気持ちに真っすぐな可愛い女の子だったよ。今は触れることのできない場所に行ってしまったけど」

「ガラス越しでしか会うことが出来なかったりしないでしょうね。ともかく、その格好で誰かに見つかったらマズイから早く出ましょう」

 それから守衛室の前をそそくさと通り抜けることでやり過ごし、無事に学校外に出た。

「ところで上映時間までどのくらいあるのかしら」

「あと一時間ぐらいかな。向こうに行ってちょっと休んだら丁度良いぐらいだろう」

「誰かさんに待たされたせいでそうなったのよね」

「それはすまないと思っているよ。埋め合わせとして、なんでも一つだけお願い事を聞いてあげよう」

「そういうの好きよね、あなたたちって」

「だって楽しいじゃないか」

「それが楽しいと思えるかどうかで、社会での立ち位置が決まる気がするわね」

 そういったノリに全くついていけない自分が、教室の隅を好み、映画や小説にのめりこむのは必然なのかもしれない。幸い周りに恵まれているおかげもあって一人でそうしていることは少ないが、状況が違えばまた違う自分になっていたのではないかとたまに考えるときがある。つまるところ、自分が何故これほど恵まれた環境にいられるのか疑問に思うのだ。やはり運が良いというだけなのだろうか。

「楽しいと思えるものは人それぞれで良いと思うけどね、私は。そっちの方が面白いし、また別の魅力や可愛さがあるってものさ」

「何でもかんでも女の子にたとえないで欲しいけど」

「もちろん今はキミだけを見ているよ」

「よくもまあそんな歯の浮く台詞を口にできるわね。いっそのこと役者でも目指せば良いのでは」

「これは私の持論なんだけどね、芝居で出来ることは現実でやった方がよほどドラマチックになると思うんだよね」

「確かにあなたぐらいの容姿の持ち主であれば、芝居の中でしか起きないような事件が日常でも起こるのかもしれないわね」

「しかしながら現実には筋書きがないからね、いつも上手くいくとは限らない。今だってそうさ」

「今?」

 私は本気で分からずに首をかしげるが、その様子を見た赤沢さんは心外そうにしている。

「いや、だからキミのことさ。私が自分からデートに誘った女の子なんて片手で数えられるぐらいしかいなかったんだよ。しかも今こうして私と一緒に歩いていても緊張もせず、魅了されている様子もなく、映画の方にばかり気を取られている」

「しょうがないじゃない、楽しみなんだから。それに、赤沢さんは同級生でしょ。友達と言えるかどうかはちょっと怪しいけど、でもビリヤードのときも一緒に遊んだりしたわけで、さすがに今さら緊張したりはしないわ」

「そう言われると取り付く島が無いな」

「もしかして困っているの」

「だからそう言っているじゃないか」

「でもあまりそうも見えないのよね。そもそもあなたの言うように、近づいてくる女の子はたくさんいて、きっとその子たちは私よりもずっと可愛いのでしょう。仮に私一人が振り向かなかったとしても、別にいいじゃない。それとも皆が皆自分に気を持ってくれないと気が済まないの」

「確かに世界中の女の子を私の虜にさせたいとは常日頃思っているよ。でもそれとこれとは別問題で、私は今キミだけに振り向いて欲しいのさ」

「どうやったらその言葉の後で、それを信じればいいのよ」

 私はちょっと言い過ぎてしまったかと思ったが、すると案の定珍しく彼女は少しうつむき加減で「そんなこと言われたって、これが私の精一杯なんだよ」と言うのでびっくりしてしまう。

「いや、あの、私もちょっと言いすぎたわね。ごめんなさい、せっかく可愛い便箋までくれたのに。あれはすごくキュンと来たわよ、まさか赤沢さんとは思わなかったけど」

「分かっているさ、あんなものは私に似合わない。人には向き不向きがあるように、恋する乙女なんて私の柄じゃないのさ」

「そんなことないわ。赤沢さんだってとても女の子らしいところがあると私は思うわ」

「思ってもないことは言わなくてもいいよ」

「いえ、本心よ。誰かの思った通りに演じる必要なんてないわ。そうだ、まだ映画まで時間あるわよね」

「まあ、一時間ぐらいはあるけれど」

「そう、それなら十分ね。それじゃあ行きましょう」

「行きましょうってどこにさ。あと一応言っておくけれど、今までのは全部演技なんだよ」

 赤沢さんが戸惑いながら慌てた様子で私に何か言っていたが、構わずにその手を引いていく。



「ホントにこれを着るのかい」

 赤沢さんはいつもの余裕に溢れた笑みもなく、ひきつった顔でそう聞いてくる。

「試着の許可はもらえたでしょ。何をためらう必要があるのよ」

「あのさ、さっきの話なんだけど」

「分かっているわ、さっきのやりとりのときに演技が入っていたことぐらい。だからわざと乗ったのよ。だって面白そうじゃない、可愛い服を着る赤沢さんが見られたら」

「灯ってときどき小悪魔な一面を見せてくれるよね」

「普段から散々由美にしてやられているからね。私だっていつもやられっぱなしじゃないのよ」

「そうか。いや、でもこれはなあ」

「きっと似合うと思うけど。まあ私も普段着るようなものじゃないのは確かね」

「分かった、それじゃあ灯も着てくれるなら良いよ」

「どんな条件よ、それ。でも、それくらい別に良いわ」

「意外と恥ずかしがらないんだ」

「今は二人しかいないわけだし、別にいいじゃない。赤沢さんに見られるぐらい、どうってことはないわ」

「ときどき灯の性格が分からなくなるよ。あまり前に出るようなことはせず、すごく恥ずかしがる時も少なくないのに」

「ごちゃごちゃ言ってないで試着室に入った方がいいんじゃないの。誰かに見られるとも限らないわよ。赤沢さんは知り合いが多いのでしょう」

「分かったよ」

 ようやく観念したらしく、私が見繕った服を持って試着室に入っていく。

 私が連れてきたのは、映画館の入っているモールの一角にある服屋であった。しかもかなりガーリーでゆるふわなファッションに即した服が揃っているお店で、先ほど話していたように私も赤沢さんもあまり縁のない系統のものが多く、気のせいではなく明らかに客層とも合っておらず、若干浮いているとさえ感じられる。さすがに店内ではカツラとサングラスは外し、その代わりに伊達眼鏡をつけていた赤沢さんであったが、それでも彼女に惹きつけられた様子の女の子がちらほら見られるのはさすがとでも言うべきだろう。ただ、それゆえに彼女の不自由さも垣間見える気がした。それが本人にとって負担になっているかどうかはともかく、これだけ注目を浴びながら過ごさなくてはいけないというのは、自分の行動への反響も人一倍となり、人よりも周りを強く意識することになるのかもしれない。

 ただ別に私はそれをどうにかしたいわけでもなく、どうにかできるとも思っていない。単に彼女を困らせてみたいと思ったのであって、以前騙されたことに対する仕返し、私怨でしかなかった。

「まだかしら」

 なかなか出て来ないので、私は近づいて声をかけてみる。しかし無言であり、衣のこすれる音も一切ない。

「まさか、逃げた?」

 あり得る話だと思い、そのままカーテンを開けた。

「きゃっ」

 しかし短く小さな悲鳴と共に目に入ってきたのは、身体を手で覆うように隠そうとする下着姿の赤沢さんだった。

「あっ、ごめんなさい」

 とっさに謝りつつも、光沢のある黒い生地のランジェリーを纏う彼女の姿に目を惹かれてしまう。モデル顔負けの長い手足、細い腰にはくびれがあり、下着のブランドの広告に採用されてもおかしくないほどで、まるで高校生らしくない大人の色香を醸し出している。

「どうかされましたか」

 声を聞いて店員の方がやってくる。

「あっ。いえ、すみません。なんでもないです」

「そうですか?」

 彼女は怪しむように開いていた試着室を覗き込むが、すると私よりも遥かにその目を奪われてしまう。

「騒いでしまってすみません、お姉さん」と赤沢さんはいつもの顔で言うので、せいぜい大学生か二十代前半ぐらいとみられる童顔のショップ店員さんはのぼせあがったように顔を赤らめ、「は、はい」と口ごもってしまっている。もしかしたら私もよくこんな感じになっているのだろうかと思うと、なんだか恥ずかしくなってくる。

「でも、そこまで凝視されるとさすがに恥ずかしいですね」

「あっ、ごめんなさい」

「でも、お姉さんのような可愛らしい方に見られるとあまり嫌な気もしませんね。どうしてももっと見たいなら、場所を変えましょうか。もっと静かで人のいない場所でゆっくりと」

「えっ。いや、でもまだ勤務時間が」

「目の前で流れるように口説かないでくれないかしら」

 私はやや強引でも押し通せてしまえそうな雰囲気をぶち壊すように、あえて刺々しさを隠さずに言う。

「おっと、店員さんが可愛かったのでつい。ひとまずそのカーテンを閉めてもらおうか」

「ああ、そうでした。こちらこそ気が利かなくてすみません」

 彼女は慌ててカーテンを引こうとするが、その顔にはまだ彼女の姿を見ていたいという未練がありありと見えたし、さらに言えば彼女がこの店で試着しようとしていることに興味を抱いているのは明白だった。

 私としては、仕返しのつもりとはいえ考えて選んだものであったが、そもそも赤沢さんがこういった服屋に来ていることを疑問に思うのも当然だろう。

「この子が私を着せ替え人形にしようとしているんだけど、やっぱりこういうのは似合わないと思わないかい、お姉さん?」

 先んじてそれを言った彼女は普段通りにも見えたが、あくまでも感覚でしかないがいつもよりも少し装ったものを感じた。実際、彼女のキャラクターとしては間違いなくシックでカッコいいものが似合うのは言うまでもない。

「そうですね。お客様は普段あまりお召しにならないアイテムかもしれませんけど、似合わないことはないと思いますよ」

 しかしそこはさすがショップ店員だけあって、応対は私の望むものであった。

「それなら他にもいくつか見繕ってもらうことってできますか」

「いや、別にそこまでしなくても」

「はい、わかりました。少々お待ちください」

 カーテン越しに聞こえる赤沢さんの声も無視して、店員さんは張り切って探しに行った。それからまたしばらくグダグダと言っていたが、私が急かした末にようやく「着たよ」という声が聞こえてきたのでカーテンを開ける。

「思った以上に良いわね」

 白い襟のついた水色のミニワンピースを着た赤沢さんは、珍しく恥ずかしがっている様子も相まってか、上品さに可憐さが加わって本当にかわいらしかった。

「本気で言っているのかい」

「そんなに不安なら、自分で姿見をちゃんと見てみなさいよ」

「うーむ」

 それすらも渋っているようだったが、恐る恐ると確認する。初めは渋い顔を見せていたが、少しするとそれが和らいでいくのが私にもありありと分かった。

「女の子らしい、かな」

「そうね。あとは髪かしら。実はさっきあなたが着替えるのを待っている間に良いものを見つけて買って来ちゃったのよ。ちょっと失礼するわね」

 そう言って、私は茶色の小袋から取り出すと彼女の前髪をあげてそれをつけてやった。

「あっ」

「どうかしら」

「どうって言われてもな」

 やはり普段とは打って変わって戸惑いや動揺を隠せていない。

「私のチョイス、悪かったかしら」

「そんなことはないさ。あっ、いや……」

 おそらくは反射的に繰り出された言葉で、想像以上に勢いよく否定するのが面白くて、ついにやけてしまう。

「からかうのはこの辺にしておいてあげるわ。でも似合っていると思っているのは本当よ。どうせなら、あなたが思っている以上にね」

「色々、言い返したい気持ちはあるんだけど、まあいいや。今日はしてやられたってことにしておくね」

 苦々しくも力の抜けたように笑った彼女は、いつもの気取りのない自然な姿に見えてり、それは年相応で同年代の女の子のものだった。

「これ、買おうかな」

「いいの? まだ他にもさっきの店員さんが持ってきてくれると思うけど」

「いや、これがいいんだ。灯が選んでくれたものだから」

「そう。でもなんだか悪いわね、決して安くはないし、そもそもお金は持ち合わせているのかしら」

「そういう心配は無用だよ」

 彼女は財布からおそらくは他人名義であろうクレジットカードの数々をトランプのような束で取り出してみせる。

「ええ……」

 私は法律的な諸々を指摘するよりも、ただ困惑する他なかった。



「やっぱり何度観ても良いわね。特に終盤の畳みかけは変わることなく圧巻だったけど、一度目で見落としていたところにもいくつか気付けたわ」

「ご満悦そうだね。私としては、喜んでもらえて何よりだけど」

 映画も無事に観終えた後、私たちはフードコートの席に座っていた。平日の夜ということもあって、それほど混雑しておらず、それは私にとって大助かりであった。

「ご満悦と言うなら、赤沢さんだって随分機嫌良さそうじゃない」

「えっ、そう?」

「服、似合っているわよ」

「もうからかわないって言ったじゃないか」

 人は身に着けているものによって気分や行動が左右されるというが、頬を膨らませるさまも普段とは違う表情であり、何より素直に一緒にいて楽しいと思える。

「でも、そうだな。うん、楽しいね、こういうのも。洋服見て、映画館行って、フードコートでお茶して……やっていることはありきたりな学生デートだけど、今日はちょっと違った気がする。やっぱり灯と一緒だったからかな」

「うーん、そう言ってくれるのは嬉しいけど、それは赤沢さんの言っているのとはちょっと違う意味な気がするかな」

「というと?」

「単純な話、友達と遊びに行って楽しかったってことなんじゃないかしら」

「友達……」

「あっ、いや。突き放すようなつもりじゃないんだけど、でも私はやっぱりあなたのことをそういう風には考えられないから。ああ、これも言っている意味は同じになってしまうのかしら」

 私は喋るほどどつぼに嵌ってしまって、テンパりかける。

「自分でもちょっと不思議な感覚なんだけど、傷ついたわけではないんだ。ただ、なんかちょっと、うーん、上手く言えないな。でもそうだね、とっても楽しかった。それだけは確かだね」

 赤沢さんは満足そうに頷き、自己完結した。その様子を見て私も落ち着きを取り戻す。

「でも唯一引っ掛かっていることがあるとしたら、あれだね」

「あれとは」

「私は灯のことを名前で呼んでいるのに、灯は私のことは赤沢さんだろ。友達というなら名前で呼んでくれてもいいんじゃないか」

「それはそもそも赤沢さんの距離感の取り方というか順序がおかしいのよ。それに友達でも苗字で呼ぶことだって普通にあるじゃない」

「それじゃあ呼んではくれないのかい」

「改めてそう言われると、余計呼ぶのが恥ずかしくなるのだけど。もしかしてわざとやっているの」

「そんな、わざとなんて……酷いよ。私は純粋にその可愛らしい口から自分の名前を聞きたいだけなのに」

「言い方に下心を感じるわ」

「下心を感じるのは、自分に下心があるからでは」

 私はぐうの音も出ない反論に口を噤むしかなかった。

「でもいいのかい。この髪留め、もらってしまって」

 すると赤沢さんは助け舟のつもりなのか分からないが、話を変えてくれた。

「今日の映画のお礼に渡すつもりだったから、遠慮せず受け取ってちょうだい。結局、それで良かったのかは分からないけど」

「もちろん良かったさ。でもやっぱり名前を呼んでほしかったな」

 赤沢さんは私の手を掴むと、長いまつげを携えた目でじっと見てくる。

「そんな風にされると余計言いづらいわよ」

「言ってくれるまで離さないよ」

「分かったから、ちょっと待って」

「いつまでだって待つさ。今日はのっけから待たせてしまったからね」

「……真紀ほど待たせるつもりはないけど」

 すると彼女は満面の笑みを浮かべた。



「昨日、ホントに何にもなかったんだよね?」

「もちろんよ。ただちょっと服を見た後に映画を観に行っただけよ」

 昨日の夜からもう何度目になるか分からない質問に、私は同じ答えを返す。

「どこか人気のないところにでも連れていかれて、大人の階段を登らされてないよね」

「朝っぱらから何を言っているのよ」

「だって、なんか二人とも雰囲気が違うんだもん」

「少なくとも私は変わってないでしょうに」

 そんなやり取りのさなか、相変わらず女の子たちに囲まれた真紀の方を見やる。

「赤沢さん。どうしたの、それ」

 丁度誰からかそんな風に訊かれているのが耳に入ってくる。そして「ふふ、これはね。大切な友達からプレゼントしてもらったものなんだよ」と楽しそうに話す真紀の耳にかけられた髪には、昨日私があげた藍色の髪留めが光り輝いていた。

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